谷崎潤一郎の初期短編に、「麒麟」がある。 きりんは、中国の伝説の霊的な獣で、 聖人が現れる時にすがたを見せるとされる、瑞獣である。 孔子が、衛の霊公を訪れたエピソードが元になっている。 が! 品行方正な人は、立ち入り禁止である! 谷崎潤一郎の短編は、 濃密な悪魔的美の世界が構築されており、 お薦めである。 初期の作品では、 有名な「刺青」も素晴らしいが、 この短編「麒麟」も、大いにお薦めである。 美しい、鍛えられた文章で、 残虐と耽美が描かれる。 中国の春秋戦国時代。 孔子と弟子たちは、 遊説の旅に出る。 老子の門弟との遭遇を経て、 衛の国の都に入る。 その都の有り様が、以下に語られる。 「其の人々の顔は餓えと疲れに痩せ衰え、家々の壁は嘆きとかなしみの色を湛えて居た。其の国の麗しい花は、宮殿の妃の目を喜ばす為に移し植えられ、肥えたるいのこは、妃の舌を培う為に召し上げられ、のどかな春の日が、灰色のさびれた街をいたずらに照らした。そうして、都の中央の丘の上には、五彩の虹を縫い出した宮殿が、血に飽いた猛獣の如くに、死骸のような街をみおろして居た。其の宮殿の奥で打ち鳴らす鐘の響きは、猛獣の嘯くように国の四方へ響いた。」 のどかな春の日差しと、圧政に死骸の如くなった街、 五彩の虹を縫い出す、血に飽いた猛獣の如き宮殿の対比が、 生きた絵のように広がる文章だ。 さらに、其の宮殿の奥で打ち鳴らす鐘の、まがまがしさ。 その都に入ってきたのが、聖人孔子と、その高弟たちゆえに、 まがまがしさが際立つ。 「由や、お前にはあの鐘の音がどう聞こえる。」 と、孔子はまた子路に訊ねた。 「あの鐘の音は、天に訴えるような果敢ない先生の調べとも違い、天に打ち任せたような自由な林類の歌とも違って、天に背いた歓楽を讃える、恐ろしい意味を歌うて居ります。」 「さもあろう。あれは昔衛の襄公が、国中の財と汗とを絞り取って造らせた、林鐘と云うものじゃ。その鐘の鳴る時は、御苑の林から林へ反響して、あのような物凄い音を出す。また暴政に苛まれた人々の呪いと涙が封じられていて、あのような恐ろしい音を出す。」 と孔子が教えた。 天に背いた歓楽を讃える、恐ろしい鐘の響き! 素晴らしい。 続きが読みたくてたまらなくなりませんか。 しかもそれは、国中の財と汗を絞り取って造られ、暴政に苦しむ人々の呪いと涙が封じられていて、物凄い音を出すとは!!! 何と云う不吉な、血みどろな、苦悶と快楽を約束する語り口であろう。 江戸川乱歩が「残虐への郷愁」で述べた通り、 現代では、タブーであるが、蒼古よりの残虐への郷愁は、 芸術と戦争でのみ可能なのだ。 古い時代に暴君が君臨する国では、 死者、恨みの声の多さは、圧倒的である。 そうした時代を題材にとり、谷崎は筆を進める。 衛の霊公は、孔子の一行が都に入ったのを知る。 「その孔子と云う聖人は、人に如何なる術を教える者である。」 と、霊公は手に持った盃を乾して、将軍に問うた。 「聖人と云う者は、世の中の凡ての智識の鍵を握っております。然し、あの人は、専ら家をととのえ、国を富まし、天下を平らげる政の道を、諸国の君に授けると申します。」 将軍が再びこう説明した。 「わたしは世の中の美色を求めて南子を得た。また四方の財宝をあつめて此の宮殿を造った。此の上は天下に覇を唱えて、此の夫人と宮殿とにふさわしい権威を持ちたく思うて居る。そうかして其の聖人を此処へ呼び入れて、天下を平らげる術を授かりたいものじゃ。」 こうして、孔子の一行は、衛の霊公にまみえる。 「公がまことに王者の徳を慕うならば、何よりも先ず私の欲に打ち克ち給え。」 孔子はそのように説き、その日から霊公の心を左右するものは、夫人の南子の言葉ではなく、聖人の言葉になる。 徳政に取り組む、霊公。 