普段聴かないような言葉と物語の断片を、 飲み物片手に、気楽に聴いていただこうと思っている。 言葉は、長く引っ張ればみな母音に還ってしまう。 言葉が音楽に乗って、紛れて散るのを、無国籍の神話を聴く心地で聴いていただければと思う。 「幻想系の詩は一行目で挫折する」、というお客様もいらっしゃると思う。 理屈で理解しなくとも良いのが、朗読イベントだ。 今回は見送ったが、「エルフ語」の詩も朗読候補に上がっていた。 エルフとは、北欧神話に出てくる、神と人間の中間的種族だ。 エルフたちの音楽的な言葉として、「指輪物語」の作者トールキンは、エルフ語を創造した。 エルフ語だから、日曜のイベントで読んだ所で、誰一人意味が分からない。異国の言語に接する時には、意味は当然わからないから「気配を聴く」のだ。異国どころか、人間ではない「異種族」の言葉で語られる詩を読もうとしていたのだ。 それを前提に聴けば、言葉を追おうとするより、気配を何となく聴く、という聴き方の面白さを想像していただけると思う。 アラブの吟遊詩人のCDを聴いても、ワタクシの語学力では意味は分からない。 古代メソポタミアに飛ばされて祭事の巫女さんの朗唱を聴いたとしても、わからない。 古代ギリシアに飛ばされて、ディオニュソスを讃えて歌い踊るのを聴いても、わからない。 「言葉の意味を追おう」とすれば、皆、「わからない」で終わってしまう。 むしろ、言葉の意味を追わなくて、気配を聴けば、表層的な「わかる・わからない」では届かないものが聞こえてくる。 私の朗読は、上記のような立場から始まったものだ。 公用語だけで16以上あるといわれる国を気候にやられながらさまよい歩き、高熱でうなされている時に聞こえてくる、土地の楽の音。日本語が堪能である事など何の意味もなさない異国で、片言の英語も意味が無く、地元で入手した辞書を必至でたぐりバスの切符を手に入れる時間。長距離夜行バスが闇の中に止まる度に耳を打った、火のような楽の音。 小説の朗読会なら、意味を伝えることは実に重要だ。 詩の朗読は、上記の、「日本語が堪能」であることが意味をなさない時間に放り出された時に使う脳の部分で、気楽に聴けると良い。意味を追いたいと思ったら、それも気楽に追えばいいし、あとでテキストで読もうと思えば読める(あとで朗読者に声をかけて「テキスト読みたい」、と言えばいいのだ) 私自身が、アポロン神を讃える古代の歌や、エルフたちがいくさの吉凶を占う為に即興の詩吟に合わせて剣の舞いを舞うのを眼にし、耳にしたいと思っている。アイルランドのダーナの神々の宴に紛れ込みたいと切望している。そうした時に使う脳の部分で、接せる朗読時間にしたい。
by leea_blog
| 2009-12-05 00:32
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