俳人の宮崎二健さんが作って下さったFacebookの告知ページ ↓ http://www.facebook.com/events/232697103510694/ 当ブログはクリックで飛べないようになっている為(セキュリティーの関係)、 コピーして貼り付けてお飛び下されたし。 ところで、過日の日記の、 「わからない」だが。 なぜ「わかるもの」に書き替えないのだろう、と、 詩人以外の方は思うかも知れない。 「わからない」と言われて書き直すのは、 作詞家やコピーライターで、 おのが信じる道を突き進むのが詩人だろう。 わからないと言われて書き直す性分だったら、 今の私は居ないし、今の作品は無い。 子供の頃から、作品を周りに見せると、 右の人が批判した部分を左の人が称賛する、 左の人が批判した部分を右の人が称賛する、 そういう事が多かった。 では、どうするか。 自分が自分の厳しい教師になり、 自分が自分の厳しい批評家になるのだ。 自分自身が納得できる物を書く、あるいは描き続けなければならない。 親は私の作風を「暗い」と言ったが、 同級生にはそこそこに回し読みされていた。 親が買ってくれた書物や文学全集で、 時代も違う見知らぬ人の作品が、 すとんと自分に入ってくる経験をした。 文学は、砂漠で倒れた時に手の先に有った一杯の水だった。 そして、私はいつの時代の誰とも知れぬ人の渇きを救う為、 作品を書き続けていた。 他者様のご批判やご称賛は大変有り難い。 これは、真実そう思っている。 (ご批判は、実の所、自分に厳しいタイプの私なので、 他者様から更に批判されても、あまり益がない。) ご批判ご称賛は有り難い、無いと悲しい。 だが、それでメシを食うなら別だが、 逆にお金を払って作品を発表しているわけだから、 他者様のご意見で作品が影響される事は無い。 そこが作詞家、コピーライターと決定的に違う所だ。 作詞家やコピーライターは、擦れ違いざまに耳にしても 引きつける何かが無くてはならないが、 詩は、10年後に「あの時のアレはこうだったのか」と分かるのでも良いのだ。 逆に昔は面白かったけれど、 何年も後に読み返したらつまらなかった、では駄目なのだ。 正直、時代を越えた作品を書ける人は僅かだと思う。 なぜなら作品は、 遠い時代に砂漠の廃虚で見つかった時にでも、 誰かに何かを送れなければならないのだから。
by leea_blog
| 2012-05-22 20:34
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