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江戸川乱歩「百面相役者」 乱歩さんの語りの妙。



拙ブログでは、

幻想文学を中心に、

堅苦しさを排除して、

「偏った名作」を紹介しております。


通りすがりの方々にも、

文学の面白さに、触れて頂きたいと思う次第。



さて、

今日は、江戸川乱歩の短編、

「百面相役者」です。


人面を剥いで面とし、被り、役者をするという、

これまた極まった不気味な趣味の話です。


人面を剥いで被る、というと、

アメリカのホラー映画、

「悪魔のいけにえ」に出てくる、

レザーフェイスを思い出す方も多いでしょう。

アメリカに実在した、猟奇殺人鬼がモデルになっています。


さて、日頃様々な報道に接しておりますと、

狂っているとしか思えない事件が沢山あります。

(猟奇に限らず!)


私も、若い頃は、

「現実の方が創作を大きく上回ってしまっているのではないか?

純文学に、今更何ができるのであろうか?」

と、思った事があります。


しかし、文学は、「文字を通して語る」あるいは、

「文字を通して語り直す」、という、「語り」の道であります。

テーマやアイデアがいかに優れていようとも、

文章が上手でなければ、読み進める事が出来ません。


逆に、文章が優れていれば、

目新しいテーマではなくとも、

読むに値する視点を提示出来ます。


例えば、「生きるとは、死ぬとは?」、

「愛とは?」、「美とは?」、「真実とは?」、

などというテーマは、大昔から世界中で繰り返し書かれたテーマです。

しかし、古くさいどころか、おそらく千年経っても、

くり返し問われ続ける事でしょう。


横道にそれました。

話は戻って、江戸川乱歩の「百面相役者」。


これは、オチが余りにつまらないのです。

しかし、再読してみると、

「オチ」を期待するべき作品ではなかったのです。


だましてくれてありがとう、と、

日常に良い意味での活気を注入してくれた、

語り手の中学時代の先輩、Rさんのような存在に、

感謝しなければならない話だったのですね。


さて、語り口の妙の一例として、

本当は冒頭から引用したい位ですが、

冒頭の次のページ位を以下に引用します。


ーーーーー

当時、日曜になると、この男をたずねるのが僕の一つの楽しみだったのだ。というのは、彼はなかなか物知りでね、それも非常にかたよった、ふうがわりなことを、実によく調べているのだ。万事がそうだけれど、たとえば文学などでいうと、こう怪奇的な、変に秘密がかった、そうだね、日本でいえば平田篤胤だとか、上田秋成だとか、外国でいえば、スエデンボルグだとかウイリアム・ブレークだとか、例の、君のよくいうポーなども、先生大好きだった。市井の出来事でも、一つは新聞記者という職業上からでもあろうが、人の知らないような、変てこなことをばかにくわしく調べていて、驚かされることがしばしばあった。

彼の人となりを説明するのがこの話の目的ではないから、別に深入りはしないが、たとえば上田秋成の「雨月物語」のうちで、どんなものを彼が好んだかということを一言すれば、彼の人物がよくわかる。したがって、彼の感化を受けていた僕の心持ちもわかるだろう。

彼は「雨月物語」は全編どれもこれも好きだった。あの夢のような散文詩と、それから紙背にうごめく、一種の変てこな味が、たまらなくいいというのだ。その中でも「蛇性の淫」と「青頭巾」なんか、よく声を出して、僕に読み聞かせたものだ。

下野の国のある里の法師が、十二、三歳の童児を寵愛していたところ、その童児が病のために死んでしまったので「あまりに嘆かせたまうままに、火に焼きて土にほうむることもせで、顔に顔をもたせ、手に手をとりくみて日を経たまうが、つひに心みだれ、生きてある日に違わずたはむれつつも、その肉の腐りただるをおしみて、肉を吸ひ骨をなめ、はた喰らひつくしぬ」というところなどは、今でも僕の記憶に残っている。流行の言葉でいえば変態性欲だね。Rはこんなところがばかにすきなのだ、今から考えると、先生自身が、その変態性欲の持ち主だったかもしれない。


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さりげなく、「「雨月物語」の中でも、

一番衝撃的な部分を引用してあります。

腐乱死体の肉を吸い、骨を舐めて、全部食べてしまう、僧侶。。。



語り手の話に登場する、Rという人物を語ることに依って、登場人物以外の作者や作品が語られる、という、

入れ子式の、私の好きな構造ですね。

読者はそこに挙げられる作品にも興味をもって読みたくなる。


で、その変な、偏ったことばかりを詳しく調べるRさんという人物、

わ、わたしの事か????

いやいや、乱歩さんじゃないのか?


偏った、変な、おどろおどろしい話をもっともらしく話して人を惹き付ける、

一昔前は、散見された、貴重な人種であり、

また、扱うテーマはそれぞれ違えど、

物語の書き手は、

はたからみれば、そのような人種でありました。


もっと身近な、多くの人が体験しているであろう、例は、

幼い子供に、寝る前のお話をしてくれる、親。


あるいは、小学校などで、

妙に怪談や犯罪の話や、戦争の話などに詳しい子が、

周囲に、語って聞かせる、とか、

昔は学年に一人二人はいました。

今はどうなのかな。

ちなみに、私も、幼少時、

自分の読んだ本を周囲に布教していました。

古典とか、神話伝説、幻想文学が守備範囲でした。




「語る」、「語られる」。


その醍醐味を、わかりやすく語った短編であります。


オチにがっかりするかもしれませんが、




つまり、Rが事件として調べている百面相役者の話が、

Rの作り話だった、というオチですが、


がっかりする所ではなく、

怖い話を作って友人たちに聞かせる子供みたいな、

子供心を濃厚に持ったまま大人になって、

周囲に影響を与えているRさんに、感嘆する所なのです。






by leea_blog | 2017-08-08 22:28 | Comments(0)
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