家庭内プチ和服生活をしている。
いかにも、「布を楽しむ」と言った感じで、色彩、質感、たっぷりした感じが、癒しにつながる。 私が着ると、「コスプレ」にしか見えない。 「水商売のおねえさん」にも見えない。 近所に惣菜を買いに行くと、 「素敵ですね、お稽古ですか?」と聞かれる。 そうか。習い事の帰り、という設定もあったのか。 「ええ」と適当に相づちを打っていると、 「何を習ってらっしゃるんですか?」と追い打ちが。 「お茶」や「お花」と答えられればいい。 しかしまるで無関心のお茶やお花では、その後の会話が続かない。 「俳句」「短歌」もいけそうだが、 私は「詩の住人」だし。 大体、「文学」は、「習い事・お稽古」でどうにかなるものではない! 探求の道だ。 人から教わるものではない。 商店街のおばさんが、愛想よくしようと話を振っただけなのに、 私は適当に答える事が出来ず、往生した。 重ねて問われた。 私は小声で、答えた。 「えぇ、絵を少し。。。。。。。」 絵も、お稽古でどうにかなるものではないだろ!!!!! 絵画教室の、生徒達の絵が構図も色彩もぜーんぶ似たり寄ったりなのを見るのは、 気持ちが悪すぎる。 「こう描けば、上手と思われます」、というノウハウのてんこ盛り。 とはいえ、絵画教室は普通に存在するし、突っ込みをスルーする道具には調度いい。 「えぇ、詩を少し」と答えなかった自分に、何とも言えない物を感じた。 「お稽古ですか」という質問じゃなかったら、 「えぇ、幻想詩を少し」と言っただろう。 「まぁ、紬ですね。最高のおしゃれですね」と愛想よく褒めてくれた後に、 「何か“探求”していらっしゃるのですか?」、と続いたら。 「えぇ、詩を少し」、とスムースに会話が進んだであろう。 人々の日常に、「習い事」はごろごろ転がっていても、 「探求」や「人生を捧げている」ものは、ごろごろ転がっていない。 買い物時の日常挨拶では、「探求」「人生捧げる」は話題として重すぎるしね。 軽いコミュニケーションをしようにも、軽い話題の種が意外と揃っていないな、と痛感した。
by leea_blog
| 2010-05-11 14:03
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