人気ブログランキング | 話題のタグを見る

谷崎潤一郎「少将滋幹の母」あらすじ・その二。北の方略奪の美




谷崎潤一郎の名作、「少将滋幹(しげもと)の母」のあらすじご紹介、二回目です。

一回目を先にお読み下さいませ。

http://leea.exblog.jp/26027729/

(拙ブログは、セキュリティーの観点から、直接リンクを貼れません。URLをコピペして飛んで下されたし)

前回に引き続き、

やや下ネタな話も含まれますので、
苦手な方は今回も飛ばして下され。


舞台は平安時代。
年齢70歳を大分超している老大納言は、二十歳ばかりの、たいそう美人の若妻を娶っていました。

北の方が曾祖父のような年齢の夫を愛していたか否かはぼかされておりますが、

老大納言の方は、この世に類いない若妻を、宝物のように愛しておりました。

二人の間には、幼い男の子も生まれております。
その、男の子と言うのが、

タイトルの、「少将滋幹」なのですね。
つまり、滋幹の母、というのは、この、老大納言の宝物である若妻のことです。

古典を紹介しながら、ゆったりと展開する、谷崎の王朝絵巻。

谷崎の好んだテーマの、「母恋い」、「悪い美女」、「美女に翻弄される男」、「闇に垂れ籠める高貴の女性」、「老人の性欲」、「日常の中の異常な体験」、などが、絡み合って、円熟の筆致で物語は、クライマックスに至ります。

前回は、当時活躍した有名な色好みの平中と、意地悪な美女の、侍従の君のお話を紹介しました。

今回は、
老大納言と北の方(奥さん)の物語を中心にご紹介します。

色好みで名高い平中は、この北の方とも、二度ほど逢瀬を遂げています。

平中は、美人が居る、と噂を聞けば、言い寄らずにはいられないのです。

そして、菅原道真を太宰府に流した事で有名な、左大臣、藤原時平は、平中とは色恋の話をするのを好みます。

そして、時平は、大納言の美しい北の方の噂を聞き、平中から「世評通りの美人に違いないかどうか」、を聞き出します。

「あれだけの顔立ちのお方は、ちょっと外に見当たらない」と聞き、時平は、北の方を奪うため、老大納言に近づきます。

そのあたりの、老大納言の心中、老人の目を盗んでその妻と密通する事に良心がとがめて遠ざかっていた平中の心中、なども、その揺れ動く様が、語られています。

老大納言の北の方への執着も、凄い。

老大納言は、北の方のゆたかな頬に皺だらけな頬を擦りつけて、寝物語をします。

以下、引用。

「老人は、北の方が黙ってうなずいたのを自分の額で感じながら、一層つよく顔を擦り着け、両手でうなじを抱きかかえるようにして彼女の髪を長い間愛撫した。二三年前まではそうでもなかったのであるが、最近になって老人はだんだん愛し方が執拗になり、冬の間は毎夜北の方を片時も離さす、一と晩じゅう少しの隙間も出来ないようにぴったり体を喰っ着けて寝る。そこへ持ってきて、左大臣が好意を示すようになってからは、その感激のせいでつい酒を過ごし、酩酊してから床に入るので、なおさらしつっこく手足を絡み着くようにする。それにもう一つ、此の老人の癖は、閨の中の暗いのを厭うて、なるべく燈火をあかるくしたがるのであった。と云うのは、老人は北の方を手を以て愛撫するだけでは足らず、ときどき一二尺の距離に我が顔を退いて、彼女の美貌を賛嘆するように眺め入ることが好きなので、そのためにはあたりを明るくしておくことが必要なのであった」


女性からみれば、
五十も歳の離れた老人が、隙間も出来ないくらいに毎晩密着してきて、閨のうちでも明るくして若妻の美貌を舐めるように見る癖がある、となると、

「恋愛結婚でもないのに、

幾らなんでも気持ち悪過ぎる!!!

