大人に効く絵本・「ビロードのうさぎ」・「ビロードうさぎ」


大人に効く絵本、を、

ときおりご紹介しています。


良い絵本は、子供だけではなく、

大人にも効くのです。




過去記事は、以下になります。



大人に効く絵本 「よるくま」 酒井駒子
  ↓
https://leea.exblog.jp/27172291/


絵本・「おりこうなビル」 (かしこいビル)。ご主人様を追いかけてくる忠実な人形
  ↓
https://leea.exblog.jp/27149142/


(拙ブログは、セキュリティーの観点から、直接リンクが貼れません。
URLをコピペして飛んで下されたし)




今日は、

マージェリィ・ウィリアムズの、

「ビロードのうさぎ」(酒井駒子抄訳)、

「ビロードうさぎ」(いしいももこ訳)の二冊をご紹介します。





人形愛に落ち、世界を覆っていたヴェールが、

また一枚剥がれ落ちた心地の私です。

「他の人々にとって、人形とは、どのような存在なのか」、

「人形の不思議さの本質とはなんであろうか」、と

思い、耳を傾けております。




大人になりますと、「人形」でイメージするのは、

「言いなりになる存在」、「魂の無い存在」が多いようです。




しかし、それはごく表面的で、衰退しやせ細ったイメージです。

「ひとがた」は、本来、呪術的な存在です。





今日は、

幼児期に人々が慣れ親しんだ、人形・玩具の世界を覗いてみます。




マージェリィ・ウィリアムズ原作の、

「ビロードのうさぎ」は、

酒井駒子が抄訳し、絵を描いた絵本で、



「ビロードうさぎ」は、いしいももこが訳し、

「おりこうなビル」のウィリアム・ニコルソンが挿絵を描いた、

「ビロードのうさぎ」の対象読者の年齢よりも、

年齢の高い子供向けの絵本です。


二冊を読み比べるのがおすすめです。

両方、手元に置くに値します。


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ビロードうさぎ
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ビロードのうさぎ
(このうさぎの表情は、読み終えてから見るとまた味わい深いです)






