そういうこともある

昨日、つい、怒ってしまった。絵を購入してくれる方に。ごめんなさい。
その方の事だけではなく、謝りたい方面は結構ある。申し訳ないと思う。


普段は癒し系と言われるほど、心広い私(違うかも)。
「これで怒らない奴がいますか」というポイントでしか怒らない。しかし、端から見たら、昔気質の偏屈モードが入っているかもしれない。でもね、怒るのは、怒る線があるんですよ。言っても仕方ない相手には言わないしね。良心は、あまり頭の良くない生き物だ。「やめとけばいいのに」、というところでキャンキャン吼える。


今回の件は、既にある作品じゃなく、「これこれこういうのをかいてくれ」という依頼品だった。私の作品傾向と違うようだし、不得意分野だったので辞退したが、是非と言って下さり、引き受けた。画材や額、マットなど、「これこれこいういうものですが、それでいいですか、どうしましょう」と何度も問い合わせるのを、先方氏は「高く売りつけようとしているのでは」と疑念を抱き、一方作者は作者で「依頼者は、作品なんてちょちょいのちょいで出来るものと思っているのでは」と不信感を抱き、当日となった。運悪く作者は、依頼者を「自分の言いたいことだけ言って電話を切るタイプ」と思っていた。



えー、たとえば。
寿司職人が知り合いから「俺の誕生日に食いに行くよ」といわれ、幾つか魚の蘊蓄をきかされた。他の客を断って準備に奔走し、新鮮な美魚を手に入れるのに苦労した。当日、「冷凍物だって味は大して変わらないですよ」と言われて思わず「回転寿司に行きやがれ!」と言ってしまう。知り合いは知り合いで「たかが寿司で真剣になるなよ」と思う。どちらの気持ちもよくわかる。他人の話だからだ。



「こえぇ〜」と思う人がいるかも知れない。特に気むずかしいわけではないのです。
どんな世界でも、こういうことはあるんですよ。。。。ビジネスではそつがない人も、知り合いだから、あるいは知り合いの紹介だから、と損得抜きに引き受けた仕事では行き違いが出る。


しかし、思った。
表現者などと名乗る人が何を重んじているのか、一般的にわかりにくい。
気むずかしくて、へそ曲がりと受け取られかねない。
プライドが高いのとは少し違う。愛情があるだけだ。
自分が此の世で一番正しいと思いこんでいるのでもないのです。様々な人がいるのを、認めたいから表現に走る人がほとんどだ。ただし、要領が悪い人が多いし、要領のよさを重要視していない人も多い。事業主もいるので、一概には言えず、周りからはさらにわかりにくい。


ううむ。正直な話、作者には
「絵や詩なんて木陰で珈琲を飲みながらちょいちょい、ですの。ほほほほ。心がとってもゆたかになるんですのよ、ほほほほ」
というイメージが求められているのかも知れない。ゆたかはゆたかと思うが、世間様がイメージするものとはやや違いそうだ。。。。。。。

作品が生まれる現場は、実に真剣なのである。愚痴もろくに言えないし。
たまにはぱーっと、愚痴言う方に回りたいものだ。
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# by leea_blog | 2001-12-13 02:24 | Comments(0)

未確認と確認のあいまいな合間

十二月三日。
コンセプチュアル・アーティストの河原温氏から電話があった。姿を見せないアーティストなので、ここに書くのはいかがかと思うが、ネット世界の辺境の、宣伝もしていない文字関係ホームページだ、大目に見てくださるだろう。


ニューヨークの同時多発テロ報道で、私はひどく動揺した。非戦闘員の死者の数が多すぎた。動揺のあまり、寝込んだ。良い悪いを越えた、激しい流れがあって、毒性の何かを含んでいた。一個人として、ニューヨークにいる知人(具体的には河原温氏)の安否が気になったが、悪い知らせを恐れて、人に聞くのもできないまま日が過ぎた。。。他の場合なら知人の安否を聞いて回るだろうに、今回は得体の知れない葛藤があった。ワシントンD.Cの知人も気になったが、こちらは、連絡しようがない。


重く気がかりなまま、引っ越し先の決まらぬ荷作りをぽつりぽつりしていたが、河原さんの書物はまだ荷作られずに電話機の傍にあった。そこへ、電話が。テロ事件の後はヨーロッパに行っていたそうだ。ほっとするとともに、奇妙な感覚である。

心に思う。
世界のことを心配してどうする、りりやん。自分や知人を心配しなさい。
河原さんの安否が重く気になりつつも、聞いて回れなかったのは、自分という個人が、此の世の、名を知らない、出会あっていないあまたの人たちに融合していたからだ、と気付いた。
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# by leea_blog | 2001-12-03 02:22 | Comments(0)

