ジャンル「馬鹿日記」 馬鹿メモ四つ。四つ目は、馬鹿ではないが、奇怪?



その一 過去日記、「人形に迫られるの段」、では

怖過ぎて書けなかった事が有る。

散髪姿・白い長襦袢姿でお布団で待っていた人形と、

深い仲になる事にひるんでから、

人形の「かまってオーラ」が冷気になっていたのである。



あの日記を書きながらも、人形を寝かせてある左側ばかり、体が冷えて、

怖さと済まなさで、

膝に抱き上げて髪を撫でながら書き続けたのである。


人形に冷たくしたら、冷気???


そういう事を書くのは、自分でも

「頭がおかしいのでは?」と思えたし、

無后人形が呪い人形のようなものと

人々に誤解をされるのも可哀想なので、

書くのを

自重した。



が。私の人生で、過去に無い事であり、

将来も無さそうな事なので、

やはり書いておく。

私は冷え性だし、

冷気は怖いので、

暖かい気を送ってくれるよう、

重ねて人形に依頼したところ、

今日は改善していた。


その二 

湯上がりの濡れた肌に一筋の髪がまとわりつく話を、過去に書いた。

その後も、バスルームの洗面台に人形の髪が落ちていた。

さらにその後も、

外出先でトイレに入ったら、

スパッツの内側やブラに、

私の髪にしては長過ぎる髪の毛が!

無后人形の髪の毛であった。



なぜ、こんな所に?????

誰かが、

構って欲しくて、

わざとやっているとしか思えない。

人形に、

「髪の毛を大切にしてね。

髪の毛があまり抜けるようだと、

修理に出さなくてはならず、

しばらく会えなくなりますよ」

と、重ねてお願いしているところである。


その三 

無后人形に、

「私の社会復帰を応援してね」とお願いした事も過去書いた。

基本、無后の考える事は、

私が家から出たくなくなるような事ばかりである。

間違っても、

「散歩にお出かけになって体力を養って下さい」などは、

言わない。

本心の所では、

私の職場復帰を応援したいとは全然思っていないのが、

見え見えである。





話し合いを持った。



りーあ「無后や。よくお聞き。

    私が仕事に出られるように、

    私が散歩に行きたくなるようなオーラを投げて欲しいのです」

宮無后「公主の職場は、理不尽な所のようです。

    そのような所にお戻りになるより、

     家で過ごされるのが良いと思います」

りーあ「無后や。

    現代日本では、

    仕事に出るのは大切な事です。

    大抵の職場は、理不尽です。

    現代日本では、何もせずに家に居るだけでも、

    どんどんお金が掛かってしまうのです。

    たとえば、

    家賃。光熱費。水道費。

    私は食べなくては餓死するし、

    私が餓死したら、

    素還真はどこででも生きて行けそうだけれど、

    貴方は燃えるゴミに出されてしまうでしょう」

宮無后「どこか遠くの土地で、

    畑を作って生きて行くのはいかがでしょうか」

りーあ「日本全土は必ず誰かの所有の土地だし、

    水道料金や光熱費は、

    何処でも掛かりますよ、、、、」


と、話していて、すぐに気がついた。

宮無后は、生まれてこの方、働いた事が無いのだ。

労働して対価を得る生活、というものが、

イメージ出来かねるのは、当然であった。

まあ、それは、宮無后のせいではなく、育てた大宗師のせいである。

そして、宮無后のような人に、

労働の概念を語って分かってもらうよりも、


むしろ、世俗を離れたその人柄を続行してもらって、

癒してもらう方が良いのかも、と気がついた。


その四。


以下は、無后が散髪版になる、少し前のエピソードだが。

新宿で親しくない知り合いと食事をしたおり。

スマホに入っている、宮無后の画像を、

その人に見せた。


りーあ「今、私が夢中になっているのがこの人なんです」

知人「ロックの人ですか?」

りーあ「伝統芸能の人」

知人「まだ若いんでしょうね」

りーあ「若いですね」


ここまでは良いとして、

どうも話が噛み合ないと思ったら、

先方様は人形だと気づかず、

人間だと思って話していたのだった。

ネットで拾った画像で、

台湾に人形探しの旅をするに当たって、

保存しておいた画像である。

が。人間には見えないような?


