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詩的映像と楽の音、神話の時間/silence 『サイレンス』  モフセン・マフマルバフ監督

美は人を癒す。ついに手に入れました。

『サイレンス』。イランのモフセン・マフマルバフ監督の映画作品だ。瑞々しい詩的映像とほとばしる楽の音。

美少女ナデレーの華麗な民俗衣装は、平安時代の貴族のごときシルエット。姿も此の世の者離れして美しいが、所作も美しい。

特筆すべきは、音楽。雑踏に紛れる楽の音に魅かれて、主人公の盲目の少年コルシッドはついてゆく。そして道に迷う。残忍だが美と躍動に溢れた此の世の迷路に。少年に寄り添い導くナデレーは人に身をやつした精霊か。楽器職人の親方の所にいるが、仕事と言ったら職人達に水を配る事、少年の調律の手伝いをする事くらい。四つに分けた神々のようなお下げ髪と、優美な衣装、色を差した爪は、工房の下働きというより王宮の侍女見習いか高位の女官の娘。はたまた王女か、巫女。精霊。

そして赤い衣の巡業の楽士。少女と同様に、此の世の者ならぬ気配。
人柄も音楽脳とでも申しましょうか。浮き世離れしております。家賃を払わないと大家に追い出される、という主人公の差し迫った状況に、「君の家に行って大家さんに演奏を見せて許してもらおう」と解決策を提示するのでした。にこにこしつつ。「みんな音楽はすきだよ」、と。コルシッドやナデレーのような子供すら、大家が音楽よりもお金を愛しているのはわかるのに。

そんな提案は此の世の現実に効果は無いよ、と言わんばかりに、コルシッドのお母さんは大家に、荷物ともども家から出されてしまうのだ。そして、コルシッドは遠くに行く決心をする。残されたお母さんはどうするのだ? 楽士達に馬の音楽を頼み、その音楽に合わせて駿馬の如く水際を走り去る盲目のコルシッド。

さて、その赤い衣の楽士。良い物を聞き分ける心を持つ者を、楽の音で引きつけ、そのままさらって神隠しに遭わせてしまう精霊の伝説のような。

古来、妖精、精霊が人間をさらう場合、どうでも良い者は選ばない。さらわれる者は、彼らの世界と美を理解する能力を持った、選ばれた者なのだ。

攫うほどアグレッシブでも無い巡業楽士は、此の世でも浮世離れした生き方で、金も追わずに水辺で動物達を呼び寄せる。オルフェウスか。サイレンスは、それらの意味で、神話の原形に忠実な作品とも言える。

神話伝説嗜好が無くても、もちろん堪能できる。立ち並んでパンを売る女たちの華麗な映像、くだもの売りの娘らの衣と瑞々しい果物の映像、チャイハネで悠久の時間の一部のようにお茶を楽しむ人々、チャイハネで歌う吟遊楽士、バスの中の美しい小学生、民俗楽器を学ぶ子供たちの色とりどりの姿、市場の情景、水際で鏡を見る民俗衣装の美少女、それらをぼんやり見ているだけでも素晴らしい。

有る物から美を抽出する、生き生きとした感性。本来の力を蘇生させてくれる。

エイガ・ドット・コムにリンクを張っておこう。http://eiga.com/movie/1653/critic
by leea_blog | 2009-06-13 16:17 | Comments(0)
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