「一日、公は朝早く独り霊台に上って、国中を眺めると、野山には美しい小鳥が囀り、民家には麗しい花が開き、百姓は畑に出て公の徳を讃え歌いながら、耕作にいそしんで居るのを見た。公の眼からは、熱い感激の涙が流れた。」 おお! 孔子の進言に依って、霊公は徳政を敷くようになるのか。 いやいや。 そこに、遠ざけられていた、寵姫の南子が現れる。 「あなたは、何を其のように泣いていらっしゃる。」 其の時、ふと、こう云う声が聞こえて、魂をそそるような甘い香が、公の鼻を嬲った。其れは南子夫人が口中に含む鶏舌香と、常に衣に振り懸けて居る西域の香料、薔薇水の匂であった。久しく忘れて居た美夫人の体から放つ香気の魔力は、無残にも玉のような公の心に、鋭い爪を打ち込もうとした。 「どうぞお前の其の不思議な眼で、私の瞳を睨めてくれるな。其の柔らかい腕で、私の体を縛ってくれるな。私は聖人から罪悪に打ち克つ道を教わったが、まだ美しきものの力を防ぐ術を知らないから。」 と、霊公は夫人の手をはらい除けて、顔を背けた。」 美夫人の様子が、香気が鼻を打つかのように描かれる。 罪悪には打ち克てても、美には抵抗しがたいのだ。 以下のように、南子夫人の凄まじさが現れてくる。 「ああ、あの孔丘という男は、いつの間にかあなたを妾の手から奪ってしまった。妾が昔からあなたを愛して居なかったのに不思議はない。しかし、あなたが妾を愛さぬと云う法はありませぬ。」 夫人の怒りは、夫の愛情が衰えた事よりも、夫の心を支配する力を失った事にあった。 公は、それでも心を奮い立たせ、夫人に対します。 「私はお前を愛さぬと云うではない。今日から私は、夫が妻を愛するようにお前を愛しよう。今迄私は、奴隷が主に仕えるように、人間が神を崇めるように、お前を愛していた。私の国を捧げ、私の富を捧げ、私の民を捧げ、私の命を捧げて、お前の歓びをあがなうことが、私の今迄の仕事であった。けれども聖人の言葉によって、其れよりも貴い仕事のある事を知った。」 どうです。 世間の人には、「家畜人ヤプー」を百回読むより、谷崎潤一郎を一回読め、と常々言っているが、 君主がすべてを捧げて夫人の歓びをあがなおうと尽くす姿が、奴隷と主に例えられる、との根源的な姿tがあるからだ。 夫人は、霊公への支配力を取り戻す力のある事を述べ、では孔子の魂を捕虜にしようと、去っていく。 ちなみに。 夫を愛していないが、夫に服従を求める南子が描かれているわけだが、 アーサー王の円卓の騎士に、ガウェイン卿という人物が居るのをご存知だろうか。 ガウェイン郷がラグネル姫と結婚するエピソードに、同様の謎掛けが出てくる。 ある魔術的な悪い騎士が、 アーサー王に謎掛けをする。 女性が真に望む事は何か。 アーサー王は、答えを探し求める。 美か?愛か?地位か? どれもありふれており、答えでは無さそうだ、 その正しい答は、 すべての男性を支配する事。 ちょっと出典がすぐ出て来ないが、 現代の女性なら「違うと思う」と即座に言いそうである。 その答には諸説がある。 しかし、世の男性には、 女性に君臨される事への恐怖、 或いは快楽の視点がある、あるいは、 そう思う人もあるのだな、と感心した記憶がある。 南子夫人は、宦官を遣わして、孔子一行に伺候を求める。 謙譲な孔子は其れに逆らえず、南子の宮殿に挨拶に出向く。 柔らかい言葉で、孔子の心をぐさりと刺すべく南子と、聖人孔子のやり取りが描かれる。 そして。 「先生がまことの聖人であるならば、豊かな心にふさわしい、麗らかな顔を持たねばなるまい。妾は今先生の顔の憂いの雲を払い、悩ましい影を拭うて上げる。」 「妾はいろいろの香を持って居る。此の香気を悩める胸に吸う時は、人はひたすら美しい幻の国に憧れるであろう。」 そう言って、美しく装った七人の女官に、香を焚かせる。 