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『高畑勲アニメ作品に挑む講談&浪曲の会』と生の場の力

高畑勲アニメ作品に挑む講談&浪曲の会
声だけで、あなたの心と脳、揺さぶります。

神田陽司(講談)講談版「母を訪ねて三千里」
玉川七福(浪曲)浪曲版「平成狸合戦ぽんぽこ」
ゲスト 高畑勲(アニメ監督)
11月7日(土)午後一時開演
武蔵野芸術劇場 
詳細は神田陽司さんのサイトで。

http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/index.html

リンクさせる方法が分からないので、コピー&ペーストして出かけて見てね。

と、宣伝しているが、単に「へいけうたのあかり」の鼎談で同席したから、というのではない。

物語る、物語られる、という事や、生の場の力とは、等、常々考えているところに、日常空間をすぱっと物語化する芸人さん(詩人とは対極にある)の魔術に接した。

一般的には「講談? うーん、ちょっと関心湧かない」という感じで、接する機会さえ無いと思う。「現代詩?何それ。あいだみつおみたいなの?」という感じと似ている。

氏は文学から歴史、哲学、宗教、時事ネタまで幅広い知識と思索を土台に、創作講談をしている。講談のイメージを覆し塗り替えつつ邁進中の、稽古を重ねたエネルギーの余波にワタクシは接したのだった。

辰巳氏の鼎談では、講談の歴史はいつごろなのかという問いに、「アルタミラにさかのぼる」との話が出た。自分がしとめた獲物の話を皆にする、という。私は「アルタミラは祈り、呪術としての表現」だと思っている。一見全く違う事のようで、語る事の呪術性、祈り、は、見事に一致した。これは、生の現場の、氏の語りの力であった。

生の場の力。
作品は印刷され、ネットで再現され、買い物もクリック一つででき、見知らぬ他者とはチャットで交われる現代。生の場に足を運ばなくても画面に向かうだけで済ませられる時期。朗読イベントがどのような意味を持つのか。「その場の気配」は、人間という動物には本来必須の、飲む水のようなものだ。

アルタミラの一件は、生の場の力を再確認させてくれた。

高畑勲アニメ作品に挑む講談&浪曲の会のキャッチコピーに、
「声だけで、あなたの心と脳、揺さぶります。」とある。

観客はプロの手腕に安心して身を委ねられる。脳が揺さぶられるのは、まったくありがたい。このストレス社会、そんな事はそうそう無いからだ。

役者のような朗読ならその道のプロに任せておきましょう、と思う自分の、幻想詩系の朗読イベントについては、思う事が多々有り過ぎるため、また後日。
by leea_blog | 2009-11-03 14:01 | Comments(0)
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