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妖異の時代 その3



詩人以外のお客様が大半、という朗読イベントは、実の所、ワタクシ主催では初めてである。

同業者にいらしていただくのは、勿論ありがたく、気合いも入るが、詩人以外のお客様に対しては、別の緊張感が生まれる。詩人は詩の世界を知っている。突っ込みも厳しいだろうが、詩表現への共通の認識事項がある。書いていない人に聞いていただくのは、何も土台が無い所から聞いていただくわけである。突っ込みも何も存在せず、単に落胆、ということもある。

りーあの朗読会だからりーあの支持者が来てくれるだろう、と思ったそこの人。
そんな結構なことは、無いのでございます。りーあさんがいい人だということと、表現が良いと思う、ということは、まったく、イコールではないのでございます。

話はずれるが、義理で読んで下さる方にも支えていただいていると思うものの、本当に面白いと思ってくれる人の手に届けることは、時々「無理だ」と思う。単純に情報発信センスの問題だ。私自身は、作品を紡ぎだす事には熱心だが、他の方に手に取って頂くことにまで頭が回らないタイプだ。
そんな中で、【揺蘭】を他の方にも見せて下さったり、薄い冊子から様々な事をくみ取って足を運んで下さった方がいらしたのは、頭が下がる。またがんばらなくちゃ、と思える。ありがとうございます。

話は戻るが、とりあえず出かけて見よう、と、忙しい12月に時間を割いて下さった方々が、「時間の無駄だった」と率直に思うことも有りうるのである。私も出かけてみたががっかりすることも多々有るので、よくわかる。

しかも、ワタクシの作風は、みんながほっと出来たり、みんなが人生をしみじみ噛みしめたりできる作風ではない。だいたい、妖異の時代百物語、なわけだから。

それでも、心に何かさざ波が立つ、という感覚を、お伝えしたいのである。何かしらの、足を運んだ甲斐を感じていただきたい。

足を運んで下さった方からのご意見やご感想を賜り、その暖かさに密かに深ーく頭を下げている。

詩人は女優でも無いし歌手でも無い。そうではないことに誇りがある言霊空間。歌手や女優なら、お客様を楽しませる。詩人は言霊を解き放つ。楽しいことを目的として居ないステージゆえ、暖かく真摯な感想を多数賜ったのは、心に響く。

舞台裏の話をすれば、ゲストの相沢正一郎さんも音楽担当さんも、力の限りを尽くして下さった。
全力だった、と聞いて、それも嬉しく思う。ナマモノなだけに、必ずしも全力が出るわけでは無いからだ。

ところで。
それほど広い空間ではないので、マイク無しでもいいのではないか、その方が表現の幅が広がる、とのご意見も頂いた。

するどい。指先が宙をなぞりたくて困っているのを見て取っている。

確かに、マイク無しでも声は届く範囲だ。
だが、普段肉声で朗読することが多い為、音質にこだわる相方がいる場合(今回のように)マイクを使う。
機械を通すと、微細に声に変化がある。生では出ない音である。

以前は「気配」重視で、微細な音質にはそれほど注意が行かなかった。
田中一夫氏とリハを重ねる内、スタジオ録音もしたのだが、音へのこだわりが素人の私には、スタジオでのリハとカラオケルームでのリハの差がわからなかった。「スタジオじゃなくてもいいんじゃない?」というわけである。氏に指摘されて聞いて見ると、スタジオでの音はカラオケルーム、つまり通常の部屋とはだいぶ違った。サムライでの朗読は、サムライという空間ならではの音になる。

そうしたわけで、「声」を音として聞いた場合のこだわりも加味して、マイク使用となった。
そうした選択も、音への感受性が高い人とコラボレーションした果実である。

ただ、身体の表現の幅は制限されるので、また考えて行こうと思う。

サムライのマスター、独演俳句ライブの主、宮崎二健さんが撮ってくれた写真


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by leea_blog | 2009-12-08 21:33 | Comments(0)
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