しかし、聖人の顔の曇りは深くなるばかりであった。 夫人は、次に。聖人の体にくつろいだ安楽を与えようと、美しく装った七人の女官に、酒と盃を運ばせる。 しかし、聖人の眉の顰みは濃くなるばかりであった。 更に夫人は、美しく装った七人の女官に、様々な鳥と獣との肉を運ばせる。 しかし、聖人の顔の曇りは晴れなかった。 「ああ、先生の姿は益立派に、先生の顔は兪美しい。あの幽妙な香を嗅ぎ、あの辛辣な酒を味わい、あの濃厚な肉を喰ろうた人は、凡界の者の夢みぬ、強く、激しく、美しき荒唐な世界に生きて、此の世の憂いと悶とを逃れることが出来る。妾は今先生の眼の前に、其の世界を見せてあげよう。」 それは、どのような世界か? 幻影ではなく、南子夫人が庭のきざはしの下に実現している、その世界は、以下。 孔子一行は、何を見せられたのか? 「階の下、芳草の青々と萌ゆる地の上に、暖かな春の日に照らされて或いは天を仰ぎ、或いは地につくばい、躍りかかるような、闘うような、さまざまな形をした姿のものが、数知れず転び合い、重なり合って蠢いて居た。そうして或る時は太く、或る時は細く、哀れな物凄い叫びとさえずりが聞こえた。ある者は咲き誇れる牡丹の如く朱に染み、ある者は傷つける鳩の如くおののいて居た。其れは半ばは此の国の厳しい法律を犯した為、半ばは此の夫人の眼の刺激となるが為に、酷刑を施さるる罪人の群であった。一人として衣を纏える者もなく、完き膚の者もなかった。其の中には夫人の悪徳を口にしたばかりに、炮烙に顔をこぼたれ、頚に長枷を嵌めて、耳を貫かれた男達もあった。霊公の心を惹いたばかりに夫人の嫉妬を買って、鼻を削がれ、両足を断たれ、鉄の鎖に繋がれた美女もあった。其の光景を恍惚と眺め入る南子の顔は、詩人の如く美しく、哲人の如く厳粛であった。」 炮烙に顔をこぼたれ、というのは、 顔を焼かれた状態ですね。 うららかな春の日差しと、香り高い若草の青々とした庭と、酸鼻を極めた罪人等の姿。 「あの罪人たちを見たならば、先生も妾の心に逆らう事はなさるまい。」 上記の描写だが、 言葉を尽くして具体的に詳細を描く手法もあろうが、 谷崎のように、文章を押さえて香り高く濃厚な血の香気を立ちのぼらせる手法は、 純文学作家の力量がないと、不可能である。 そして、鍛え抜かれた文章は、 脳裏に深い想像を掻き立て、心に残るのだ。 そして、 南子は、霊公と席を並べて車で市街を行く。 その後には、悲しそうな顔をした聖人、孔子の一行が乗っていた。 街の人々は、それを見て、 南子の勝利を知るのだった。 「其の夕、夫人は殊更美しく化粧して、夜更くるまで自分の閨の錦繍のしとねに、身を横たえて待っていると、やがて忍びやかな履の音がして、戸をほとほとと叩く者があった。 「ああ、とうとうあなたは戻って来た。あなたは再び、そうしてとこしえに、妾の抱擁から逃れてはなりませぬ。」 と、夫人は両手を拡げて、長き袂のうちに霊公をかかえた。其の酒気に燃えたるしなやかな腕は、結んで解けざる縛めの如くに、霊公の体を抱いた。 「私はお前を憎んで居る。お前は恐ろしい女だ。お前は私を亡ぼす悪魔だ。しかし私はどうしても、お前から離れる事が出来ない。」 霊公の声はふるえて居た。夫人の眼は悪の誇りに輝いていた。」 明くる朝、 公子一行は、衛を離れる。 霊公が、気弱な、しっかりしていない君主に描かれていはしない。 太刀打ちしがたい美と残虐と官能とよこしまの化身に、 敗北する悦楽を語っているのだ。 そうした悦楽は、谷崎の作品には、繰り返し描かれるのである。
by leea_blog
| 2017-05-07 23:10
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