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詩人同士の交流・楽しい思い出とトラウマな思い出群の事を書くかもしれない予告


snsで詩人の皆さんと細々と交流が生まれている。

私の身近な詩人たちはsnsをやっていない為、

まだ会ったことがない詩人たちや会ったことはあるけれど普段行き来していない人がほとんどだ。


SNSのやり取りで嬉しく懐かしい話を聞いた。

その詩人の父上が私と何度か会ったことがあり、

ありがたいことに当時謹呈した私の詩集もかなり昔なのに家に保存してくれてあるらしい。


私が親子くらい歳が離れた詩人たちと交流する場によく出て行ったのは若い頃だ。


若い頃の私は、文学に真剣すぎるあまり、

本音を言い過ぎたし、傍若無人で失礼な奴だった。


理由は以下。



子供の頃から書いていたゆえ先輩後輩意識、序列意識はなかった。

師事したわけでもなく詩集も詩誌も自費出版の世界だ。

詩壇意識も無い。世間で言うような文壇、画壇とはそもそも全く違う。

年齢差があっても自分なら才能に対して小学生にでも頭を下げる。

互いに自費で活動して、仕事を回してもらう関係性も無いなら、表現者同士は対等である。

私は良い作品に飢えていたし、表現の可能性に真剣過ぎた。



年配者から見れば失礼な奴に見えていただろう。


そんな自分の若い頃を思い出し、今は色々反省している。



SNSの詩人のお父様の記憶が

「西野りーあと会ったって? 何か偉そうな若い奴だったなあ」だったらどうしよう。



が。暖かい思い出だったようだ。ありがたいことです。

年配者は色々苦労もされたはずで、苦労が他者への優しさを育てたのかもしれない。

その詩人が父上を大切に思う理由がわかる気がした。



SNSでのその話題から、

詩人たちと交流するのは色々刺激になったり楽しいこともたくさんあった。

なぜ私はいろいろな集まりに行かなくなってしまったのか、とふと思った。




理由は明確で複数あった。

許容の限界なことが多かったのだ。

トラウマ級のセクハラの数々。



妻子持ちのおじさんたちあるいは同世代が、

当時独身で若くてモテ盛りのワタクシに、



口説くとか異性の好みを聞いて反応を見るとかのコミュニケーションをすっ飛ばして、


文学の話しかしていないのに突然ホテルに誘う、

あるいは文学の話をしながら歩いているのにいきなりラブホに引っ張り込もうとする、

文学の話しかしていないのに「この女は俺を愛していてラブホに行きたいはずだ」と根拠無しに思い込む、

文学の話しかしていないのに「りーあは俺を愛しているはずだ」と妄想して他人に自分のモテぶりを話す、

ワタクシに「いや、その話なら好きな人いますのでとワタクシに断られたでしょう?」と反論されても現実を見ない、


などなどが本当に多く、

その度にワタクシはいきなり氷水を頭からぶちまけられたように青ざめ、

相手が突然醜怪な怪物にしか見えなくなり、内心ガクガクブルブル震えながら、

今後も顔を合わせる人だからなるべく穏便に逃げようと必死に頭を働かせた。



上記のようなことは、社会人をやっている女性の皆さんなら何度も経験していることであろう。


ワタクシとて詩人だから、

人生でうっかり人を真剣に愛してしまうのが交通事故のようなものだと知っている。

恋愛という暴走車に追突されちゃうことは本人にはどうしようもないだろう。

恋愛するなとは言わない。

対象外ならお断りするだけだ。


参考までに。

ワタクシのストライクゾーンは極めて狭く、しかも特殊だ。

同業者は全員、異性に見えていない。




そうしたトラウマ事件は、

恋愛でも何でもない。

口説く手間と時間と金を省略して突然ラブホに連れ込もうとするのは、

単に「タダでやりたい。口説くなんて面倒」なだけだ。



ワタクシに人格や異性の好みがある事を完全無視した、いきなり「タダでやれる肉塊」に見られていた事を知る恐怖。


文学話の話の時間が突然、

髪が薄くなりかけた、非モテ中年ブサデブ・妻子持ち精子脳と向き合っている狂ったシチュエーションに一転

あらゆるコミュニケーションが不可能なブサデブハゲかけ妻子持ちが上目遣いに舌なめずりして目の前に座っている状況の恐怖。



全人格を突然否定され、タダでやれる肉塊に見られている恐怖と怒り。

しかも今後もどこかで顔を合わせるような人。

深層は骨まで痛手を負いながらも脳裏を激しく駆け巡る、

