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谷崎潤一郎「青塚氏の話」あらすじ 人形愛の世界 変態版



過去日記で、不朽の人形愛小説として、江戸川乱歩の「人でなしの恋」をご紹介しました。  ↓

https://leea.exblog.jp/24067794/

(拙ブログは、セキュリティーのため、直接リンクが貼れません。
お手数ですが、URLをコピペして飛んでくだされたし)

今回は、谷崎潤一郎の、「気持ち悪い系エロ人形愛」をご紹介しましょう。

美を熟知した谷崎なら、さぞかし美しく陶酔的な人形愛であろう、、、
と思われた方もいらっしゃいましょう。

いやいや、谷崎は、美に暁通していましたが、変態にも暁通しており、「青塚氏の話」は、特に気持ち悪い心理に焦点を当てているのでございます。

下ネタ注意! 下ネタが苦手な方は、読まずに引き返しましょう!

人形愛なのに、下ネタ?
しかも、まさかのスカ○◎有り。

人形愛に落ちてから再読してみますと、
「これは酷い」、と冷や汗です。


青塚氏は、正確には、人形愛というよりも、人形が相手ではあるけれど、「オナニスト」、「フェティシスト」、「妄想オヤジ」に分類されると思います。しかも、お下劣、お下品、エロだけ。


ノーマルさんからみたら、
「気持ち悪過ぎる!!!!
頭が腐っている!!!」
と、絶叫して逃げたくなるような世界です。


普通の人形好きさんも、
「嫌ああぁ! 変態!!」と叫びつつ、

「端から見れば、自分もこう見えているのではないか」、「端から見れば紙一重なのではないか?」と、戦慄することでしょう。

女性の美を、宇宙に存在する一点から放射された様々な仮の姿として捉えるあたりは、谷崎の小説によく出てくるタイプですが、そのようなまっとうな哲学を持ちながら、目的はエロだけ、、、

「理想の美を持った相手を手に入れたら何をしたいか??」とは、誰でも想像する所でしょうが、青塚氏はエロだけ!!!!

様々な美の味わい方を熟知した谷崎が、気持ち悪い系ジジイが泥酔しながら若妻と痴態の限りを尽くし、それがジジイの頂点、神、という登場人物を創作して、「我々の見ている世界は果たして我々に見えている通りなのか?」、と、ぐらぐらと揺さぶってくれます。



純文学は、実に多くの読み方が出来る訳ですが(そのように作られます)、ここは敢えて、「フェチな変態」描写に焦点を当ててご紹介します。



あらすじを紹介します。

女優の由良子が、夫である映画監督・中田の死後、遺品整理をしていると、夫が残した極秘の遺書を発見します。

世間では「中田があんなに衰弱して死んだのも、あんまり彼女が可愛がり過ぎたからだと云う噂さえあるくらいに」

「夫はあの患者(注・肺病)の常として、肉は痩せても愛欲の念は却って普段より盛んであった」

と、盛んな愛欲を満たされつつ死んで行った夫が描かれて、

作品の本筋がまださっぱりわからないうちに、
「死の間際まで美人妻と濃厚な欲望の世界に生きて、死んだ」という事実が提示されます。


読者としては、「羨ましい!」と思ったり、「いやいや死の前位は心清澄になりたい」と思ったりする、そして自分の生き死にも考えるきっかけになるのです。


「由良子にしても自分の性質や今後の事を考えると、中田との恋を円満なもので終わらせるためには、ここで彼が死んでくれたのが
都合が良かった気もする。夫にもっと生きていられたら、いつ迄おとなしくしていられたか、それは自分でも保証の限りではないのである」