あらすじは、以下です。


ぼうやがクリスマスにもらった、ビロードのうさぎが主人公。

子供部屋で、他のおもちゃや、賢い木馬のおもちゃとともに暮らします。

ぼうやはいつも瀬戸物の犬と寝ていましたが、

或る夜、お片づけでそれが見つからなくなったばあやが、

代わりに、ビロードうさぎを、坊やに抱かせます。



その夜から、ビロードうさぎはぼうやの一番のお気に入りとなります。

小さいうさぎは、とても幸せで、

ビロードの毛がだんだんにすり切れてみすぼらしくなっていくことや、

しっぽが取れ、鼻に塗られた桃色が、ぼうやがしょっちゅうキスをするのではげてしまっていることなど、

少しもしりませんでした。



春になり、ぼうやとうさぎは外で長い時間遊ぶようになりました。

ぼうやはばあやに言います。

「これは、おもちゃじゃないんだ。ほんとうのうさぎなんだよ」

その夜、うさぎはあまりうれしくて、眠れないほどでした。

ぼうやが好きで、心臓が破裂しそうでした。




それから、すばらしい夏が来ます。

ぼうやとうさぎは、ますます一緒に遊びます。

ある夕方、ぼうやがいない間に、

本物の野うさぎが二匹、ビロードのうさぎの前に出てきます。

野うさぎは、はじめはビロードうさぎを本物と思っていましたが、

すぐ近くに来て匂いを嗅ぐと、「ほんもののうさぎじゃない!」と言って逃げ去ります。

ビロードうさぎはとても悲しくなります。




また、長い時が過ぎ、ビロードうさぎはとてもふるぼけて、みすぼらしくなります。

でも、ぼうやは相変わらずうさぎが大好きでした。

ぼうやがあまりうさぎをかわいがり、抱きしめたので、うさぎは形も崩れ、

もう他の人たちにはうさぎには見えないくらいでした。

ただ、ぼうやにはそんなふうに見えず、まだうつくしいうさぎでした。



ところがある日、ぼうやは猩紅熱にかかります。

うさぎは、熱を出して眠っているぼうやの掛け布団の下に隠れ、

ぼうやにいろいろと楽しいことを囁きます。

やがてぼうやは回復し、海辺に療養に行くことになります。

お医者さんは、子供部屋は消毒しなくてはならない、ぼうやが触った本やおもちゃは、みんな焼いてしまわなければならない、と言います。



うさぎは、古い絵本やがらくたと一緒に、

袋に入れられて、庭の隅の鶏小屋の裏に持っていかれます。

ごみを燃やす役のじいやがとてもいそがしかったので、

じいやは次の朝早く燃やすことにしました。

ぼうやの寝床には、ほかの新しいうさぎのおもちゃが居ました。

ぼうやは海辺に行くのが楽しみで、このことにすっかり夢中で、うさぎには気をつけていませんでした。




ビロードうさぎは、袋の口まで上がっていき、森を眺めました。

ぼうやと二人、幸せだった日々を思い出し、一粒の涙を流します。



すると、不思議なことが起こります。

うさぎの涙の落ちたところから、一輪の花が生まれます。

花の中から一人の美しい妖精が現れます。

妖精は、小さいうさぎのそばまで来ると、腕の中にうさぎを抱え上げて、

涙でぬれてしまったビロードの鼻にキスをしてくれます。



「小さいうさぎ」と、妖精はいいました。

「わたしがだれか、わからないの?」

それは、子供部屋の妖精なのでした。

「わたしは、子供たちがかわいがったおもちゃを守る妖精です。

おもちゃたちが古くなり、すりきれて、子供たちがそのおもちゃをもういらなくなると、

わたしがおもちゃたちを森へ連れて行って、ほんとうのものにするのです」



ほんとうのもの。。。。

ぼうやから見れば、ちいさいうさぎはほんとうのものでした。

妖精は、うさぎを、誰が見てもほんとうのうさぎにしてくれるのです。



妖精は、うさぎをしっかり抱いて森に入ります。

木々のあいだの空き地で踊っていた野うさぎたちが妖精ととりかこみます。

「あたらしいお友だちをつれてきましたよ」、と妖精はちいさいうさぎを紹介します。

うさぎは、とうとう本物のうさぎになり、野うさぎたちの仲間になったのでした。




秋が過ぎ、冬も終わり、また春になりました。

ぼうやが森へ遊びにいくと、二匹のうさぎが、シダの間からそっと出てきて、ぼうやのほうをのぞきました。

「あれ、あのうさぎ、ぼくが猩紅熱になったときになくした、うさぎにそっくりだな!」

でも、それは、まちがいなく、あのうさぎだったのです。


ーーーーー



あらすじを書くと、

おもちゃのうさぎが、持ち主にとても愛され、

捨てられても、ついには本当のうさぎになる、というだけで、


醍醐味をお伝えするのが難しいです。




うさぎがまだ、沢山のおもちゃの一つでしかなかった頃。


賢い木馬が、うさぎに、教えます。

「ほんとうのものというのは、からだがどんなふうにできているか、ということではないんだよ」。




「わたしたちの心とからだに、なにかがおこっていることなのだ。

もし、そのおもちゃをもっている子どもが、ながいながいあいだ、

そのおもちゃを、ただの遊び相手ではなくて、とてもながいあいだ、

しんからかわいがっていたとする。すると、そのおもちゃは、ほんとうのものになるのだ」といいます。


「だんだんに、なるんだ。

ててもながい時間がかかるんだ。