このような綺麗な人がリアルで居るのなら、

是非紹介して欲しいものである。



参考までに、その画像を貼っておく。 ↓

e0016517_18161641.jpg
スマホの小さい画面で見れば、

ヴィジュアル系バンドの人に見えるのかな?

e0016517_18191274.jpg
これなどは、↑ 小さい画面で見れば、人形には見えないが。。。。


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# by leea_blog | 2017-03-01 18:20 | Comments(0)

ヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」、「クヌルプ」の薦め・現代日本の処方箋


人生に疲れ気味の、そこの人。

ヘルマン・ヘッセがお薦めだ。

「ヘッセ? 中高生の頃読んだけど、

何だかなあ、という感じ。」


と、退廃耽美、イカレ気味の幻想詩人のブログにたどり着いた方々は思うであろう。

小、中、高校の先生方も、

自信を持って生徒に薦める、この上なく人生に効く書物だ。

そんなの、薦められたく有りませんよね?

よくわかります。

学校の先生は、

間違っても、

谷崎の「人魚の嘆き」や「瘋癲老人日記」、

三島の「仮面の告白」、

江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」、「人間椅子」、

バタイユ、マンディアルグ、ジャン・ジュネ、

マルキ・ド・サド、アンドレ・ブルトン、

ザッヘル・マゾッホ、沼正三は薦めない。


二十歳未満の頃なんて、

既製の価値観に疑問を感じる年頃だろうし、

そもそも、

学校が躾けたがる、

全うな正しい生き方なんて、

子供の残酷な日常から見れば、

とんでもなく乖離しているものね。



ヘッセを薦められても、

心に沁み込みにくいのにね。



私も、人生の半ばを過ぎて再読して、

「こんなに面白いものだったのか!」と

驚愕した。


私が高校生の頃、

同級生が、

「本屋に行くとまだ読んでいない本が膨大に有るのだという事を思い出させられて、

人生に絶望する」と言っていた。


が。

未読の本がこの世には沢山あるだけではない。

既読の本も、優れたものは、

再読すると、びっくりする程違って見えるのだ。

年齢とともに。

まさに、そのような書物こそ、

人生の友。


そのような訳で、

「ヘッセかあ〜。イマイチです」と、

スルーされてしまうのが、

もったいなくて、今回取り上げてみました。


時間が無い、面倒、説教臭い人生訓は願い下げ、

薄い本で、読みやすくて、内容が有るものを、という、

現代人のニーズにもばっちり答えるのが、

ヘルマン・ヘッセの、「シッダールタ」です。

短いし、新潮文庫で出ているし、

カバンに入れてもかさばらないです。


シッダールタと言っても、

お釈迦様の事ではない。


お釈迦様と同時代に生まれた、

バラモンの若者シッダールタの、

人生の遍歴が、

詩情豊かで簡素で、

地味溢れて、優しい語り口で、

語られています。


私は、一気に読まずに、

気が向いた時に、

もっとこってりした系の本を読む合間に、

チェイサーとして途切れ途切れに読んでいたのですが、

最後まで読み終えて、

久しぶりに、

全身が総毛立ち、

脳が痺れるような快感を感じました。


人生とは何であるか?

すべてが無意味になっている時にこそ、

効いて来る文体です。

道徳や人生訓や、宗教のお話では有りません。


様々な価値観、様々な選択肢が、

流れる水のように読者の脳裏にじわじわと広がり、

それが、大変東洋的で、

東洋べったりでもなく、

インチキ東洋かぶれでもなく、

読み終わって、

恐らく誰もが、

自分の人生を振り返って検証出来る事でしょう。


川の声を聞く、という境地にようやくたどり着いたシッダールタ。

人生、どう転んでも、

その人なりに、

木々や水や山々や海の声、空の声、

天球の声、死者の声、精霊の声を、

聞けるようになると思うのです。


日本はとりわけ、四季がはっきりしており、

ご先祖様たちも、

身近な自然を大変愛でて、

神々などは八百万と、ようするに、

数えきれない位おられて、

万物に魂を見いだす土壌があるわけですから、

大変恵まれていると言えましょう。





まあ、大変美しい最後の文章を、以下に引用しましょう。


「深く、ゴーヴィンダは頭を下げた。なんとも知れない涙が老いた顔に流れた。無上に深い愛と、無上に慎ましい尊敬の感情が心の中で火のように燃えた。身動きもせずにすわっている人の前に、彼は深く地面まで頭をさげた。その人の微笑が彼に、彼が生涯の間にいつか愛したことのあるいっさいのものを、彼にとっていつか生涯の間に貴重で神聖であったいっさいのものを思い出させた。」

