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生の空間は予測が不能な精気に満ちていた


トールキン氏の朗読CDについて書こうとしているうちに。。。。
朗読をすることになった。
朗読は私にとって地神への祈りの一形態である。


『揺蘭』の締め切りが七月末に迫り、『夜の会』向けの視覚作品の目処も立たず、おまけに梅雨バテしている。
仕事と治療に時間&体力を持って行かれる悲しい身分のりり山としては、お誘いを受けても断る理由が山積みである。


しかし、先日。
締め切り間近で余裕のない私は山根研一氏の真珠詩集出版記念パーティーに出向いた、会場の高い丸天井に感嘆した、水島美津江さんから“連絡したのに連絡付かない”と指摘され済まないと思った、水島さんは朗読会を企画していた、私は彼女の指輪の石の色に魅入られつつ頷いた、池袋で打ち合わせがあるから来ませんかと誘われた、池袋なら近いから行きますと返事をしていた。催眠術か? それとも指輪に何かの力があったのだろうか? 後になって締め切りが迫っていることを思い出して密かに蒼ざめたのであった。。。。


かくのごとく、なまもののお誘いはなまの状況しだいで変化する。
生きている空間の力の作用である。


打ち合わせは三次会辺りで異様な盛り上がりを見せた。
生イベントは常に予測不能な部分が最も面白いから足を運ぶ価値があるのだが、今回も「こ、こ、これは????」と感じる何かがあるのではないかと期待している。


十九日の夕刻より渋谷で。いらしてくださいね、と書きたいところだが、今回はお客はお呼びできないそうである。会場が狭いという理由らしい。


日にちも迫ったので精進潔斎している。今回どういう作品をどういうモードで読むか、まだ定まっていない。
トールキン氏のエルフ語の詩、あるいは未邦訳のシルマリル関連の詩(英語力無いりり山の訳)でいこうかと考えたが、打ち合わせ時の、鈴木東海子さんの“詩人本人が自作を読む意義について”の言及により、布教朗読は思いとどまる事を得た。


今日は自作を読むことについても書こうとしたのだった。
が、時間が尽きたようだ。またの機会に。
by leea_blog | 2003-07-15 03:31 | Comments(0)
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