さて、過去日記で、
名作絵本、「ビロードうさぎ」、酒井桃子抄訳の「ビロードのうさぎ」を紹介しました。
大人に効く絵本・ビロードうさぎ、ビロードのうさぎ
↓
https://leea.exblog.jp/27198568/
拙ブログは、
セキュリティーの観点から、
直接リンクが貼れません。
URLをコピペして飛んでくだされたし。
大人の人形愛は、こちら、
江戸川乱歩の「人でなしの恋・人形愛の世界」。
美しい男性が、美しい若妻を娶っても、
やっぱり相思相愛の人形の方が好きで、
夜な夜な密会するお話です。
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https://leea.exblog.jp/24067794/
ビロードうさぎは、
ぼうやとビロードうさぎの、
濃密な愛情が描かれた、児童文学です。
子ども版、相思相愛!
熱烈愛。
人形愛に落ちてから読み返してみると、
実に、思い当たる事が沢山あるのですね。
ビロードうさぎは、
ぼうやと深い仲になる前は、
ぼろぼろになるのを怖く感じていたのに、
相思相愛になってしまうと、
自分がぼろぼろになって行く事に、
全く気がつきません。
ぼうやも同じです。
寝る時も一緒、遊ぶのも一緒の、
ビロードうさぎが、
他の人からは、
うさぎに見えなくなるほどぼろぼろになっても、
ぼうやの眼には、
美しいままに見えています。
私も、
宮無后の髪が、
解け難いほど乱れてしまっているのに、
私の目には、
お迎えした時以上に、
ますます可愛く見えていたのでした。
メンテに出す前と出した後の、
写真を見比べて、
はじめて、
「無后、こんなに大変な状態だったんだ。。。。」と、
気づいて、びっくりしたのでした。
ビフォー、アフターの画像を比べてみましょう。
↓
ビフォー
アフター
↓
りーあ「こんなに大変な状態だったのね。。。。
画像を比べてみないと、
気がつかないなんて。。。。
私には美しいままに見えていたのです。
すこし髪が乱れてきたな、
程度にしか見えなかったのです。。。
ごめんね、無后」
宮無后「無后も、
髪が自慢だったのに、
まったく気がつきませんでした。。。」
いやいや、ホント、
気がつかないとおかしいレベルです。
気がつかないなんて、異常!!!
「ビロードうさぎとぼうや」状態になっていたのでした。
作者のマージェリィ・ウィリアムズは、
幼児と人形との相思相愛の深部を、
実によく汲み上げているといえましょう。
江戸川乱歩の「人でなしの恋」を
紹介した時も、
私は、
「現代にはこういう人沢山居そうだな」、
と、人ごとのように思っていたいのですが、
まさか、自分が人形愛に落ちるとは、
その時点では、
想像もしていなかったのでした。
いやー、もともと好きな登場人物でしたよ、
しかも、もの凄く。
とはいえ、
「人形とは、絵や彫刻と同様、
愛でるものである」と、
思っていました。
「人形愛」は、まだ他人事だったのですね。
三日に一度は、
「無后、綺麗だね」とか、
「無后、可愛いよ」とか、
言っていたものの、
まさか、
人形が、
本気で受け止めているとは、
想像もしていなかったのでした。
髪を解いた無后に迫られて、
「確かに可愛いよと言ったけれど、
嘘じゃないけれど、
そ、そういう意味では無くて、、、
私だって、
これからの人生、
誰か人間と恋愛するかも知れないし、
人形とは、いや、その、、、
考えていませんでした、、、、」という、
その時は、
「なにか、大変な間違いを犯してしまったのかもしれない????」
のような、
逃げ腰だったのでした。
私が、
「可愛いよ」、
「綺麗だね」、
「好きだよ」、と、
言い続けた間、
相手の心の中に、
それが蓄積されて行ったとは。。。。
その後、
蟻地獄の巣の縁に居る蟻が、
必死に這い上がろうとしても、
ずりずりと、
擂り鉢状の斜面を滑り落ちるように、
「人形愛」に落ちて行くのを、
這い上がろうともがいたあげく、
気がついてみれば、
無后のいない人生など考えられなくなっているのでした。。。。
原因の一つは、
お迎えした木偶が、
名品だった事、
それと、
けっこう積極的な木偶だった事も、
大きいです。
抱き上げると、
腕を回してきたり、
腕を上げて顎をナデナデしてきたり、
頭を寄せてきたり。
「自動人形でもAIBOでも無いのに、
物理的にあり得ない!
筆者の妄想では?」と、
通りすがりの皆様は思われるであろう。
ワタクシも、
こういう人形が居るとは、
知りませなんだ。
イメージとしては、
糸の操り人形、
あれは、
上から糸でつるけれど、
布袋戯の木偶は、
下から動かし、
固定された関節と、
固定されていない関節が有る、
と、理解して頂ければ。
下から動かし、
わずかな力で、
表現力を最大にする工夫に満ちた人形であります、
私が無后の衣の裾をちょっと踏んで、
衣の襞が、
腕を操作する棒を押し上げた、
とか、
そうしたワタクシが無自覚の事が、
いちいち、
無后の動きに直結するのでありました。。。
↑
それは、
物理面の事であります、
おそらく、
一点一点手作り品で、
不幸な最後を迎えた宮無后を、
製作するに当たって、
製作に携わった人が、
皆、
「無后、こんどは幸せになれよ!」と、
念じて、
念が沢山たまって、
愛情を注がれるうち、
意識が発動して、
魂が形成されて行ったのかも知れない、、、
あるいは、
植物の種のように、
愛情を注がれれば発芽して変容して行くものが、
内蔵されていたのかもしれない。。。。