一足遅いバレンタインデー


バレンタインデーが近づくと、
都内デパートには、
チョコレートの特設会場が出来て、
普段食べる機会のない高級チョコレートが、
これでもか、と居並ぶ。

どこのデパートの会場も、
女性たちが詰めかけて大変な熱気だ。

女性たちは、
主に自分へのご褒美用に、
熱心にチョコレートを見繕う。

今年は行かないうちにバレンタインデーが終わっていた。

残業続きでヘロヘロ、
バレンタインデーなど忘れていたのだ。

そして。

疲れを癒そうと、
チョコレートを買い置きして、
日常的に食べていたので、
チョコの祭典を思い出さなかった。

日常的に食べていたのは、
冬季限定の、ロッテのラミーだ。

ラム酒味のレーズンが好きとはいえ、
安いチョコレートだけあって、
満足感は少ない。


ちゃんとチョコ職人が作るチョコレートと、
スーパーで売っているチョコレートとは、
まったく別物だと思う。

チョコ職人が作るチョコレートは、
一粒、二粒で、
とても満足感が生まれる。



自分へのご褒美を忘れたのはいいとして。

うちの人たちへのプレゼントを忘れたのは、
ちょっと申し訳なかった。


うちの人たちには、
バレンタインデーの習慣は無いけれど、

まあ、日頃の感謝の気持ちを贈る、といいますか。


遅ればせながら、
たまたま買い置きしてあったチョコレートを、
進呈した。


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書物の樹海の守り神、
素還真。

あれー?
こんなに綺麗な顔だったっけ???




# by leea_blog | 2019-02-16 22:02 | Comments(4)

まれびと冊子【揺蘭」15の見どころなど・その5


一年に一回、まれびとのようにあなたの日常にすべりこむ、
幻想詩誌、「揺蘭」。

15号も、永久保存版的な内容です。

昨年から15号の内容のご紹介をしているところです。

ブログ内検索で、
まれびと冊子「揺蘭」、とご検索頂くと、
過去日記が表示されます。

今回は、横山克衛氏のご紹介です。

横山さんは、詩人で画家です。
長年、詩人たちによる絵画のグループ展を主宰していました。

世俗と離れた、
どこか謎の学者風のお人です。

横山さんと知り合ってから、
随分長いはずなのですが、

ワタクシも、氏がどのようなお人なのか、
ほとんど知りません。

揺蘭に作品を寄せる執筆人は、
目先の流行に流されない、
独自の作風を持っている詩人ばかりです。

横山さんは、
わかりやすい言葉を選んで、
不思議な世界を紡ぎます。

柔らかい言葉を使っているけれど、
芯に哲学者的な味わいが有り、

いわゆるほのぼの系とはまったく違う世界が展開されます。



横山さんの誌面には、
既刊詩集の紹介コーナーがあります。

(揺蘭では、
各執筆人が、自分の持ち分のページ内で、
自由に、既刊詩集の紹介をしたり、
イラストを添えたりします)


ーーーー
旧刊紹介『詩と物語 雨の日に・・・』「研究室の思い出」から

「君、こんな風に、中がほんのり光っている鉱石なんて、見たことがあるかね?」

「ありません」

「そうだろう」

教授は、嬉しそうに云った。

「わしは、これは魂の化石ではないかと、思っておる」

「魂?」

学生の島田まさみは、キョトンとした。そんなものが化石になるはずがないのは、小学生でも分かると思った。それに、そもそも魂などという物質が、存在するのか?

ーーーーーー


中がほんのり光っている鉱石を検分する研究室の教授。
情景を想像してみると、
不思議でマニアックな香りがしますね。

教授の見解では、それは、
「魂の化石」!

学生の心中のツッコミと合わせて、
ほのぼのした筆致で、
不思議な世界が語られます。




続きが気になる方は、
横山さんの詩物語集を取り寄せてみてください。







# by leea_blog | 2019-02-16 18:17 | Comments(0)

陋屋日記 布袋戯の木偶のお手入れ


三連休が終わった。
とほほ。

iPhoneが壊れそうである。
長年使っているので、
バッテリーが寿命のようだ。

仕方なく、
新しいiPhoneを見に出掛けた。

た、高い!!!
物凄く、高い!