だから、すぐこわれてしまうものや、とんがっているものや、

ていねいにさわらなくちゃならないものは、

めったに、ほんとうのものにはなれない。

たいていの場合、

おもちゃがほんとうのものになるころには、

そのおもちゃは、それまで、

あんまりかわいがられたので、

からだの毛はぬけおち、目はとれ、

からだのふしぶしはゆるんでしまったりして、

とてもみっともなくなっているんだ。

でも、そんなこと、すこしも気にすることではないんだよ。

なぜかといえば、いったん、

ほんとうのものになってしまえば、

もう、みっともないなどということは、

どうでもよくなるのだ。

そういうことがわからないものたちには、

みっともなく見えてもね」




大昔、いまのぼうやの叔父さんが、木馬をほんとうの馬にしてくれたのだ、と言います。


うさぎは、

そうなるために、みすぼらしくなったり、目やひげがなくなってしまったりするのは悲しいから、

そういういやなことがおこらないで、ほんとうのうさぎになれればいいのに、と思います。




このやり取りは、

大人も、色々考えることでしょう。


「ほんとうのものとは、なにか?」と。





明日は燃やされてしまう、という夜に現れる妖精、

「わたしがだれかわからないの?」という、妖精、

つまり、うさぎは気がつかなくても、いつも見守ってくれていた存在、

うさぎにははじめてでも、どこかでみたような気がする妖精、

大人が読むと、

西洋の神様のお話によくでてくる枠組みです。




キリスト教徒ではない人も、例えばワタクシですが、

純粋に、何ていいお話だろう、と心を打たれます。



昼も寝床の中も、灯りを消して眠る前も、

うさぎがかわいくてたまらない、ぼうや、

うさぎがみすぼらしくなっていって、

他の人の目にはうさぎと分からない位になっても、

ぼうやの目には、美しいままのうさぎ。




これは、すぐには思い出せないくらいの昔に、

ほとんどの人が体験しているのではないでしょうか。




ぼうやを好きになる前は、

みすぼらしくなるのが気になったうさぎも、

ぼうやを好きになると、好きに拍車がかかっていき、

もう、自分がみすぼらしくなっていくのもわからなくなります。





「なくした」と思っていたおもちゃは、

実は「親が捨てた」のだけれど、

子どもの認識能力ではわからない、あの感覚。




幼児期は、世界はもっと、動物たち、自然霊たちに、

近かった。

強盗よりもお化けの方が、リアリティが有り過ぎた、

あの感覚。



大人も、時には、

こうした、原初の海のような感覚に戻ってみると、

とても生き返る心地がします。




そのためには、

表面的に作ったおはなしではなく、

混沌の宇宙をぐっと掴んでいるような作家の才能と、


文章力が必要です。


以上は、

いしいももこ訳の「ビロードうさぎ」から

紹介しました。


酒井駒子の抄訳絵本、

「ビロードのうさぎ」は、

エッセンスを煮詰めて短く語り直してあります。



酒井駒子の描く、

幼児世界が、

絵と文に凝縮されて、

繰り返し読んで飽きません。


これは、

立ち読みするより、

買って、じっくり読み返すことをお勧めします。




というのも、

おとなが立ち読みしても、

あらすじが頭に入り込んでしまい、

さっとめくるだけでは、

「ありがちな話」にしか見えないかも知れないのです。



選ばれた言葉、

物語を文章とともに展開する絵、

双方をじっくり味わい返すのに値します。



ちなみに。

私は、以前に一読した時は、

酒井駒子の他の絵本に比べて、

それほど魅力を感じませんでした。



大人が理屈で理解出来るお話に見えてしまったのでした。


しかし!


人形愛を経験してみると、


見る目が一度に変わりました。



「うわあ、酒井駒子は何と深く把握していることだろう。

私は何と表面的にしか理解出来なかったのであろう!」。


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こういう感じだと、普通の絵本に見えますが

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猩紅熱のぼうやにささやきかける、
すでにぼろぼろのうさぎ。

他の大人に連れて行かれないように、
ぼうやの布団に隠れていて、
二人の時は、
こうしてぼうやに囁き続ける。

この、

うさぎが自分で動いているとも見えるし、
ぼうやが熱にうかされながら、
うさぎを肩の辺りに抱いたとも見える、

「作ったお話だよ」とも、
「現実だよ」とも、

どちらとも判別し難いけれど、
どうにもうさぎが、
心を持っているようにみえてならない、

微妙で上手い表現。
























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by leea_blog | 2018-04-14 21:45 | Comments(0)
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