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呪術としての日常/和装

帯揚げが無ければシルクのスカーフで代用、
帯締めが無ければリボンで代用、
襦袢の代わりにジム・トンプソンの絹ガウン、
半襟の代わりにバリの金糸混じりの帯。

と、いうぐあいに、和服も、「衣そのものを楽しむ道具」と捉えれば、すんなりワタクシのバリエーションに組み込まれるのだった。

アンティークは好きなので、ネットで帯を仕事用のシャツよりも安く買い、
結んで見れば。

可愛い。
考えてみれば、帯は、大きなリボンを胴に巻いて背中でリボン結びのアレンジを楽しむようなもの。

もっぱら自宅で、女装を楽しむ女装男子のような気分で、布地の妙にクラクラ来ている。
外出となると、女装男子の如く、まだちょっと勇気が要る。

伝統ある衣類なだけに、格式にウルサイ人々に
「非国民」呼ばわりされてもおっとり構える心の余裕が必要だ。

自分で色々な物を発見できない頭の構造の人は、
他人が決めたルールを守ることに熱心で、自分以外の人にもそのルールを守らせようとしがちである。
一種の宗教のようなもので、それらは「良識」というより「思い込み」なのだが。

宗教のようなものだから、狂信的な人もいる。
二十年も昔だが、男性は職場で煙草を吸っても、女性は給湯室などで、つまり男性の目に入らないところで吸うのがマナーだったのを思い出す。
私の職場ではそうした風習は無かったのだが、民間の女性達からは「それは貴女が公務員だから許されるのだ」と口々に言った。

うぁぁぁぁ。怖い、なにそれ。
どういう意味があるの、そのマナー。
つーか、人権って言葉知ってる?

と、戦慄したのだが、まぁ、着物がらみでも、外国に言った時並みのよくわからない作法等がてんこもりなのは知っている。着物が苦手だったのは、着物そのものと言うより着物にまつわる様々な面倒が苦手だったのだ。

私が若い頃は、着物にハイヒールを合わせでもしたら、多くの老若男女が、自分の村が襲撃された時のようなリアクションをしたものだった。

しかし、今は。
着物にブーツも可である。
長襦袢を着ずに、洋服の上から着物を着られる類いの、襟だけインナーも売っている。

衣を楽しむ心を忘れては、呉服産業も食べて行けない、まずは「着物は洋服同様、楽しい」と分かってもらうことだ、との風向きになってきているようだ。

はぁ〜、ほっとする。このままいけば、ワタクシも夕食のおかずを買いに着物で出られるだろう。
by leea_blog | 2010-03-05 23:55 | Comments(0)
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