昔の女性は大変だなあ」

としか思えません。、。

それに加えて、老人は耳が遠く、自然夫に対しては言葉数が少なく、分けても閨に入ってからは殆ど無言で過ごす、と続きます。

コミュニケーションもほとんど無いのだな。。。

閨で無言、それは、北の方に取ってひたすら黙って時間の過ぎて行くのを待つしかない苦行だからであろう、と、読書は推測します。

さて、右大臣、藤原時平は、この老人に事あるごとに贈り物をし、老人に感謝感激の念を起させます。

老人が感謝し、時平の求めには、物惜しみしない、という気持ちになるまで、追いつめます。

そして。
老大納言の館で開かれた宴の席で、
時平は、引き出物に、
「私の館には勿論、やんごとない九重の奥にさえないもので、ご老体のお手もとにだけあるもの」、と、老人の宝物を所望します。

「殿、物惜しみをしない証拠に、これを引出物に差し上げます。お受け取りください!」

と、御簾の奥に居た妻を。

この辺りの描写は、大文豪の筆力が遺憾なく発揮された、読者をくらくらとさせる文章で、

小学生の頃に読んだ私も、
脳裏に焼き付いたシーンです。

以下、引用。

「最初、国経が御簾の蔭へ手をさし入れると、御簾のおもてが中からふくらんで盛り上がって来、紫や紅梅や薄紅梅やさまざまな色を重ねた袖口が、夜目にもしるくこぼれ出して来た。それは北の方の着ている衣装の一部だったのであるが、そんな具合に隙間からわずかに漏れている有り様は、万華鏡のようにきらきらした眼まぐるしい色彩を持った波がうねり出したようでもあり、非常に嵩のある罌粟(けし)か牡丹の花が揺らぎ出たようでもあった。そして、その、人間の大きさを持った一輪の花の如きものは、ようよう半身を現したところで、まだ国経に袂をとらえられたまま静止して、それ以上姿を現すのを拒んでいるように見えた。国経はやおらその肩へ手を廻して抱きかかえるようにしながら、もっとその人を客人たちの方へ引っ張って来ようとする風であったが、そうされるとなおその人は、御簾のかげに身を潜めようとした。顔に扇をかざしているので、目鼻だちは窺うよしもなく、扇を支えている指先さえも袂の中に隠れていて、ただ両肩からすべっている髪の毛だけが見えるのであったが、
「おお!」
と叫んで、時平は恰も美しい夢魔から解き放たれたように、つと御簾の傍へ走り寄ると、大納言の手を振り払って、自分がその袂をしっかりと掴んだ。」


「さあ、御一緒に、わたくしの館へ参りましょう」
彼はいきなりその人の腕を取って肩にかけた。女は引き立てられながらさすがに躊躇するらしく見えたが、でもしなやかに少し抵抗しただけで、やがてするすると体を起こして行くのであった。

屏風の外で待っていた人々は、急には出て来ないであろうと思えた左大臣が、忽ち恐ろしく嵩高(かさだか)な、色彩のゆたかなものを肩にかけながら物々しい衣ずれの音をひびかして出て来たのに、また驚きを新たにした。左大臣の肩にあるものは、よく見ると一人の上臈、この館の主が「宝物」だと云ったその人に違いなかった。その人は右の腕を左大臣の右の肩にかけ、面を深く左大臣の背にうつぶせて、死んだようにぐったりとなりながら、それでもどうやら自分の力で歩みを運んでいるのであったが、さっき御簾からこぼれて見えたきらびやかな袂や裾が、丈なす髪とよじれ合いもつれ合いつつ床を引きずって行く間、左大臣の装束とその人の五つ衣(いつつぎぬ)とが一つの大きなかたまりになって、さやさやと鳴りわたりながら階隠の方へうねって行くのに、人々はさっと道を開いた。」



と、このようにして、老大納言国経の宝物の若妻は、左大臣時平に、連れ去られてしまうのでした。


続く。

次回は、北の方の幼い子供の、「母恋」の濃密な部分を紹介します。















by leea_blog | 2017-09-07 22:19 | Comments(0)
<< 馬鹿日記・要するに小学生の頃の... 谷崎潤一郎「少将滋幹の母」あら... >>