谷崎潤一郎「人魚の嘆き」筆致に酔いしれる、という事

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どろどろとした日常を浄化しようと、再読にはまっている。

そのような訳で、
今回は、谷崎潤一郎の、
「人魚の嘆き」「魔術師」を再読した。

この二篇が収められた中公文庫版は、
水島爾保布の挿絵が素晴らしく、
一家に一冊は持っておきたい。

両方とも、短編で、すぐ読めてしまうが、
大変濃厚である。

人魚の嘆きは、
以下の文で始まる。

「むがしむかし、まだ愛新覚羅氏の王朝が、六月の牡丹のように栄え輝いていた時分、支那の大都の南京に孟世ちゅうという、うら若い貴公子が住んでいました。
この貴公子の父なる人は、一頃北京の朝廷に仕えて、乾隆の帝のおん覚えめでたく、人の羨むような手柄を著す代わりには、人から擯斥されるような巨万の富をも拵えて、一人息子の世ちゅうが幼い折りに、世を去ってしまいました。すると間もなく、貴公子の母なる人も父の跡を追うたので、取り残された孤児の世ちゅうは、自然と山のような金銀財宝を、独り占めにする身の上となったのです。」

貴公子の名前、世ちゅうは、ちゅうの字がパソコンに入っていないため、ひらがなとなりますが、本では漢字です。

と、上記のように、大輪の花が開くかの、
悠揚迫らざる筆致で、
物語が始まります。

悠揚迫らざる、というのも、
近頃使われなくなった言葉ですね。

ゆったりとしてこせこせしないさま。落ち着いているさまを言います。

まさに六月の牡丹。

巨万の富を残して親が亡くなれば、
親戚縁者や関係者が、
飢えた狼の如く襲いかかってむしり取るであろう、
と、現実は、そうなのでしょうが、
ここは、谷崎マジックに酔いしれて、

巨万の富を得た美しい貴公子が、
どのような人生を歩むか、見て行きましょう。


この貴公子は、「勉学を積んで世の中を良くする」等という事は考えません。
谷崎潤一郎の小説の登場人物ですから。

華美と享楽の世界に生きます。

「金はいくらでも出してやるから、もっと変わった酒はないか。もっと美しい女はいないか。」

「こういう風で、次から次へと絶えず芳烈な刺激を求め、永劫の歓喜、永劫の恍惚に心身を楽しませようという貴公子の願いは、なかなか一通りの酒や女の力を以て、遂げられる訳がないのでした。」


生身で、修行をする訳でもなく、永劫の歓喜や永劫の恍惚を得たいと、金をつぎ込む貴公子、谷崎の小説の登場人物の、ある種の到達点だと思います。

しかし、刺激は、続くと、麻痺します。

それは、いい歳をした私からみれば、
「美を楽しむのに単に浪費している」ためだと思うのですが、

まあ、このお話では、幼くして躾けてくれる両親を失い、歯止めの利かない享楽を手に入れた、そういう設定ですから、

貴公子は新たな刺激を求めながら、ある程度以上になるとその上はなかなか得られず、豪奢で懶惰な生活を送ります。

そこへ、貴公子の噂を聞いた一人の紅毛の異人が、高価な商品を携えて、訪れます。。。。。

それは、人魚でした!

紅毛の異人は、人魚を納得のいく値で買ってくれる人を探して、貴公子の噂を、ある商人から聞きます。異人の言葉は、以下。


「その商人の話に依ると、私の人魚を買いうる人は、南京の貴公子より他にはない。その人は今、歓楽のために巨万の富と若い命を抛とうととして、抛つに足る歓楽のないのを恨んでいる。その人はもう、地上の美味と美色とに飽きて、現実を離れた、奇しく怪しい幻の美を求めている。その人こそは必ず人魚を買うであろうと、彼は私に教えたのです。」

