「《虚空を通って》きた一冊の本。
僕はポンプで吸いあげ、上澄みを集めて、それを別にする。 あり得たかもしれないもの、省略されたものの、神秘な美しい重みを君は知っているか? 余白と行間、アルジェモーヌ、そこには犠牲の蜜が流れている。」 「この本全体—実際これは一冊の本と言えるだろうか?—、その湯打つな駄弁、その矛盾の数々、その奥処からあらわれてくるもの、病人のようなその視線、僕は、これらの秘密を君に解き明かすことができる。 ペルシケール、死に先立って、君は何度も死ぬのだ。そのたびに君は、君が最後の死とともに沈んでゆくあの終局的な地方から吹いてくる風を、身に受けるのだ。」 【上記、ジャン・コクトー『ポトマック』澁澤龍彦訳 より】 蔵書の中。一度読めば、読んだことを忘れない本が大半だが、読んだこと自体を忘れている本もある。 学生時代は貧しかった。本を買う資金が足り無すぎた。読みたい本の内、一部の本しか手元に置けなかった。本たちはあまりに早く絶版になり、大図書館でしかお目にかかれなくなった。 そんな苦すぎる経験があって、小金を得る身になってからは、後悔するよりは迷ったら取り敢えず確保することにした。読む時間が無くても、手にはいるときに手に入れた。そのおかげで、いわゆる“積ん読”状態の本もあるのだ。 蔵書を再読中、読んだことをすっかり忘れていて、初めて読んでいると思いこんでページをめくる内「あ、読んだことある」、と思い出して驚くことがある。 内容を忘れることはあっても、読んだこと自体を忘れるなんて。ま、得をした気分にはなるが、歳を取ったものだ。
by leea_blog
| 2005-09-24 12:57
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