十万前後するのである!

一生物というわけでもない、
消耗品のスマホに、
そんなに払うのか。。。。

値段にひるんで、
帰って来てしまった。


パソコンの方も、長年使って、
いつ壊れてもおかしくない。

パソコンは、正直、無しでは暮らせない。
依存してしまっているのだ。

天気予報も、
日々の報道も、
銀行の口座管理も、
すべてパソコンだ。

スマホは、正直、
待ち合わせのとき位しか使わないから、
なくても良いのだが、、、、

会社員をやっているため、
緊急の時に連絡がつかないのは、
ちょっとマズいであろう。。。。


と、いつものように本第に入る前の雑談が長くなった。


本題は、台湾の布袋戯の木偶の、お手入れである。


湿度の高い台湾生まれの木偶にとって、
寒くて乾燥がひどい日本の冬は、辛いであろう。。。

部屋の湿度を上げるため、
洗濯物を室内干しにしたり、
色々と工夫をしている。

二人居る木偶のうち、
素還真の方は、
髪がそれほど劣化しないのに、

宮無后の赤い髪は、
去年メンテに出して張り替えたばかりなのに、
毛先から劣化の兆しが見えている。

もしかしたら、お湯につければ、
元通りになるのかもしれない。

が!
お湯につけると、湯気で他の部分が高湿度になりそうで、
とりわけ、煌びやかな服、これはどう見ても色落ち色移りが激しそうで、

お湯にトライする勇気がない。

そこで、
ペーパータオルに水を含ませ、
髪に水気を与えてみた。

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服が湿って、白い下衣に赤い色が移ってはいけないから、
髪と服の間にバスタオルを敷く。

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濡れたペーパータオルで濡らしたところ。

良い具合にぱさぱさが直って来た。


やはり乾燥し過ぎだったのであろう。









# by leea_blog | 2019-02-11 20:21 | Comments(8)

陋屋日記 悪天候は強制休養の日


三連休だ。

今日は、都内でも雪、との予報だった。

予報に反して、
ほとんど降らなかった。

乾燥が酷かったので、
ちょうど良い湿気、程度であった。



東京の交通機関は、
雪にとても弱い。

すぐ遅れたり止まったりしてしまう。

北国の人々が聞いたら、
「それくらいの雪が何で問題なの???」と、
びっくりするような弱さである。


そして、交通機関だけではなく、
東京の人々も、
雪に不慣れだ。

転倒する。

雪の翌日は、路面が凍結して、
これもまた大騒ぎになる。

降った雪が日陰にしばらく残り、
これも不評である。


東京の交通機関は、
普段は分単位のダイヤを守って、
精密機器のように正確だ。

働く人々も、
分単位で時間を守る。


普段正確で緻密なものだから、
ちょっと狂いが生じただけで、
玉突き式で困った自体が発生するのだ。


人生も似た感じかもしれない。

人生は、しかし、
不測の事態の方が圧倒的に多い。



そうした訳で、
雪の予報を受けて、
私も外出を控えていた。


眼を閉じると眼裏にチカチカ光が点滅する位疲れていた。

ちょうど良い「休養する口実」が出来たのだった。


朝寝、入浴、マッサージ、昼寝、読書、人形とひたすらいちゃいちゃ。


やることが山積しているのだが、
今日は忘れよう。














# by leea_blog | 2019-02-09 20:53 | Comments(2)

陋屋日記 人形愛


「人間に恋はできなくとも、人形には恋ができる。人間はうつし世の影、人形こそ永遠の生物」
(江戸川乱歩 「人形愛」)


