過去日記に、 何度も自殺直前まで行った状況を書いた。 転地療養に出掛け、 どうしても頭に引っ掛かる事があった。 自殺する人は、 貯金を使い果たしているわけではない、という点である。 世間を震撼させた、 座間九遺体事件。 「死にたいけれど、自分では死ねないのでだれか殺して欲しい」、という女性たちをおびき出して、 次々と殺していた事件である。 報道に依れば、 白石容疑者は、 被害者に、 「有り金くれれば殺してあげる」と言い、 被害者の一人は50万ほどを払ったとの事だ。 死ぬんだから貯金はもう要らないのだが、 死ぬのは、自分でやればお金は掛からない。 タダのものに、50万払ったのである。 実際のところ、 死にたいけど自分では死ねない人にとっては、 手持ちのお金で安楽死させてくれるなら、 希望者は殺到しそうである。。。 私も、 電車に飛び込みそうになった時は、 「貯金を使い果たしてから死のう」とは、 まるで考えなかった。 一刻一秒が苦痛で、その苦痛から逃れる極楽手段が、 自殺なのだ。 極楽の黄金の光を目の前にして、 もう、金など何の価値も失っており、 「最後に豪遊しよう」などという心の余裕が、 全くなかった。 自殺願望が消えた今振り返って見ると、 死ぬのなら最後に豪遊したら良いのではないか、と、 心から思う。 死ぬなら、最後に行きたかった遺跡を尋ねたり、 見たかった景色を見たり、 してからにすればいいんじゃないか、、、 そういうのも、 今だから思えるのであるが。。。 最後に豪遊してから心静かに自殺する人も居るには居るが、 少数である。 家族が居れば、家族にお金を残したいであろうし。 「生きていればそのうち良い事もあるよ」というのは、 結局勝ち組の言い分である。 「それは理想であって現実ではない」上、 他人の人生に何の保証も無しに綺麗事を言うのは、 デリカシーが無さすぎる。 「自分も何度も死のうと思った、 だが、死ななくて良かった、 君も死ぬな!」という、 昭和のスポ根のような、 人生努力だ、的な、 論調は、本当に自粛して欲しいものだ。 余計絶望が増すだけである。 しかし。 「死にたいけれど死ねない」なら、 「殺してあげるよ」という見知らぬ男性とやり取りする余裕があるなら、 50万円払って殺してもらったなら、 もしかしたら、 「本当に死ぬ時期じゃなかったのかもしれない」、という可能性がある。 50万円あったら、 使い果たしてからにしてみようではありませんか。 転地療養先で、 マッサージを受け、 ストレスで歪んだ骨格が治り、 眉間の凝りが取れた帰り途、 どうしても、 「50万円あったら、 何が出来るか」を考えてしまったのだ。 「死ぬ時期では無かった人が、死を選んだのかもしれない」、という、 何とも割り切れない気持ちである。 コンビニのおにぎりを買うお金も尽きて、 「もう駄目だ。死のう」と、 入水自殺するのと、 50万円が手元にあるのとは、 状況が違う。 貯金を使い果たしてみて、 「やはり死にたい」と思ったら、 その時死ぬのでも遅くはない、と思うのである。 使い果たした結果、 「やはりもう少し生きてみよう」と思ったら、 福祉事務所に出掛けて生活保護の申請。 50万円が手元にあったら何が出来るか? たとえば、 近場の海外に飛んで、 安めの宿に泊まり、 毎日マッサージを受け、 沢山でなくていいからちまちまと栄養の有るものを食べ、 自宅ではない環境でごろごろして、 心身を休めてみる。 ストレスが掛かりすぎる日常から、 一歩身を引いて、「緊急避難」してみるのである。 近場なら、 飛行機代は片道二万くらいで何とかなるし、 一泊五千円くらいで浴槽付きの宿に泊まれる。 若い人で、相部屋でも気にならない、という場合は、 一泊二千円以下で、ドミトリーに泊まれる。 マッサージも、五六千円で腕のいい人に見てもらえる。 50万円あったら、 日常から緊急避難して、 本当にどうしても死にたいのか、自分に問い直す事が出来るのではないか。 ちなみに、一週間とか10日で何とかなる訳ではないので、 ゆっくり寝て、 脳を休めるのがおすすめである。 それには、 心療内科に掛かって、 眠れる薬は処方してもらうのが良い。 どんなに健康な人でも、 ちゃんと寝られていなければ、 脳が疲労して生存本能がやられてしまう。
by leea_blog
| 2018-02-02 18:54
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