詩人とコピーライター、作詞家の違い

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 俳人の宮崎二健さんが作って下さったFacebookの告知ページ
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コピーして貼り付けてお飛び下されたし。


ところで、過日の日記の、
「わからない」だが。

なぜ「わかるもの」に書き替えないのだろう、と、
詩人以外の方は思うかも知れない。



「わからない」と言われて書き直すのは、
作詞家やコピーライターで、

おのが信じる道を突き進むのが詩人だろう。

わからないと言われて書き直す性分だったら、
今の私は居ないし、今の作品は無い。


子供の頃から、作品を周りに見せると、
右の人が批判した部分を左の人が称賛する、
左の人が批判した部分を右の人が称賛する、
そういう事が多かった。

では、どうするか。
自分が自分の厳しい教師になり、
自分が自分の厳しい批評家になるのだ。

自分自身が納得できる物を書く、あるいは描き続けなければならない。



親は私の作風を「暗い」と言ったが、
同級生にはそこそこに回し読みされていた。

親が買ってくれた書物や文学全集で、
時代も違う見知らぬ人の作品が、
すとんと自分に入ってくる経験をした。

文学は、砂漠で倒れた時に手の先に有った一杯の水だった。
そして、私はいつの時代の誰とも知れぬ人の渇きを救う為、
作品を書き続けていた。


他者様のご批判やご称賛は大変有り難い。
これは、真実そう思っている。

(ご批判は、実の所、自分に厳しいタイプの私なので、
他者様から更に批判されても、あまり益がない。)



ご批判ご称賛は有り難い、無いと悲しい。

だが、それでメシを食うなら別だが、
逆にお金を払って作品を発表しているわけだから、
他者様のご意見で作品が影響される事は無い。



そこが作詞家、コピーライターと決定的に違う所だ。

作詞家やコピーライターは、擦れ違いざまに耳にしても
引きつける何かが無くてはならないが、
詩は、10年後に「あの時のアレはこうだったのか」と分かるのでも良いのだ。
逆に昔は面白かったけれど、
何年も後に読み返したらつまらなかった、では駄目なのだ。




正直、時代を越えた作品を書ける人は僅かだと思う。

なぜなら作品は、
遠い時代に砂漠の廃虚で見つかった時にでも、
誰かに何かを送れなければならないのだから。
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by leea_blog | 2012-05-22 20:34 | Comments(0)
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