「相手に謝罪と言い訳のチャンスを与えて何とか何もなかったことにできないか」の思い。




あ、あのー。

私の異性の好みや自分がどう見えているかに興味ないなら、

せめて「いくらですか」と聞いてほしい。

繁華街の泥酔親父でも「いくらですかー?」と聞きますよ。



対象外の相手にタダなわけないのだからせめて聞いて。

5分いくらか、答えさせて。



5分幾らかは相手の気持ち悪さで変化するが、

8千万円以下はあり得ない。前払い。




うーん、嫌な思い出は普段は封じ込めているが、

蓋を開けると突然それらが血を吹きながら芋蔓式に出てくる。

骨まで切られて傷が全く癒えていない。


今日はここまで





























# by leea_blog | 2024-02-11 01:23 | Comments(0)

現代詩歌の読書のススメ 加部洋佑氏の第二歌集「未来世」感想



見知らぬ人が「面白そうだな。読んでみよう」と思ってくれるきっかけになることを願って、詩集、歌集の感想も書いていきます。



今回は歌人の加部洋佑氏の第二歌集「未来世」の感想を、なるべくフレッシュな読後感として書きます。


フレッシュゆえにまとまりがないですが、そうした所も「生」。




「評」として成立する文章は沢山目にする機会がありますが、

作家が聞きたいのは、むしろ読後の生の感想、

評として成立する前の生々しく小波立った部分ではないか?



評にした時にこぼれ落ちるような、評者が言葉を選んで整地してしまうような荒々しい部分ではないか?


また、通りすがりの皆様は本を選ぶ時、書評を参考にするかもしれないけれど、


読後の生々しい知人の口コミは大いに参考になるのでは無いか?




そうしたものは顔を合わせての言葉のみで大抵は伝えられるのですが、


コロナ、諸物価値上がり、貧富の二極化の流れで家計がますます力を無くして行き、生で顔を合わせる機会が減りつつあります。


時間も金も体力も足りないよ、という。生きて生産する活力を奪う悪循環。嫌な流れですね、本当。




さて。

「未来世」は2021年9月に発行されました。

今は2024年2月1日。


忘れた頃の感想になってしまいました。


真剣になるほど感想の言葉がうまく出てこず、書き直すうちに機会を逸し、忘れた頃に感想意欲が地表に出てくるいつものパターン。


加えてワタクシは「日本国内共産圏」とでも言いたい、人権や価値観が令和の東京とは思えぬ世界で組織的なパワーハラスメントと戦っておりました。良い本を読む脳の空き容量が足りなすぎ、心が疲弊し果てていました。結局はパワハラ退職し心身のリハビリを始めています。

そうしたわけで読みたい本の山に積んであった加部さんの第二歌集を、ようやく読めたのでした。


第一歌集「亜天使」の、加部洋佑氏以外には書けない表現やイヤーな所を突いてくるイヤーな感覚や、破壊的だったり繊細だったりする表現も磨きがかかり原酒の魅力だったものが清酒の奥行きをたたえた一冊でした。


渾身の凝視が満ちた、互いが関連し合う短編集のような深い味わいでした。

こうした一冊を読めて本当に嬉しいです。



現代に生きる、リアルな、希望の持てない感、生きづらさ感、それでも枯れ果てないようで枯れるが如く鉱物質に研ぎ澄まされていく感性は、闇と冷気の宇宙空間のような未来世を透視します。

宇宙なのだから五十六億七千万年ののちには新たな鍵が生まれるのかもしれません。



生きづらさをそのままあらわにする手法もあるでしょうが、加部洋佑の押し殺したような短歌世界では、行間から立ち上ります。今の時代を生きる苦しさ。それを多角的な手法で言葉を操り、加部世界として確率し、提示し、重い読後感ながら異色の才能であるなと伝わってくるのです。



11首独立して読んでも心に来ますが、

歌集という一冊で読むと、やるせなさや虚無感、どうにもならなさの合間に生々しい色彩や感覚が混じり、

だんだん食事を取らなくなって死因さえもはっきりせず亡くなった後輩や、やはり亡くなった年下の歌人、家で介護できなかった祖母の死がおりまじり、それが、

希望や熱の未来が見えないにしても自死を選ばない書き手の生き方の、やぶれかぶれにもなれない知性の苦しさに、死を悼む優しさが混じります。


そして最後に白鏡に向かう百首に収斂していきます。古今の和歌に通じ、研ぎ澄まされた言葉の感性を有し、宇宙に夢や可能性よりも無音の冷たい闇の広がりを直視する歌人。短編小説集のような読後感があります。