かきにあかいはな

部屋探しがさっぱり進展しない。
進展しないまま、十二月が目の前で、びっくりする。

こういうのは「縁」があるかないかだろう。
「縁」は創っていくものだ、と思う。まずは「部屋」に関心を持たなくては。旅人気質なので、実はそれほど執着が無い。部屋への執着を創出しよう。執着は固まっていると足を引っ張るが、流動していると良い作用をするものだ。

++++++

慣れないことをするには体力が必要で、体力作りに散歩の時間を捻出している。この時節、木々が素晴らしい。葉を落としていく度に、植物性の気配が立ち上る。柿の木に赤い実が。線香花火の先にしたたる紅い珠が、色彩を失っていく景色のあちこちに結んでいる。毎年、何かの奇跡のように思える。

笑い話のようだが、幼い頃「垣に赤い花咲く いつかのあの家」という歌を、「柿に赤い花咲く」と思っていた。熟していく実を花のようだと言うのは、実だからこそ心に響くのだと感じたのだった。

++++++++++

時間に追われて、食事がいい加減になっていく。養分の入ったゼリーや、インスタント物、出先ではついついファーストフード。味に鈍感なときは、五感の働きが鈍っているのだ。と、思っている内に胃を壊した。
わかっていても、慣れ親しんだ多忙の悪循環は抜けにくい。
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# by leea_blog | 2001-11-28 02:20 | Comments(0)

ゆめ・てん

寒いですね。

養生のために暖かい所に越さなくちゃならず、物件探しに奔走して、かえって無養生な生活です。収穫としては、住環境の知識が増えたこと。不得意分野である生活知識が増えたこと。実は、我が家は祖母の代からそういうことは苦手なのです。


夢の解放区展のお知らせを、リンクコーナーから見られるようにしました。
展示は参加出来なかったのですが、各人の夢を集めてコピーした「夢コレクション」に夢を載せました。
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# by leea_blog | 2001-11-14 02:20 | お知らせ | Comments(0)

ノア・ノア 2



 今は朝で、岸辺に近く独木船(まるきぶね)が浮いている。その中に、一人の女が乗っている。岸にはほとんど全裸の男がいる。その傍には枯れた椰子の木がある。それは、まるで、金色の尾をたれて、その爪の中には大きな椰子の房をつかんでいる巨大な鸚鵡(おうむ)のようだ。男は、重い斧を両手に持って、調子よく敏捷に上げ下げしている。斧は、銀色の空に青色のかがやきを残し、下の枯れ木の切り口からは、一世紀もの間日々たくわえられてきた熱を炎として一瞬のうちにひらめかしている。
 紫色の土の上には、黄金色をした蛇のように長い木の葉が、はるかに遠い、ある東洋の言葉で書かれた文字のように見えた。——私は、オセアニアの原語で書かれた次の文字を読むような気がした。——Atua,Dieu,le Takata, それらは、インドから四方に広がって、あらゆる宗教の中に見出せるものだ.....


  タタガアタの目には、国王や大臣たちのきらびやかな威   
  厳も、ただ泡と塵芥(ちりあくた)にすぎず。
  その目には、純も不純も、ただ六人のナガの踊りにひと
  し。
  その目には、仏の道を求むることは、もろもろの花に似
  たり.....


独木船(まるきぶね)の中では、女が何枚かの網を揃えていた。紺青(こんじょう)の水面は、たえず珊瑚の防波堤に落ちかかる緑色の波頭でくずされていた。


(ポール・ゴーガン著 「ノア・ノア タヒチ紀行」
                     前川堅市訳)
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# by leea_blog | 2001-11-14 02:18 | Comments(0)

ノア・ノア!

六十三日間の変化ある航海の後、私たちは六月八日の夜、海のかなたに稲妻形に移動する奇怪な灯を認めた—その六十三日間、私は憧憬の土地に対して、耐え難い待ち遠しさと、いらだたしい夢を見ていたのだが。暗い空には、のこぎり形の黒い円錐状の山影が浮き出ている。
 船はモレアを回り、タヒチが見えた。
 数時間の後、夜はほのぼのと明け始めた。


(ポール・ゴーガン著 「ノア・ノア タヒチ紀行」の出だし  前川堅市訳)


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画家による、香り高い紀行文。訳者によれば、ノア・ノアは、マオリー語で、香気ある、芳しい、などの意味。
ゴーガンにとってはタヒチだったが、実のところ、必ずしもタヒチである必要はなかったのではないか。霊的な水を求める者は、いずれの土地においても感受する、と思われる。

岩波文庫版は、版画も多数収められており、愛すべき一冊。

無意識の現地蔑視が自分本位な憧憬と同居しているのが気になる。それを差し引いても芳しい描写。
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# by leea_blog | 2001-11-08 02:17 | Comments(0)