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板橋区文化祭「詩のつどい」続き。潜在的な需要



詩のつどいの続きである。

ところで、

「現代詩」関係の集まりにいくと、

新しく入って来る人を求める声が多い。



例を挙げれば、

現代詩人会や日本詩人クラブや、

このたびの詩のつどいである。


平均年齢が高いのであります。



しかし、

「現代詩」という括り以外の所にも色々顔を出してみると、

若い人も結構います。

「誰々さんも詩集を出している」、という話は、

日常でよく聞きます。

でも、「現代詩」という括りではないのです。



現代詩といわず、「詩」なら、

書いている人は多いと思う。

詩集を出している人も、多いと思う。


何しろ、本にするだけなら、

印刷代も安い時代だ。

それゆえ、

「若い人が少ない」と言う場合、


相手に何を求めるか、によって違ってくる。


これは、大変重要です。




文学としての詩は追求していないけれど、

書く、と言うなら、ネット上を見るに、

日記に何行かの詩を書く人は多いです。



私がはじめてインターネットに接続したとき、

パソコンを教えてくれた人が、

「詩」で検索してはいけない、

なぜなら膨大な結果になるし、

それはりーあが求めている物では全くない、

と言われた。


インターネットにしたのは、いつだったっけ?

かなり以前であります。


つまり、書いている人は多いのです。



そして、潜在的需要の具体例として、


私は詩集を出す前には、

「詩都」という詩誌に参加して、

詩や短歌を書いていた。



「詩都」の構成員は、

いわゆる現代詩の詩人たちとの交流を、

特に希望していなかった。

それぞれが、自分の詩のあり方を追求していた感じであった。


詩都のメンバーは、私よりだいぶ年上だった。

詩を書いているにもかかわらず、

いわゆる現代詩の人々と距離を置きたい理由があったと思われる。



詩都のメンバーに誘われて参加した、

総合文芸誌「水脈」でも、詩を書く人が居たが、

同様に、現代詩の世界と交わりたいとは特に思っていないようであった。



つまり、私の周りには、詩を書く人が沢山居たのだ。



そのような訳で、

結社や同人誌の会合には行きたくなくても、

今回のような、区主催の催しなら、

色々抵抗感が有るのも理解出来るが、

立場を超えて、交流出来るのではないか。


文学を愛する者として、ふらりと来て、

詩の話をするのには適していると思う。



















by leea_blog | 2015-10-26 00:59 | Comments(0)
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