残された妻、女優の由良子は、映画監督である夫が利用価値が無くなりかけていた時期に死んでくれたので、むしろほっとしているようです。

美しいけれど、奔放で悪い女は、谷崎が繰り返し描くタイプです。谷崎は、美しくても貞淑で善良な女には、さっぱり興が湧かなかったのです。

その遺書には、生前、夫が妻には秘密にしていた、ある事件が書かれています。夫は、肺病が原因で死ぬのではなく、その事件が元で、生きる気力を失い、死んで行くのだと思っていました。

その事件とは。或る夜に、カフェで相席になった謎の中年紳士との遭遇です。

その四十恰好の上品な紳士は、最初はためらっていましたが、やがて、「失礼ですが、君は映画監督の中田進君ではないですか」、と思い切ったように話しかけて来ました。

物語中に紳士の名前は出てきませんが、読者は、「彼がタイトルにある青塚氏だろうな」、と察します。

彼は中田の映画作品を全部見ており、盛んに作品を褒めます。そして、監督がすぐれているだけでは良い映画は出来ず、適当な俳優を得なければ駄目な訳ですが、その点において君は非常に幸福な監督だと思う、と、女優であり中田の妻である由良子を褒め出します。

最初のうちは、作品の理解者であるように話が進むのですが、中年紳士の話は、どうも、妙に、由良子の体の細部ばかりに集中しています。

体のすべての部分が気になるそうです。

映画では、露出している体の部分はわずかですし、二次元のためそれを頭の中で立体に構築し直すためには、何本もの映画を、何回も見なければなりません。

臍だ!足の裏だ!胸だ!、尻だ!、と、パーツが明らかになる度に、青塚氏は感慨を抱くのです。

その詳細な観察振りに、監督の中田は

「では何ですか、あなたはそう云う所にばかり眼を付けていらっしゃるんですか」
「ああ、まあそうだよ。君にしてもそう云う見物の心理を狙っているんじゃないかね。僕のような人間が居て、君の作品を君と同じ感覚を以て味わって、由良子嬢の体をこんなに綿密に見ているとしたら、それが君の望むところじゃないかね」
「ま、そう云っちまえばそんなもんだが、何だかあなたは薄っ気味が悪いや。」


と、いいます。

紳士は、「由良子嬢の亭主と僕とどちらが由良子嬢の体の地理に通じているか、確かめてみたいという希望を持っている」、と言います。

亭主が「とてもあなたには敵いませんや」と言うまで、彼は由良子嬢の体を語り、紙に描き出して行きます。

さらに「君の女房であると同時に、僕の女房でもあると云ったら、君はどういう気がするかね」ときいてきます。

「一体君は、君と僕のどっちが本当の由良子嬢の亭主だと思う? そうしてどっちが、亭主としてより以上の幸福と快楽を味わっていると思う?」

徐々に紳士の異常性が現れてきます。

「それから彼は又「実体」の哲学を持ち出して、プラトンだのワイニンゲルだのとむずかしい名前を並べ始めたが、私はもうそんなくだくだしい理屈を覚えても居ないし、一々書き留める根気も無い。要するにお前ー「由良子」と云うものは、昔から宇宙の「心」の中に住んでいる、そうして神様がその型に従って、此の世の中へ或る一定の女たちを作り出し、又その女たちに対してのみ唯一の美を感ずるところの男たちを作り出す。私と彼とはその男たちの仲間であって、われわれの心の中にもやっぱり「お前」が住んでいると云うのだ。此の世が既にまぼろしであるから、人間のお前もフイルムの中のお前もまぼろしであるに変わりはない。まだしもフイルムのまぼろしのほうが人間よりも長続きがするし、最も若く美しい時のいろいろな姿を留めているだけ、此の地上にあるものの中では一番実体に近いものだ。人間と云うまぼろしを心の中へ還元する過程にあるものだと云うのだ・・・・・」


こじらせちゃったファンなのか、元々そういう事を深く考えていた人がたまたま映画で由良子という女優に遭遇して理想と思ったのかは不明ですが、上記は、さすが谷崎の登場人物、わかる気がします。