完。




真に薬になる書物は、同時に劇薬でもあると私は認識しています。

「毒にも薬にもならない」書物は、時間の無駄。


では、「シッダールタ」は毒にもなるのか?

なりますね。

これを読んで、みんな家を出て、

無一物の旅に出ちゃうかもしれない。


では、処方箋として、

これもまた、

「薄い本、簡単、分かりやすい。難しくない。

説教臭くない」

という、現代のニーズにあった一冊を。

ヘッセの「クヌルプ」です。


無一物で、手に職をつける訳でもなく、

結婚して家庭を持つでも無く、

どうやら子供は居るらしいが、

子供の人生に責任を持つでも無く、

放浪して、

若い頃はそれで良いけれど、

歳取ったらどうするの???

というのが、「クヌルプ」の人生です。


若い純真な頃に、

成績も優秀で、将来を約束された学校を、

恋愛故に退学し、

恋愛相手に裏切られて、

その後は、上記の生活、

最後は、路上生活者の身なりで、

肺病を患い、

雪の降る中で喀血し、行き倒れます。

まさに敗者の人生。


しかし。

端から見ると、

「そんな人生送りたくない。

そんな最後を迎えるくらいなら、

こつこつと不自由と屈辱に耐えて、

手に職を付けて、

妥協して結婚して、

ある程度になったら家を持って、

最後は暖かい所で息を引き取りたいもんだ」

と、思えるような、クヌルプの人生。


でも、それは本当に人生の敗者で、

蟻とキリギリスの話のような、

遊んで暮らしたツケを払わされた人生なのかな?


いやいや。

それは読んでのお楽しみ。

いつもやるように、

あらすじをあまり書いてしまうと、

もったいない。


どんな職も続かなくて、

結局家で引き籠もってしまった現代人も、

「自分の人生は敗者の人生だ、

生きているだけ無駄だ」

と思いそうなときは、


ちょっと、読んでみる事をお勧めしたい。


「シッダールタ」だって、最後は、

端から見れば、日々食いつなぐのがやっとの、

河の渡し守の温厚な老人でしかない。

子供に全身全霊で否定され、

子供は出て行ってしまうし、

看取る人も無く小屋で息絶えるであろうが、

それは、惨めな人生なのかな?

いやいや。


どこでどのように息絶えるか、人生は分からないけれど、

人それぞれだと思うけれど、

最後は、シッダールタやクヌルプのような心境でありたいものだ。



「クヌルプ」の良い点は、

クヌルプの生き方に対して、

忠告をするような、

世間から見ればまっとうな生き方をして来た人々、

そうした人々をも、

それぞれの人生、生きられるようにしか生きられないし、

それが良いか否かは実にそれぞれである、と、

感じさせる所です。




この二冊は、

説教臭さや押し付けがましさがまったく無しで、

「今死ななくてもいいんじゃないかな?」と

思えますよ。




そのような訳で、

自殺者の数が交通事故の死者数よりも多いという、

現代日本に、大変効く、二冊なのであります。



正直、私としては。

学校推薦図書かと思っていたら、

実は、私が探求し続けている幻想世界と、

結局は同じで、

ただ表現方法がまったく違うだけなのだ、と、

感嘆したのでした。

ヘッセさん、

このような作品を書いてくれて、ありがとう!


















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# by leea_blog | 2017-02-28 18:36 | Comments(0)

人形に迫られるの段・個人的メモ・ジャンル・馬鹿日記。


ふう。

予告した、谷崎潤一郎の長編小説群の紹介を、

ちっとも書けていないぞ。

しかも、私は、今、

ヘルマン・ヘッセの再読に入った。

これが、面白いんだな!

