罌粟を買ってきた。
花瓶がないのに気づいた。ペットボトルの首の部分を切り、即席の花瓶にした。安定感が悪いので、花を壁にもたれるようにして、置いてみた。なかなかいける。ペットボトルの、厚みのない透明感と水の光の加減、不安定さ、植物のしなだれかかる曲線。 散歩していると、家々に花が溢れているのが嬉しい。 「ガーデニングが流行だからって、何処もかしこも陳腐に取り入れやがって」 などなど、文句も聞こえてきそうだが、こればかりは、流行に飛びつく国民性を嬉しく思う。 家々の花は、通りすがりの目の保養。無関係の通行人にもお裾分けする心意気、いいじゃないですか。 ところで、昨年。物件を内覧中に、大阪出身の不動産屋さんいわく、「東京は駅の近くでも木があって驚きましたよ」 街路樹や“災害時の避難場所”といった体の公園のことなのだが、大阪って、そんなに木が無かっただろうか? 吉野熊野に詣でるさいに、しばしば大阪に立ち寄ったが、緑の気配は濃厚だった。少し目を上げれば山があるしね。私、答えて曰く、 「大阪は駅を少し離れれば山も海もあるから、駅前に木を植える必要が無いのでは?」 関東平野は、晴れた日の朝方と夕方に、遙か彼方に山が見えれば良い方。駅前に無理にでも木を植えなければならない事情が有りそうだ。 大阪人のご意見はいかに。 都内の公園には、苦情を言いたい。土が不自然で、木があっても、「一応植えました」といわんばかりの風情。やる気を無くすことおびただしい。 土が平に踏み固められている、あるいは、小砂利が敷かれている、あるいは空いているところにむりやり芝が植えてある。人工環境のオフィスを離れても、植物の有るところに来た気がしないのだ。管理されすぎ。空気が悪くて植物も元気というわけにいかないだろうが、入園料を払うような公園なら、もう少し気を配って欲しい。 景気がよろしくないと、人心も荒れてくる。こういう時期こそ、植物動物に触れ直して、鋭気を養う余裕が欲しいものだ。
by leea_blog
| 2002-03-09 00:58
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