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辻村ジュサブロー「人形曼荼羅」その2  


私が寝込んでいる状態が長引いている理由に付いて、

庶務課長が自分のせいだと知られないように、

意味不明な理由を職員に伝えているらしい、と、

知って、事態がますます悪くなっています。



しかし、今やるべきことは、

取り敢えず全力で気分転換。


世の中というものは、

悪い人が沢山居るものだ。


私の勤務経験史のなかで二番目に悪なお代官様、じゃなくて、

庶務課長と遭遇してしまったけれど、

闘う余力が今は無いので、

逃亡して体力温存を図らねば。



今日は、「パワハラ日記」は書かないで、

人形師、辻村ジュサブローのエッセイ、

「人形曼荼羅」、を紹介する、その2です。


ーーーーーー


私はデパートや人形店などで、どれも同じような顔つきをしている無個性な人形を見ていて、恐ろしくなることがります。同じような顔ばかりしかないということは、顔が失われてしまっていることと同じです。そんなとき、私は、健全なもの、明るいもの、善良なものと考えている人形の顔とは何だろう、と、考えてしまいます。毒にも薬にもならない、と言っては言い過ぎかもしれませんが、いわゆるハッピイな人形たちには、本当の意味での健全さがあるのかどうか、ということです。少なくとも日本の古い人形には、現在街で売られている人形のような、恐ろしいまでに無性格な顔はありませんでした。もしこうしたハッピイな人形が子供たちに買い与えられるものだとしたら、子供たちがこれを見て何を感じるのか、私には想像もつきませんが、ただとりかえしのつかないことが進んでいってしまうような気がするのです。


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と、以下、ジュサブローが感じた違和感が、綴られて行くのです。


偉才からみて、デパートや人形店の人形が無個性に見えてしまうのは、当然ですね。


大量生産品は、

ともかく沢山売りたいので、

出来る限り、一人でも多くの消費者に買ってもらえるような、

最大公約数を、限りなく求めます。



人形と一口に言っても、

人形作家が作る人形と、

デパートで売る人形とでは、


現代詩とキャッチコピー、くらいに、

目的も何もかもが違うのですね。



「りーあさんって、詩を書いているんですってね。

私もあいだみつおが好きなんです!」



上記のようなお言葉を頂くことが、現実に結構あります。




そうした時の、私の心情は、

ジュサブローがデパートの人形に恐ろしくさえなった、その心情に、

とても似ていると思います。




「ただとりかえしのつかないことが進んでいってしまうような気がするのです。」


これに似た心情は、

ネズミで有名な、誰もが知っている会社が次々と生み出す、

童話をベースにした外国のアニメーションに感じます。



ミネラルが豊富に含まれる黒砂糖の代わりに、

有害な人工甘味料をたっぷり入れたお菓子を子供に売っている、

そんな感じでしょうか。



私が子供だった頃は、

子供に与えられる童話や昔話は、

口当たりよく改変されていませんでした。


残酷だったし、怖いし、勧善懲悪にしても、

行き過ぎな報復だったりしました。



祖先から伝えられたお話を、

受け取っていた訳です。


そうした積み重ねで、

子供たちは、大人になって行きました。



ジュサブローは言います。


「人形の主観性とは、逆に言えば一人一人にとっての人形が確実にあるということでしょう。めいめいが別々の人形を求めるから、人形は無性格なものでいいということにはなりません。どれを見ても同じ顔のハッピイな人形は、誰の人形にでもなりそうに見えて、実は誰の人形にもならないのではないでしょうか。」


おそらく、

子供に人形を買い与える親や、

おもちゃ売り場に行きたがる子供は、

そこまで深いことは考えていないでしょう。






余談

ちなみに、

拙ブログの過去日記をお読みの方はご存知の通り、

うちには、台湾の人形劇の人形が二人おります。

この二人をお迎えして、

実に多くのことを考えさせられました。

おっと、話が長くなるので、

また別の日に。









by leea_blog | 2017-09-03 18:17 | Comments(0)
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