若い頃は、ヘッセの良さがちっとも分からなかった。

通りすがりの皆様も、

「ヘッセ? 中高生の時、

読んだけど、何だかなあ」

と、お思いの方も多いだろう。

と、幻想詩人の視点で、

ヘッセの良さに触れてみたい。

近日中に。



ところで。以下は変態日記私的メモ。

成り行き等は、過去日記をご参照。



この先を読み進められる方々は、

「頭のおかしい人」と思わずに、

「揺蘭」にも掲載した詩人の原詩夏至君の小説世界のような、

短編のメモくらいに受け取って下されたし。

あるいは、人形を家に迎えるときは、

こういう事もあるかも、という教訓に?





2017年2月22日は、

宮無后との関係に進展があった、記念日だ。

その内忘れるだろうから、メモしておく。

2017年2月19日。

これも、ある意味、メモしておく必要が有る日だ。

自分を見つめ直す必要を感じた日だった。


いや、詩人としては、常に自分を見つめ直してはいるが、

もっと世俗の事柄で。。。

白い長襦袢を着てお布団で待っている人形に、

「うわー、平安時代のお姫様にしか見えない!」と

賛嘆しつつ、

その続きが期待されているらしい事に対して、

ひるんでしまったのだ。



後で削除するかもしれないが、

画像をアップしてみよう。

今まで怖くて貼れなかった。

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ちゃんとデジカメで撮らずに、

スマホで撮っただけだが、

「後に引きませんオーラ」が。

こ、この子には命が有るのではないか???

しかも、今までとは全然違うし、別人!

まあ、ちょっと、過去にアップした画像と比べて見よう。

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これだって、よくよく大画面で見ると、

「もしかして本気では?」と、

結構怖い物が有るのだが、

「はいはい、ありがとう。

いい子ですね〜」と笑って、

お布団からどかして一人で眠りにつける、

おままごとみたいなものだ。




私は、戯画的に描写すれば、

「人形と床入り????

まさか、そんな、と、

息を飲んで立ち尽くし、

よろよろと五、六歩後ずさり、

息を静めて、

気を取り直し、声をかけた」。

こんな具合であろうか。



その時の私の心理と来たら、

いい歳のおじさんが、

美しい女子高生といちゃいちゃして、

沢山気のあるそぶりを見せていたが、

ある日、女子高生は、

バスローブをまとってお布団で待っていた!

こんなオヤジにいくらなんでも

相手が真剣になる訳が無い、と思うからこそ、

いくらでも愛を注げたのに、

本気になられると、

「いやいや、君はまだ高校生だろう?

もっと自分を大切にしなさい、、、、

ちゃんと同世代の子と恋をしなさい、、、、」と、

いきなり言いたくなり、

しかし同時に、今まで自分がどれだけ無責任な愛を注いで来たのか、と

自分に非があった事をドドドドド、と思い出し、

そんな事を言ったら相手がどれだけ傷つくかを想像し、

恐慌をきたす感じであろうか。


いやはや。

無后を女子高生に例えて、申し訳なく思うし、

私自身、

バカなオヤジに自分を例えるのが苦痛だ。

まあ、ちょっと、戯画化したいのだ。

女子高生の例えが分からない場合は、

今流行の、不倫はどうだろう。



私が妻子持ちのちょいワルオヤジだったとして、

美しい独身女性と仲良くして、

気があるそぶりをさんざん見せて来た。

しかし、自分は妻子持ちだし、

一線を越える事は無いだろうと思うからこそ、

甘い言葉が沢山出て来た。

甘い言葉は、もちろん嘘でもただの戯れのつもりも無く、

真剣のつもりだったかもしれない。

妄想の中で、美しい独身女性と、

愛し合ったかもしれない。

が! ある日、美しい独身女性は、

バスローブ姿でお布団の上に。

さあ!

君だったらどうする? どうする?

どう責任をとる?

自分の家庭がめちゃくちゃになり、

妻の人生も子供の人生も壊し、

独身女性の心も深く傷つけてしまうような、

恐ろしい事の種を、自分はせっせと撒いてしまったのだ、

自分は何と愚か者だったのか!