宇宙に源を発する、
輪廻転生する根源的な美、に気づいたなら、
自分の此の世の人生で、もっと違う効果が出て来ても良いのでは、と思いますが、
青塚氏は、思い切り自分のフェチ欲を追求します。


「よろしい。それなら僕の家へ来給え、実を云うと、僕は一人の由良子嬢を持っているのだ」
私は思わず立ち止まって、彼の顔を視詰めないではいられなかった。
「へえ?あなたも由良子を持っていらっしゃる?ーそりゃアあなたの奥さんなんですか」
「うん、僕の女房だ、−君の女房とどちらがほんとうの「由良子」に近いか、何なら見せてやってもいいがね」

男は中田と家に向かいます。
男は、タクシーの中でも、酒を飲み続けます。

「自分では飲まないが、僕の酔うのを喜ぶんだね。・・・つまり、その、何だ、僕をヘベレケにさして置いて、有りったけの馬鹿をつくしていちゃつこうって云う訳なんだ。」
私は彼がそう云った瞬間、何か知らないがそうっと身ぶるいに襲われた気がした。


中田は、何という不気味なヒヒジジイだろう、気が狂っているのか、こんなジジイに若い美しい女房なぞがあるのか?と不気味に思います。

タクシーの中で更に泥酔した青塚氏は、車が揺れる度にぶっつかって来たり、女にでもふざけるように寄りかかって来たり、中田は、その口の臭さとニチャニチャした脂手の気持ち悪さに辟易します。しまいにはキッスを迫られ、よだれまで頬に垂らされてしまいます。

そして、闇の中の丘の上に立っている、謎の洋館にたどり着きます。

そして。びろうどのカーテンに囲まれた寝台に寝ていた妻とはーー。人形でした。

「誠に気味のわるいのは、それがお前に生き写しであるばかりでなく、彼はそう云う人形をー彼の所謂「由良子の実体」なるものを、ー幾体となく持っているのだ。即ちお前の寝ている形、立っている形、股を開いている形、胴をひねっている形、ーそれから到底筆にすることも出来ないようなありとあらゆるみだらな形。私が見たのは十五六だったが、彼の言葉に従うと、「うちには由良子が三十人も居る」と云うのだ。
私はよく、船員などが航海中の無聊を慰めるために、ゴムの袋で拵えた女の形の人形を所持していると云うような話を聞いたことがある。しかし実際にはそう云うものを見たことはなし、又そんなことが有り得るかどうかも疑わしいと思っていたけれど、此の男の人形はつまりそれなのだ。」


あああーーー。


個人的な感想を述べますと。
同じ人形が沢山って、それ、既視感が。

かく言うワタクシも、台湾の人形劇、ピリの木偶を家にお迎えしております。

素還真の方は、いろいろなバージョンや化身が有ります。ファンは同じ顔の人形を揃えることになります。同一人物の人形が三十体、それあり得ます。

宮無后の方は、幸い一つのバージョンしか有りませんが、一体で満足かと言うと、そうもいきません。手作り品で、人形を作成する人が複数居るため、一体一体の顔が作り手の個性を反映して、微妙に違うのです。

正妻が嫉妬深いため、第二、第三夫人を迎えられませんが、
今後は、もしかしたら、他人から見れば「同じ顔の人形が沢山居る!」という状況になるかもしれない。。。。

冷や汗です。。。。。

さらに言いますと、宮無后は、劇の中で大変色香の濃厚な登場人物であります。うちに居る子は、更に、目元がほんのり紅く染まっており(作成した人によって、また作成する人のその時の創作姿勢に依って一体一体違います。手作りですので)、端から見ると、もしかしたらお色気系専門でうちに居ると思われているかもしれない!!!




