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  雨時のけはい、夜の言葉



        
いろいろトラブルに見舞われましたが、6月6日、無事誕生日を迎えました。



幻想文学の深淵に降りてゆくことは、発展途上の理論の援護は届かない、闇の領域を歩むことだ。以下、引用。



理性的な思考も理性に基づいた倫理道徳も、想像力の活動している心の奥底の不思議さを“説明”することはできません。おとぎ話を読むという、ただそれだけのことでさえ、わたしたちは昼の光に保証された信念を捨て、暗い影に包まれた者たちの導きに身を委ねて沈黙のなかをすすんで行かねばならないのです。そして帰ってきたとき、わたしたちがどんな所にいたかを描写するのはとても難しいかもしれません。

(アーシュラ・K・ル=グウィン『夜の言葉』山田和子訳)

 

上記本収録の「アメリカ人はなぜ竜がこわいか」も引用。以下

「ファンタジーってどう思う。なにかファンタジーのこと、話して」。すると友人のひとりが言いました。「いいわよ、信じがたい話、教えてあげる。十年前なんだけどね、わたし、ある市の図書館の児童室へ行って、『ホビットの冒険』ありませんかってきいたの。そしたら司書の人に言われちゃった、「まあ、うちではそれは大人用の書架にしかおいてませんのよ。逃避的なものはお子さんたちによろしくありませんでしょ」ですって」
これには友人もわたしも大笑いすると同時にぞっとして、この十年で物事もずいぶん変わったものだと言いあったものです。

(アーシュラ・K・ル=グウィン『夜の言葉』山田和子訳)


それは笑うよ。「それは大人用の書架にしかおいてませんのよ」とは、別の意味で有害図書なのがばれてるからというなら、すごく分かるのだが。


『ホビットの冒険』を借りに来た子供に司書さんが「ほほほ、もっといい本もあるのよ」と謎の微笑を浮かべつつ、カウンターの陰からこっそりと渡す本は、『指輪物語』。それも読み終えると、司書さんはさらにこっそりと最大級有害図書『シルマリルリオン』を渡すのだった。子供部屋でそれを見つけた親が図書館に怒鳴り込む頃には、くだんの司書は行方をくらましていた。というように。


『ホビットの冒険』だけでやめるなら有害とはいわないが、関心を持った児童が禁断の地に足を踏み入れるのは時間の問題である。
知人の知人と『シルマリルリオン』の話をすると、決まって沼正三の『家畜人ヤプー』が引き合いに出される。


有害と有益は源が同じである。読む側にとってだけではない、作者にとっても、毒の杯は同時に霊酒なのである。
by leea_blog | 2003-06-17 03:23 | Comments(0)
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