私は、これを、↑

「人間はなかなか恋愛出来ないものだ。

そんなに頻繁に熱愛していたら、社会の制度が崩壊するし。

まともに恋愛せずに生涯を終える人もいるのではないかな。

人形は、違う。

彼ら彼女らは、恋愛するのだ。

人間よりよほど深淵に関わる存在だ。」


という感じにとらえていた。



実際のところ、上記は、

ウチの人形に押し切られた感じで相思相愛生活に入ってみると

とてもよく分かる。



「乱歩は偉大だ! 短い言葉で大胆に人形愛の本質を突く」

と、

思っていた。


が。


「人間相手に恋はできなくとも、

人形相手になら恋ができる」、


という意味も持たせてあるのかもしれない。


いやいや、

普通の人は、

後者の読み方をするのかもしれない。















# by leea_blog | 2019-02-02 22:38 | Comments(4)

まれびと冊子【揺蘭」15の見どころなど・その4


一年に一回、まれびとのようにあなたの日常にすべりこむ、
幻想詩誌、「揺蘭」。

15号も、永久保存版的な内容です。

昨年から15号の内容のご紹介をしているところです。

ブログ内検索で、
まれびと冊子「揺蘭」、とご検索頂くと、
過去日記が表示されます。

今回は、天野英「詩的イメージをこそ」をご紹介します。

詩人の天野英さんとは、
日本詩人クラブの詩の会で知り合いました。

天野さんが少人数の人たちを前に、詩の講話をしているところだったのですが、
詩の生まれる、
理屈や表層理解ではどうにも届かない場所について、
わかりやすい言葉で話しているのが、
強く印象に残りました。


ヘタな詩を評して、
「行分け散文」と言う事があります。

「散文詩」という、「散文の形式」をとった詩の形もありますので、
「散文形式が悪い」という意味でもないのです。


詩っぽくしようと、
行を分けただけでは、
詩ではないし、

散文のように行を分けなくても、詩になります。

美しい言葉を駆使するから詩なのでもなく、
難しい言葉を使うから難解、というわけでもないのです。

詩とは、では、どこが散文と違うのか。

ワタクシは、
「詩の形でしか表現出来ない何かが、
発芽して来た時に、形を与えるもの」、

と、思います。

ただ、
「詩とは何か」に関しては、
様々な言い方が出来て、

ワタクシ自身も、語る相手との距離により、
言い方や表現を変えています。

一番実際に近いのが、
「結局、詩とは、神々のようなものだ」、です。

時代や人によって、
「詩とは何か」が違う、
人を超えたところに源泉が有る。

一生をかけて追求しても、
答えが出ない。

まるで神々みたいではありませんか?

と、上記は、ワタクシが普段、思っている事です。


天野さんは、
詩が生まれるあたりを、
ムーサイの力が働いている、と表現していたのでした。

ムーサイとは。
ギリシア神話の、芸術の女神たちです。

古代の詩人たちは、
詩の神が、自分に語ったり、
自分を通して語る、
そして、
語る力を与えると考えていました。

現代人は、
「自分の努力と才能」だけで創作すると考えます。

努力と才能、自在境に達するまでの修行。

それは大事。

でも、それだけだと、
一人の人間が感受出来るものなど限界がありますので、

神々から力を与えられた詩人に比べて、
栄養が足りません。。。。


ワタクシは天野さんの話を聞きながら、

誤解や揚げ足取りのリスクを承知で、
「本当の事を言う」詩人だなあ、と思ったのでした。


難しい言葉で詩の理論を述べる詩人は、沢山居ます。

天野英さんは、
わかりやすい言葉で、
「詩的イメージ」を語ります。


リルケの文章が引用されています。

「詩は言葉の踏み入ったことのない空間で生起します。なににもまして言いあらわし得ないのが芸術作品です。」
(リルケ「若き詩人への手紙より」)


エドガー・アラン・ポオの言葉も引用されます。

「人には満たされざる渇きがある、その渇きに働きかける水晶のような泉に触れたいのだ、この渇きは、人間が永遠の存在であることにあり、同時にその証なのである」
(ポオ評論集より)



天野英は語ります。

「そういうことを感じるとき私は、ムーサイ(詩神)の働きによると、言うことにしている。私を超えたあるものの働きのことです」



「人間の知性に於いて、詩の本源的なところのことは把握したり、理解されたりすることが出来ないことなのだ。詩は人に理解されるようなものではないのだ。」

まったくその通りです。

承認欲求が強くなっている現代人。

詩人も、「理解されたい」と思う人も多いはず。

詩の根源的なところは、
もっと大きな、深淵の部分にあるんですね。

人間の脳で、「知性」を司る部分など、わずかですよね。


今後も天野さんに、こうした情報発信をし続けて頂きたいものです。








# by leea_blog | 2019-01-27 14:23 | Comments(2)