飛び入りで朗読なんて、得意な人のほうが少ないだろ!、と即座に突っ込みが入る。
詩人は、俳句短歌と異なり、その場で作品を構成する訓練を積んでいない。 詩が発芽する瞬間は、本人にもわからない。自分の過去作品でさえ、そらでよめる物は少ないだろう。 ワタクシも、昨年の独演!俳句ライブで飛び入りをしたが、余程の事が無いと、やらない。いや、正確には出来ない。 朗読スタイルが、巫女さん系なのだ。日常からいきなり朗読音域には入れない。 普通に読むだけなら出来るだろうが、それならワタクシが読む必要が無い。 朗読前はぴりぴりする。ぴりぴりしないと、思うような朗読が出来ない。 「うまくよめなかったらどうしよう」という緊張とは、違う。「人前に立つのが恥ずかしい」という感覚とも違う。 巫女さんモードに移行しつつあるのだ。 何をしても落ち着かない。正直を言えば、逃げ出したくなる。わずかな「生の時間」の為に何日も前からぴりぴりするのは、割に合わない。と、しばらく朗読から遠ざかっていた。 次の日曜は、辰巳泰子氏の「へいけうたのあかり」。平家物語史に残りそうな催しの前座で朗読をする機会を頂いたのは、心より光栄である。 自分の内部に源があるのではなく、外部に、日常のその向こうの、しかし日常と地続きの、異界に源がある、ワタクシの必然性。それを見つめてみたい。
by leea_blog
| 2009-10-26 22:28
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