青塚氏は、ゴムの人形にホースでお湯を注入して膨らませてみせます。

「お前は定めし、そんなものがいくら自分に似ていると云っても、ゴムの袋ならたかが知れている、どうせたわいもないものだろうと思うであろう。彼がいかにしてあの驚くべき精巧な袋を縫うことが出来たか、その凄まじい苦心の跡を語らなければそう思うのも尤もだけれども、一通り説明を聞いた私にも、さて自分でやって見ろと云われたら、到底あの真似は出来そうも無い。云うまでもなくそれは材料の買い入れから最後の仕上げまで、悉く彼一人の手で作られたもので、彼の工房に入ってみれば、決して偽りでないことがわかる。お前はそこに、凡そお前の肉体に関する得られる限りの参考資料が、途方もない執拗と丹念を以て集められているのを発見するだろう。人は総ての表面が鏡で張られた室内へ閉じ込められると、遂には発狂するものだそうだが、お前はきっと、ちょうどそれと同じ気持ちを味わうだろう」

ここからは、全文を引用しなくては到底伝わらないぐらいの、執拗振り。

粘土で原型を作って当てはめながら、ゴムの人形を縫い上げて行きます。腑に落ちないところやわからないところは、生きた「原型」にも当てはめてみます。つまり、乳房や背筋や、膝や頸やと、由良子に似た部分を保つ遊郭の娼妓のところに縫いかけのゴム布を持って行き、一々合わせるのですね。

彼は、スクリーンで繰り返し由良子を観察しまくって立体を組み立てるだけではなく、由良子に似た部分を持つ生きた女を、日本各地で探し当てているのです。どれだけ遊郭を探訪しまくったのでありましょうか。

中田は、その人形の真珠のような歯列や、艶やかな髪の毛やまつげや、生き生きとした眼球や、舌や爪を、どうやって作ったか、何で出来ているかという段になると、不可思議というより想像がつきません。青塚氏も「こいつは秘密だよ」と言ってニヤニヤ笑うばかりです。が。

「その薄笑いは私に一種云いようのない、恐ろしい暗示を与えないでは措かなかった。或る何か不潔なもの、物凄いもの、罪深いものから、此の材料は成り立っているのじゃないだろうか」

例えば、死体の歯であるとか、そういった物のことを言っているのでありましょう。

「此のゴムの袋は鼻の穴を持ち、鼻くそまでもっているのだ。そうして全く人間と同じ体温を持ち、体臭を持ち、にちゃにちゃとした脂の感じを持ち、唇からはよだれを垂らし、脇の下からは汗を出すのだ」



青塚氏がそう云う人形を三十体も拵えたのはなぜかと云うと・・・・に由って、いろいろのポーズが必要であるからだった。例えば・・・・・膝の上へ載せる時のポーズ、立って接吻する時のポーズ、・・・・・。

と、文中でも伏せ字になっております。

「あ、そうそう、君は僕が女房のよだれを舐めるなんて馬鹿だと云ったね。ほら、此の通り・・・此の通り僕は舐めるんだぜ。此れどころじゃない、・・・・」
彼はいきなり床の上へ仰向けに臥た。股を開いてしゃがんでいる人形が、彼の顔の上へぴたんこに座った。彼は下から両手を挙げて人形の下腹部を強く壓さえた。人形の臀の孔から瓦斯の漏れる音が聞こえた。私はひひ爺の顔から禿頭へねっとりとした排泄物が流れ始めたのを、皆まで見ないで窓から外へ飛び出してしまった。そして真っ暗な田舎道を一目散に逃げて行った。」


文字通り、裸足で逃げ出した訳ですね。

汗も、涎も、排泄物も、おそらくは、由良子に似た部分を持つ娼妓に、由良子が取るであろう食事を再現したものを食べてもらい、採取したものだと読者が想像出来るように書かれております。