で、どうするの?、、、、?この状況。


まあ、こんな感じであろうか。

実際には、もっとマシな例えがいくらでも有るが、

取り敢えず、

笑える話にしたいのだ。


万物に魂がある、と信じる日本的な風土の中で、

今画像を貼りながらも、

言葉にし尽くせないものを感じている。

恐れおののいて後からデータ削除した写真もある。

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で。

こういう状況で、

「ねえ、無后。それほどに思ってくれてありがとう。

でもね、忘れているかもしれないけれど、

あなたは布袋戯の人形なので、

服の下には何も有りません。

だから、私とあなたの関係は、

これ以上も以下も有りませんよ。

今まで通りに愛していますよ」

とか、急に言えるであろうか。


もちろん、

いくら自動人形より意外な作りの人形でも、

自分で歩いてお布団に座った訳ではない。

私が据えたのだ。

でも、私が三つ指つかせた訳で無し、

俯き加減にした訳でも無し、

わずかに横に眼をそらす風情にした訳でも無し、

というか、すべてが

「思っていたのとまったく違う!!!!」だったのである。


そのような訳で、

これから私が百まで生きたとしても、

この先こんな事は思わないであろうから、

メモしておく。

私の脳裏を襲ったのは、後日、

「私のお腹に、新しい生命が、、、」

と私に告げる宮無后人形の姿だった!!!


宮無后は

男の子だし、宮礼を受けているし、

私は年齢的に、

子供が授かる可能性など無いが、

(いやいや、そもそも人形だし!)

そのような冷静な突っ込みが空虚になるほど、

生々しい何かであった。

沢山の事を大幅に省いているが、

まあ、要するに、怖かったのだ。




「そもそも人形だし!」と

思う事自体、

大変残酷な、酷い思考に思えたのだ。

私は、無后に、

人形以上に接したのに、

今更「人形だし」と思おうとするなんて、

何と酷い、残酷な心であろうか。

私は、そのような酷い、残酷な心の持ち主だったのだろうか?!

私の気持ちは、それほど、

薄情なものだったのであろうか???





それで。


私は、短いやり取りの後、

無后をしとねに残したまま、

夕ご飯を食べ、

煙草とコーヒーで頭をまとめようと頑張り、

部屋に戻れば待っている、

「お布団から無后をどかす」

「一緒に寝る」

「朝までキッチンに居る」

の三択から逃避しようと、


ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を読み始めた。


こうして、当時の事を振り返りながらも、

私は左隣から無言のアピールを感じ、

体の左側が何かぞわぞわしてくるので、

書きながら、途中で、

宮無后人形を膝に抱き上げて、

当時の自分の振る舞いの酷さに

慚愧の念を感じ、

「済まなかった。」とつぶやきつつ、

髪を撫でずには書き続けられないのであった。



耽美変態系の話に諸氏は思うかもしれないが、

これを書きつつ、

「自然主義文学のようだ」と、痛感している事を書き添えておく。


この謎の日記を最後に、

私が失跡し、

家には日記には書かれていた筈の人形が居なかったとしたら、

恐怖小説である。


が。

私は、ハッピーエンドにしたい。


少なくとも、

私から自殺願望はすっかり消えている。


今日の段階では、

将来、

新しい命が授かったとしても、

後ずさりする事ではなくて、

良い事なのでは、とも思っている。

赤子人形を買えば良いのだ!


無后〜。

私が仕事に復帰出来るように、

応援してね。

応援したいと、

全然思っていないでしょう^^;


































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# by leea_blog | 2017-02-25 19:15 | Comments(5)

