ろーど・おぶ・ざ・りんぐ、見ました。第一部ですが。 知人の家で、DVD。夕食をごちそうになりながら。 この場をお借りして歓待の御礼を申し上げます。 背景が美しかった。景色を見てるだけでもいいかもしれない。 フロドが大変美しかった。美しいものは目を歓ばせ、心を歓ばせる。 火が美しかった。火は元々美しく力があるから、火が退屈な映画は論外だ。 アラゴルンの立ち居振る舞いに妙な色気があって、これは良かった。 「面白かったか」と聞かれれば。 面白いから是非見て〜、とは言いかねる、微妙な線。 ええと、綺麗と言えばすごく綺麗なんですよ。 エルフ以外は。。。。。。 どうしてエルフ族を必要以上に判りやすく俗っぽく描かねばならなかったのか? 人間を越えたものに対する想像力が足りなかったか。 或いは人間以上の美しく力に満ちた存在が許せなかったか。 唯一神の教会に通っている人々には神々しいエルフ族は冒涜になるので差し障りがあったか。 エルフを俗に描かねば他の登場人物たちがかすんでしまうと判断したか。 指輪物語にとってエルフは、植物が光合成をするための光のようなものである。 主人公たちの素朴な里では、エルフにあこがれたり、エルフ語を解したり、エルフの友だったりするのは、常軌を逸した、分別の足りない事とされている。『ホビットの冒険』の主人公ビルボも、ビルボの養子フロド・指輪物語の最重要人物も、フロドの下男サムも、上記に該当しておりホビット庄では神隠しにあって当然の気質を備えていた。 物語全編を通して、エルフの登場場面はそれ程多くはない。 にもかかわらず、主人公たちが苦難に見舞われる折り知らず発せられるのはエルフの言葉であり、身に帯びるのはエルフの剣であり、語られるのはエルフの思い出であり、長い行程の間中、口にするのはエルフの食べ物であり、ビルボやフロドが中つ国を去るのはエルフの船でエルフたちに伴われてであり、物語の最後に、暖かい我が家に帰ったサムが膝に抱く幼い娘にはエルフの花の名が付けられており、と、簡単に拾うだけでもエルフの髪にきらめく微光が物語を浸し尽くしているのがわかる。それは、遙か彼方につながる光である。 著者J・R・R・トールキンによれば『とりわけこれをわたしに書かせようとしたのは、主として言語学的な関心であり、エルフの言語に「歴史」的背景を与えるために始めたものだからである。』とのことで、当然なのであった。 そのようなわけで、ロード・オブ・ザ・リングに出てくるエルフが俗である点は、背景が美しい点以上の話題となったのであった。
by leea_blog
| 2003-02-18 01:46
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