個人的に好きな歌を以下に並べてみます。


ちょっと数が多くなりましたが、読んでみると通りすがりの皆様の胸に届く歌もあるのでは無いでしょうか。








夢に浮くるり色をせる球体に罅のはいりて鳴り響く夜明け


たましひの孤児を攫へよばらの花びらは薔薇のはなびらに抱かる


限りなくつづくはずなどないのだが進めば進むほど砂の中


時間から剥離されにし主観とふ影自らが自らを向く


真実の貌(ルビ かたち)に氷るまでの〈美〉を死より静けく楕円がめぐる


色 にほひ 時間 救ひ を漂白し命ならざる〈美〉が氷けり


透明な骨と骨とをぶつけ合ふ音の聞こゆる冬の夕ぞら


うす寒き卵のなかで青光る鍵にぎりしめ倦む 四十年


透明な卵の中にとうめいなひよこはねむる惑星〈ルビ ほし)のなきがら


眼の乾くまでパソコンを視ておれば朝が言葉の向かうから来る


二十一世紀のぼくら歌の闇まりあの如く孕み継ぎ来つ


子孫繁栄断念の果て血に染まる稲穂かきわけ雷に撃たれよ


すり切れし批評性一枚肛門に隠してふゆの河泳ぎ来つ


光線の火傷に疼く人面を一まい毟るコバルトの穹


花にまで成り果てるかほ悲しみは土を掘りても土があるのみ


かほ無くば表情は無しびらびらと無季なる風に散れる皮フかな


かべに棲む貌のさだまらぬかげがこちらがはへの鍵さがすらし


らく日にひときは燃えあがりへ屋のすみよりよるはせまり来


いきてゐるものへの恨みたへがたしにく体ならぬ手にてかべ掻く


あけがたの鏡をしんとみておれば襖かげより手がつきだしぬ


せい神がとかげのようないきものへ分かいされて壁あなにきゆ


かべの穴からもどりこし精しんはそしらぬかほでかげを見ており


神主はおろか巫女すらをらぬ屋の鏡百枚なべて北向き


曼珠沙華歩みだしけり群なして白紙ひろげし日昏れの上を


雪の野の鳥居の奥のもみぢの界双眼鏡で覗き込むなり


はつ雪のふる神域に踏み入りてどんぐり拾ふ罠にかかりぬ


虹に紐引つかけ首を吊る猿が曰く「お前らを殺しにいく」


先の世の記憶をもてば猿夢も四回見にき虹のあけぼの


竜骨はいま透き徹る鳥といふ穹ゆく舟の対ふ月の出


来世へと至るガラスの回廊にあは雪のふるあかるさに在る



注 おきまとはせるしらきくのはな の章は記号を使い初霜が降りた白菊の花を視覚的に表現

凡河内躬恒の和歌を下敷きにしている 現代美術と志位加入号的な、ハッとするページ


戦争をしてゐないのに日本ではなぜこんなにもひとが死ぬのか


近頃はものも食べずに寝てゐるとガラケー越しに聞きし七月


病院に行けとあれほど言つたのに行かざる末の夭折の夏



注 安井高志「水底弔歌」への返歌、水際にて はどれも秀逸


早朝の白き春月、水際には水にあらざるもののきはまる


すこしづつさくら翠に染まるころ君は下りゆく水の階段


日のひかり浴びてぼくらは生きて来つ届かぬならば亡びるばかり


春月やクレーターすらくきやかに水際にて聴く水底弔歌


手でつくる狐と狐組み合はせ異界へつづく〈窓〉をひらかな


どのような思ひで君はひらきしか死後の未来へつづくこの〈窓〉


何故君は実演せしか図版なら他いくらでもあつただらうに


雨の夜の向かうにたぶん君はゐて雨は上がらず夜も明けない


祖母の声 祈りに祈り重ねても思ひ出せなくなりつつあるらし


清潔なぼくの手にては介護などできず施設に祖母を死なせり


「人生はリセットできぬ」教育者しづかに悟る独房の中


ゆめのはて命擲つことなくばぼくの歌魂も暗きに還る