現場から裸足で逃げ出した中田は、その後、全否定したいはずの青塚氏が気になり、氏の名前や家を確認します。

そして、氏の話に出てくる由良子のパーツを持った娼妓たちを自分でも訪ねてみます。そして、青塚氏の語った通りだったと知ります。


「私の恋しい由良子は、此の世に一人しか居ないもの、完全に私の独占物だと思い込んでいたのに、あの晩以来、その信念がすっかりあやふやになってしまった。お前の影は日本国中に散らばっている、あの爺の寝室の押し入れの棚にも畳まれている、お前はそれらの多くの「由良子」の一人であり、或いは影に過ぎない。・・・そう云う感じが湧いて来る時、私はお前をいくらシッカリ抱きしめても、此れがほんとうの、唯一の「お前」だという気になれない。果てはお前が影である如く、私自身まで影であるように思えて来る。」


と、そのような訳で、生きる意欲を失って、段々衰弱して、此の世を去ってしまった、という訳なのでした。

まっとうなお人形ファンは「嫌ああ!!!」と叫んで逃げ出すでしょうが、
見てはならない世界も有る訳です。

現代では、フィギュアや人形を「嫁」と称して暮らす人も多いですね。同一人物の、違うポーズのフィギュアや人形を沢山持っている人も多いでしょう。


自分で理想像を作成するかしないか、の差こそあれ、ディープなオタクの中には、「一歩間違えたら俺も青塚氏だ」と、戦慄し、或いは嫌ーな親近感を抱く人も居るでありましょう。

フェチの人の中には
「あっぱれ」と思う人も居る事でしょう。


青塚氏は変態性欲を満足させるために執拗に調査を重ねましたが、
研究者やアーティストも、目的が変態性欲の成就では無いだけで、同じような執念深さで目的に迫ります。

自分でも、異常なほどの緻密な設定、資料収集、寝ているときもそのことを考えている状態、など、大筋は青塚氏とそう違わないのではないか、と思うだけで、嫌な気持ちです。

まあ、詩人や画家や音楽家などは、「自在の境地」が重要なのですが、
そこに達する前に、鍛錬と緻密な作業があるわけですね。


色々なシーンに合わせて色々なポーズの同一人物の人形を揃える辺り、
「球体関節人形が此の時代に有ったら」とか、
「ピリの木偶なら一体で色々なポーズが取れますよ。あ、裸体は無理ですけど」とか、
いらぬツッコミをしてしまう自分がいました。

青塚氏は道を誤っちゃっただけで、
似たような事は世間の底流に幾らでも流れているといえます。平成ももう終わりの現代においても、色褪せるどころか、ますます通用する谷崎文学。


もっと露骨で刺激的描写の小説は、世の中に沢山あります。

それらよりも、谷崎の作品がいかがわしくエロティックなのは、大文豪としての筆力の成せる技でしょう。そして、行為的ないかがわしさよりも、精神的ないかがわしさゆえでしょう。


江戸川乱歩の人形愛の世界、「人でなしの恋」や、二次元愛「押絵と旅する男」には、共感する人が沢山居るはずですが、谷崎潤一郎の「青塚氏の話」は、多くの人を震撼させます。
しかし、強烈に印象に残る事でしょう。


文豪が描く、気持ち悪い系フェチの世界でした。




by leea_blog | 2019-01-13 15:57 | Comments(2)
Commented at 2019-01-13 17:19 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by leea_blog at 2019-01-13 20:13
> 親愛なる内緒コメント様
えらいお目汚しの日記で済みません^^;
誰かを愛してしまうということは、
本当に、不思議な作用です。
色々好きな理由を並べてみても、
それだけではどうにも説明がつかない。
あばたもえくぼになるには、
何かもっと、自分の意志だけではどうにもならない何かが働いていますよね。
遺伝子の魔法かな、
そのご理解は正しいと思います。

ははは、ウチの宮無后は、
実は、自分でも、
どうにも不思議なのです。
好きな理由は色々挙げられても、
生物と物体、という、
超え難い壁があったはずなのに。
前世の因縁かもしれないし、
神が?何かを操作したもうたのかもしれません。


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