ここで表現された貴公子像、これは一種、地上の美味美色を味わい尽くした耽美的人種が渇望する世界かも知れません。

思い返せば、小学校時代。

平家物語にはまり、その世界、そして太平記をも味わった、私。

限界のある人間世界のお話に、疲労して、もっと根源的なものを求めました。

それが、「神話伝説」でした。

貴公子が神秘と幻惑に活路を見出すのは、私もたどった道でした。

しかし、地上的なものに飽きた訳ではなく、
活路が欲しかったのです。

ちなみに、神秘と幻惑は、私にとって、
逃避や頽廃では有りませんでした。

「新たな命の泉」であり、「真理の一つ」だったのです。

まあ、大輪の花の頽廃ぶりの谷崎の貴公子とは、ちょっと違いますが、
傾向として、大変分かります。

そして、人魚の、この世のものならぬ、人間ではない美しさが、存分に描写されます。谷崎の小説ですから、人魚も、背徳の性も持ち合わせています。

これほど貴重な生きものを金に交感しようとする異人に、貴公子はいぶかしさを感じ、問いますが、異人が言うには、西洋では人魚は珍しくない、との事。

貴公子の懶惰と頽廃を尽くして行き詰まった生活は、一気に活路を見出します。

そして、以下のように言います。

「私は西洋というところを、そんなに貴い麗しい土地だとは知らなかった。お前の国の男たちが、悉くお前のような高尚な輪郭を持ち、お前の国の女たちが、悉く人魚のような白皙の皮膚を持っているなら、欧羅巴は何という浄い、慕わしい天国であろう。どうぞ私を人魚と一緒に、お前の国に連れて行ってくれ。そうして其処に住んでいる、優越な種族の仲間入りをさせてくれ。私はもう支那の国に用はないのだ。



うはー。欧羅巴崇拝!

まあ、現代日本人からすると、色々問題はあっても、「日本最高!」という理由が沢山ある訳です。

日本文化の妙を知っていた谷崎が、西洋崇拝していたというより、
当時は、欧羅巴も「異界の一種」で、
ここは、「アルフハイムに連れて行ってくれ」とか、「オリンポスに私を連れて行ってくれ」と置き換えられると考えた方が正しい気がします。

「南京の貴公子として世を終わるより、お前の国の賤民となって死にたいのだ」

賤民でいいなら、可能な事であり、
貴公子はこの世で金では買えない価値観を手に入れた事になります。


最後は、以下の言葉で終わります。

「船は、貴公子の胸に一縷の望を載せたまま、恋しいなつかしい欧羅巴の方へ、人魚の故郷の地中海の方へ、次第次第に航路を進めているのでした」


貴公子を待ち受けているのは、おそらく過酷で、幻滅もある生活でしょう。
もしかしたら、人買いに騙されて、売られ、手足を切られて見世物小屋に出されるかもしれませんね。

それでも、その、ハッピーエンドではないかもしれない、
金に換えられない何かを得るかもしれない、
ハッピーエンドかもしれない、終わり方。

いずれにしても、
描写は美しく、香り立つ、咲き誇るような文体で、
乾いたのどが潤されるような、短編です。

どうも、現代の小説は、
アイデアが重視されているようで、

文章そのものの味わい、筆致に重きが置かれていないようで、
文章そのものの味わいが好きな私は、のどの渇きを覚えます。





長くなったので、「魔術師」は、
別の日に。












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by leea_blog | 2016-12-25 20:20 | Comments(2)
Commented by ROSSA田中 at 2016-12-27 19:15 x
久々に美しい文章とともに非日常を味わうことができました。最近ココロが乾いてたことに気づきました。ありがとう。次も楽しみにしております。
Commented by leea_blog at 2016-12-27 20:27
ROSSA田中さん ちょうど、この二週間以内、私のサイトのリンクに貼ってある、朗読を聴き直し、「我ながら凄く良いではないか!」と振り返っていた所です。
こういう、良いコラボが出来たのも、足利ライブに始まる、田中さんのおかげです。
揺蘭執筆人の横山克衛さんが、
「次の詩集には朗読のCD付けたらどうですか?」と、ますます本が売れなそうな助言をしてくれましたが、
チャイハネのイメージを共有出来る、田中さんのご尽力が大きいですね。
また語り合いましょう!
「魔術師」篇も、近々書きます。こちらは、人がびっしりの雑踏、たとえば、上野の花見、場合によっては、通勤ラッシュ時も、ともかくたくさん人が歩いていると、
私は、谷崎の「魔術師」を思い出すのです。
楽しみにして下されたし。
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