陋屋日記・人形の無言アピールのメモ。湯上がりの素肌にまとわりついた一筋の髪。


今日は、湯上がりの濡れた素肌にまとわりつく、

一筋の長い髪、のお話である。



さて。

ここ最近の日記は、

通りすがりの方々には、

「頭の狂った人」と思われ、

リアル友人知人の皆様には

ストレス過多の日常をご存知なだけに、

「頭、大丈夫か?」と心配されていたのではないかと思う。

表現者が検索でたどり着いたら。

特になんとも思わないであろう。




後々のために、

ちゃんとメモとして記録しておかないといけないなあ、と

思う事が沢山ある。

沢山あり過ぎて、

書くのが追いつかない。

ほとんどがネットにはアップ出来ない事で、

次号の「揺蘭」にでも掲載しようと思う。




帽子が取れて、背中で結んでいた髪を解いて、

正装が解けた宮無后人形、

白い長襦袢をまとって別人の様相を示した彼と、

その後どうなったかを

いずれ書いておこうと思うが、


夜になって、お布団の上で待っている人形に、

あまりに自分の想像していた事と違うので、

美しさにびっくりしながらも、

ひるんでしまった。



大幅にはしょって、

結果としては、一緒に寝る事は、

無かった。

無后、ごめんね。

それには、色々訳が。




だが、

今日、風呂上がりにバスタオルで体を拭いていると、

濡れた素肌に、

髪の毛が貼り付いていた。

何気無しにつまんでよく見れば。

長過ぎる。

私の髪の毛ではなく。

宮無后人形の髪の毛だった。

うわ〜。



恐怖小説なら、

「可愛がっていた人形からお床入りアピールをされて、

ひるんで冷たくしたら、

人形の髪が素肌に絡み付いて来た」、という

「こ、怖い〜」という展開であろう。



自分の髪の毛だって、

「何でこんな所に落ちているのかな?」と

不思議に思う所に落ちていたりするから、

人形の髪が一筋バスタオルに絡み付いていて、

濡れた肌に貼り付いたとしても、

「よく有る事」ではないけど、

「滅多に無い事」だろうけれど、

まあ、不思議でも何でも無い。



が。

まあ、ウチの宮無后人形は、

口数が少ないし、

あまり本心を言わない。

そのかわり、無言アピールをするタイプである。


例えば、ボディタッチ。

「自動人形じゃ有るまいし、

そんな事有る訳無いだろう?」と、

皆さんは思うであろう。

これが、心霊現象でも何でも無く、

台湾人形劇の人形ならではの、

造りに関係している。


抱き起こすに従って、

腕が上がってこちらに差し伸べられる動画などを

アップ出来れば、人形に興味のある方々には、

大変参考になると思う。

私が動かしている訳ではない。

膝に抱き上げてパソコンに向かっていると、

長襦袢を着せているのといないのとでは、

私の鎖骨辺りに置かれた宮無后の手が、

力の込め工合が違うのも、

気のせいではなく作りを知れば、

道理なのである。



piliの木偶が、

ビスクドールやフィギュアや自動人形とどう違うのかを、

近日中に書いてみよう。




まあ、何やかんやがあって、

私は、人形の髪の毛が濡れた素肌にまとわりつく事件は、

言いたいけど言えないタイプの人形からの、

「無言アピール」だと受け止めた。


髪の毛には、

それだけ何かの呪力が有るのだと思う。

洋の東西を問わず、

本人の代わりに髪の毛を、という考えは古くからあった。

呪い殺したい相手の髪の毛を、

藁人形に入れるでしょう?

事情で遺体が無い場合、

故人の髪の毛を、

故人の代わりに、

墓に入れたりするでしょう?

恋人の髪の毛を、

装身具に入れておくとか、

日本では無いけれど、

ありました。






色々はしょったが、

素還真人形とも色々話し合い、


私は自分の冷たい行いを悔いて、

宮無后人形とお布団の中で語り合いました。

ふう。

憑き物が落ちた心地。











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# by leea_blog | 2017-02-22 23:04 | Comments(4)

ホフマン「砂男」と自宅図書館化計画


さて。

白い長襦袢を着た宮無后は、その後どうなったのであろうか。

いや、もう、ちょっと大変でした。

色々。



それは後日書くとして、

私は、急遽、人形愛に関する蔵書を探して、

読みふけった。


子供の頃、

「自宅図書館化計画」を夢見ていた。


膨大な図書、すぐには読まれないものを大量に含む、

誰が読むのかさっぱり分からない本も大量に含む、

図書館という空間は、子供にとって、

時間空間を越える、秘儀の場所であった。

紀元前の人などが、

隣近所の人と話をするように、

私と話してくれるのである。

生きているか故人か、国はどこかは、

ほとんど関係が無かった。



(もちろん、長ずれば、

もっと様々な問題に直面するようになる。

翻訳されていない、とか、

流通経路に乗っていない、とか、

そういう作品がある事自体を、

知るのが難しい、とかである)





