密林に埋もれかけたアンコールワット、といったていの、実家に出向いた。
借り手候補様に中をお見せするためである。 通勤圏ではあるが、体力の無いワタクシには「香港日帰り旅行」でもした気分である。 実家に埋もれている貴重な絶版本を幾つか救出し、今回は母親の着物も一部救出してきた。 とりあえずハンガーに掛けて風を当てているところだ。 包んであった呉服屋の和紙も、すっかり日焼けして、広げれば砂ぼこりと塵が舞い上がり、まさに廃虚からの発掘、といった態であった。 娘が大学中退しなくてはならないくらい金銭に余裕が無い家庭だったが、昭和初期の生まれの母は、それでも着物を何着か作った。 凄まじく美しい布を見てきたワタクシの目には、それらの着物は、人生を踏み外させる程の力は持たない。それでも、普段着付ける洋装には無い、奇っ怪な何かがひしひしと伝わってくる。 まず、持ち主の念が籠もっている。 柄と色彩の選択は、母の好みを聞きながら呉服屋が行ったのだろう。沢山の反物の中から、予算や用途を考え考えチョイスしていく、母と呉服屋の姿が眼前に現れるようである。既製品の洋服には、この過程が決定的に抜けている。 「それで、結局一回着たきり? 汗染みも付いてるし、着物の管理能力もないじゃん」 と、娘はブツブツ言うわけである。 これは、七五三の着物が借り物だっただけでは無く、成人式の着物すら作ってもらえなかった長女の怨念が入っているセリフだ。美味しいものでも何でも、家の母は子供より自分が優先だった。天然女王様である。 「だいたい、着物だけじゃなくて、洋服だって管理できないじゃん。ネットも使わず洗濯機に放り込めば、毛玉だらけになるに決まってるじゃん」 と、さらにぶつくさ言う。ワタクシが自分の給料で買った結構な代物を、一回の洗濯で台無しにされたことが何度もある。ワタクシが自分で洗濯すると、私の目の前で母は洗い直すのである。 親との同居が解除されたのは、私にとって横暴な占領軍がようやく撤退したような心地である。 いや、亡命に成功した元共産圏の学者の気分か? 一番近いのは、親が勝手に決めた結婚相手に我慢し続け、晴れて離婚が成立した忍耐妻の気分だ。 実家にいた頃は、黒い服は着られなかった。大変似あう色であるにもかかわらず、葬式みたいだと親が嫌ったのだ。それでも買うと、着て家を出る間に、延々と嫌味と嘲罵が投げられるのである。 一人暮らしを始めて、黒い服を着ても文句を言われず、指輪を付けても嫌味を言われず、食べ物の味付けをけなされることなく好きなものを食べられるようになった。 母のことで思い出すのは、そんな楽しくない話ばかりだが、それでも、こう、着物を眺めていると、ちゃんと手入れして母が着たいと言ったら着せてあげられるようにしておこう、と思ってしまうのは、着物にまとわりつく「何かの気配」の為である。 母は、着物のことなど特に覚えていないかも知れない。執着が有って作った、というより、小さい町ながら呉服屋が有り、世間話をする内に何となく作ることになった、といった流れだろう。それでも、誂えられた着物は、持ち主を持っている気配がする。 籠もっているのは母の念ではなく、昔の、物が歳を経る内にそれ自体の念を持つようになる、という、妖怪譚の支流の支流に連なっているのかもしれない。
by leea_blog
| 2010-02-07 00:03
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