この坂を春のわた雲とぶ夕べそらの中までつづく街灯


生まれ来るまへに視てゐしばくだいな闇と時間へかげを発たしむ


さらはれてゆくぼくである境界を越えてましろき鏡のまへへ


生きてても生きてなくてもおそらくは死を視るほかにすることもなし


ぼくのきはいつになつたらくるふのか白鏡みていちにちくらす







それにしても。

意外や幻想文学をテーマにするワタクシからみると。

「未来世」は狐窓で亡くなった人と目を合わす懐かしくも不思議な場面や、結界の中に見える違う季節の異界などが特別な効果を出していました。



作者が現実に引きこもり生活をしておられるのか否かは不明として、引きこもる生活のやり場の無さ感の合間合間に、懐かしい異界の体温と光景が、未来世の鉱物質の宇宙的視点に、湿度や柔らかい光を感じる血の温度をはけで淡彩を描くように感じさせてくれました。


また異界の恐ろしさ危険さも伝わってきます。日常と隣り合わせの異界。そうした視点からも、今後も旺盛な活動を楽しみにしている歌人です。






# by leea_blog | 2024-02-06 11:26 | Comments(0)

予告・加部洋佑氏の第二歌集「未来世」感想


気合を入れて読みたい書物ほど、

読めなかった時期がある。


サイコパス率高い職場で組織的パワハラに遭い、書物に対峙する精神力がボロボロだったのだ。

そんな状態で向き合いたくない大切な本が沢山ある。


正式に退職して、だんだん人心地がついてきた。


歌人の加部洋佑さんからご恵与いただいた歌集「未来世」。

感想を近々アップします。


詩歌はなんとなくわからない、敬遠してしまう、という通りすがりの方も多いのでは?

感想や雑談に交えて詩歌の面白さ、どうとっついたら良いかなどなど、

手に取るきっかけになりそうなことも書いていきます。




# by leea_blog | 2024-02-03 21:50 | Comments(0)

書物と絵の道具で足の踏み場が無い「ミニマリスト」



先週予定していた台湾茶の会は、関東の大雪警報を受けて一週間延期、今週末になりました。

来客があると片付けを始めます。


いつも綺麗にしておけばこんな苦労はないのですが、

そもそも狭い!ので片付けにも限界があります。


YouTubeで片付け、掃除のモチベーションが上がりそうな動画を毎日見ながら、

毎日少しづつ片付け・掃除をしていきます。


掃除は

「やらなくちゃならない」と思うと辛いですが、

「やらなくちゃ損!」と思うと、

毎日こまめにできると言われます。


「掃除をしているときは無心になる。一種の瞑想だから心身に良い」。

それはいいかもですね。

「瞑想でもするか」のノリで「掃除でもするか」。


よく、「要らないものを捨てられれば片付けの8割は完了も同然」、と言われます。



書物や絵の道具や最近始めたカスタムドール作りの道具や材料で足の踏み場が無い我が家ですが、

足の踏み場が無いほど散らかっていても、

これでも「ミニマリスト」なのです。


食器も衣類も最低限のものを使い回し、

物を買うときは「本当に必要か」悩みに悩んで買いそびれ、

「やはり買うことにしよう」と別の日に出かけるくらい、

要らないものは家に入れません。

冬しか使わないこたつや暖房器具、加湿器は20年以上ぶりに今年購入したくらい、

徹底しています。



賃貸住宅ですからね。

いつ引っ越ししなければならなくなるかわからないし、

最低限のものだけにしておけば引っ越しが楽じゃ無いですか?