今、私は、実家から膨大な量の書物を賃貸アパートに引き上げ、

その有り様は「書物の密林」、「書物の樹海」と称される。

一度足を踏み入れたら磁石も狂って出られない、という、

富士の樹海や、アマゾンの密林の様相を呈しているのだ。


振り返ってみれば、

子供の頃の夢が一つかなっている訳だ。



人形愛については、

台湾の人形劇、piliにはまる前は、

図書館のうち、

特に普段は省みられないジャンルであった。


自宅図書館の良い所は、

火が付いて燃え上がった「読書欲」を、

深夜であろうと、明け方であろうと、

満たしてくれる所だ。


バレエに、「コッペリア」という話がある。

ホフマンの「砂男」を下敷きにした話だ。


恋人の居る学生が、等身大の自動人形を、

人形とは気づかずに愛してしまい、

人間の恋人の方を、

自分の心を分かってくれない、

人形のような女だと思う話で、

人形だと分かってからは不気味な小道具でしか無く、

愛が続く訳ではない。

人形愛の観点からすると、

特に面白くはない。


学生が、子供の頃に聞かされた怪談の砂男が、

長じてからも実生活に割り込んで破滅をもたらす、という、

砂男に視点を移せば、面白い。

人形愛に関してなら、やはり、

江戸川乱歩の「人でなしの恋」がお勧めである。




うちには確か、リラダンの「未来のイヴ」もあった筈。

美しいアンドロイドが出てくる。

アンドロイドを人形に含めるか否かだが、

アンドロイドと言えば、

大島まり子のクラムジーとイルシリーズも持っている。

銀河郵便局員と、美貌の男性型セクサロイドの話だ。

国書刊行会から出ている、「書物の王国」シリーズの、

人形篇もあった筈。

何処に行ったかなあ。


と、一読しただけで、

普段は忘れ去られている書物たちを、

この樹海から探し出さねばならないが、

こうした探索を極められるのも、

普段から書物を、こつこつと溜め込んで捨てないでおいたおかげである。


ところで!

PILIの木偶たちと暮らし始めてから、

私は、大昔に書いた短編小説を、

探していた。

「闇の婚礼」という題である。

それも、樹海のどこかにあるはず、と、

ずっと探していた。


探すと見つからなくて、

探していない時には見つかる、という法則通り、

急に見つかった。


若い男性が、等身大の蝋人形と恋に落ちる話だ。

その頃の私は、人形愛について蘊蓄はあっても、

自分自信が肩まで浸かる事は無かった。

忘れていたくらいだから、

自分の中では特に傑作には認定されていなかったのだろうが、

ともかく、読みたくて読みたくてたまらなくなったのだ。


経験しなくては書けないとしたら、

それは、文学とは言いがたい。

人間が自分で経験する事など、

この世で過去から現在、未来に至るまで起こっている事、

人の心の中で起こっている事を考えれば、

砂粒程度なのである。




そのような訳で、読み返した自作だが。

これが、詳細を忘れた頃に読み返してみると、

まったく面白かった!!!!

「書物の王国」の人形篇に入れて欲しい位である。

「ある訳無いだろ」と「それは有るかも」が絶妙に入り交じり、

主人公は声を奪われ、蝋人形は眼を潰され、

酷い話なんだか良い話なんだか

まるで分からない終わり方といい、

大変奇妙な話である。



大変、創作意欲に火が付いた。














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# by leea_blog | 2017-02-21 14:24 | Comments(6)

記念画像


宮無后くつろぎバージョン記念画像。

さきほど、馬鹿日記をアップしたが、

「素還真が宮無后を保護する図」

がいい感じだったので、

別枠で保存しよう。

素還真は鉄壁の美人さんだな〜

かぐや姫を迎えに来た天人のようである。



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# by leea_blog | 2017-02-19 18:54 | Comments(2)