なそれなのに、なぜ足の踏み場が無いのか!?といえば。


生活に必要なものは最低限の使い回しです。が、



書物や絵の関係や作品やコレクションや、要するに、表現活動に必要なものが、

それも最低限にしてあるのですが、

都内一人暮らし用賃貸では収納不可能なのです。



書斎とアトリエと作品収納部屋が本来必要なのに、

居間で全部やっているから一見「汚部屋」に見えるだけです。


これでも大きな絵や額は実家の押し入れに置いてきました。


そして。

やることリストを作っていますが、

メモのリスト以外に、

やることの順番待ち要員として、

書物は読む順番ごとに目に入るようにしておいたり、

絵に関してもインスピレーションが湧くように色々広げて目の隅にいれます。



自分の頭の中では全然散らかってないのです。


そうは言っても、

来客が有るときは何日もかけてスペースをやりくりします。



それにしても都内賃貸は狭くて高いな。。。。













# by leea_blog | 2024-01-25 23:31 | Comments(0)

台北サッサージ事情・最近編


昨年、クリスマスシーズンに突如台北に行った。

あれだけ通っていた台湾なのに、コロナで行けず。

通常化になった後は飛行機代がコロナ前の2倍から3倍で行けず。


その間、パワハラのストレスが溜まって自分でもわかるほど骨格が歪み、

筋肉は緊張続きが慢性化しており、自分ではどうにも力が抜けない。

国内の整体にかかると

「はーい、力抜いてくださーい」

「先生、これでも力抜きまくっているんです」

「こんな筋肉硬いお客さん滅多にいないですよ」

的なやり取りが展開されていた。



こ今回の四年ぶりの台湾行きの目的は「転地療養、気功師にみっちり診てもらう」それだけだった。


短い滞在期間にいつもお願いしている整体マッサージの先生に通い詰めた。

しかもクリスマスシーズンに急に台湾行きが決まったため、

ホテルが取れないこと取れないこと。


金さえ出せば空室はあります。

が!

ドミトリーのベッド一台が一万円もする足元見過ぎの価格設定のクリスマスシーズン、

そんな実態と価格が合っていない物に金出すくらいなら、

マッサージとお土産に注ぎ込みたい。


女性だからセキュリティーもある程度しっかりしたところに泊まりたいし、

ホテルを点々とすることになってしまった。



さらに。ご主人様の不幸に対抗するように幸運をくれる、丹夫人に続く三夫人。

三夫人も同行しているため荷物が大きいのだ。

今回の台湾行きは三夫人からのプレゼントのような物だ。

連れていって労をねぎらいたい。


例によって枝葉の話から始まっているが。


四年ぶりの台湾、整体マッサージ。


そのようなわけで日本での疲労度マックスで台北に着いたのに大きな荷物を抱えてホテルを移動、

整体に通う間は「疲れたー。今日はサボりたい」と思う日もあった。



が!

4回通っただけで全身の歪みがかなり改善!

皆様。台湾にはマッサージ屋が多いです。

でもね、日本で言えば美容院と同じ。

本当に腕のいい先生はそんなにたくさんはおらず、

腕のいい先生を指名すればお高くなります。


それでも言いたい。

「気分を味わいたいなら別として、不調を何とかしたいなら先生格の人を指名せよ」



過去日記にも書きましたが、

上手い人とそうでは無い人の差は雲泥の如し!


エステに行く前に上手な整体マッサージにかかろう!的に効果覿面。


上手な先生を見つけたら、同じ先生を指名しよう。

「自分はいついつまで滞在します。あと何回来ればこの不調が改善しますか」的に相談して、

先生側にも不調を把握してもらって、計画を立ててもらおう。



日本の上手な先生も同じだが、

上手い整体マッサージの先生は無駄に儲けようと思って連日通わせることはない。

日本のうまい先生も

「先生、まだ首の後ろが重いです。明日も予約したほうがいいですか」と聞くと

「施術は一通りやったから一晩様子を見てそれによって決めましょう」。



そして。重い石が詰まっているような感覚は、一晩熟睡して目覚めると、解消していたのだった!


台北の上手な先生も、日本の上手な先生も、

背術の後、骨格や筋肉が、本来の形に戻ろうとする力を刺激してくれて、

時間経過後もじわーと「治り力」が働き続けるところに特徴がある。



台北から帰る頃には空港のガラスのドアに映った自分の姿勢が「フライトアテンダントかな」と思うくらい綺麗だ。

帰国してからもしばらく骨格や筋肉がじわじわと本来の健康な形に戻ろうとしているのがわかる。




ホテルのレセプションで綺麗な日本人女性二人連れが会話していた。

「角質取りすると不調も良くなるよ。本当にスッキリ」


角質取りもスッキリするよね。

しかし! 皆様は「足の角質取りなんて綺麗にはなるが不調と関係ないだろ」と思うであろう。



多分歩き方が悪い人は偏った角質のたまりを方して、角質が間違ったインソールのような効果をしてしまい、

骨格に負担をかけているからではないかとワタクシは思う。


角質取りだけで不調が治るとは思えない。が。

「みんな蓄積された不調解消を求めているのだなあ」と感じた会話だった。




高ストレス社会で疲労困憊の皆様。

飛行機で三、四時間の台湾へ。


整体受ける、北投温泉入る、歩く、栄養バランス良いものを毎食食べる台北で過ごせば

日本での悪い習慣にも気づくし、心身が活性化します。













# by leea_blog | 2024-01-22 23:46 | Comments(0)