運動不足を理由にして、徒歩30分の場所に有るシネコンに出かけた。
私が映画館に行くのは、年に3回ほど。目的は気分転換だ。 美に浸りたい、とか、清らかな気持ちになりたい、とかは、映画以外の物が担当しているワタクシの生活。 思いきり気分転換になる映画として、今回俎上に上がったのは、 300(スリーハンドレッド) である。 知らない方は、まぁ、公式HPを見てください。 ↓ http://wwws.warnerbros.co.jp/300/ 小さなパンツ一枚のヒゲのおじさんが、むきむきの筋肉を誇示しつつ吼え猛っている、暑苦しい画像にお目にかかれる。 そう、これは全編、血と筋肉と殺戮の物語だ。 一応、歴史物である。 古代ギリシアの都市国家対ペルシア帝国。そう、あの血わき肉躍るペルシア戦争の一幕だ。 ヘロドトスの『歴史』を読みながら、ペルシア戦争のシーンで手に汗を握りませんでした? そんなマニアックな本は知らないって? ヘロドトスは古代ギリシアの学者です。ヘロドトスの『歴史』は、固いタイトルに合わず、素晴らしくすらすら読めて、枝葉につぐ枝葉、脱線に次ぐ脱線、そもそも脱線しつつ考察し叙述するのが目的という(そうだったかな、そうだったよね。そんなような事が書いてあって、中高生時代のワタクシは万歳を叫んだ。いかん、再読して根拠を確認しなくてはならない。が、とりあえず続ける)、つまり歴史の教科書と思ったら大間違い、手法も鮮やかな、お勧め本なのである。 ヘロドトスを褒めまくるのはこれくらいにして、300というこの映画だが。 ペルシア帝国とギリシア都市国家では、蒙古対鎌倉幕府。数では全く勝てそうにない相手との戦闘の一部、高名な「テルモピュライの戦い」が下敷きになっている。 映像、ストーリー的には、感動するというより唖然とする。 レオニダス王率いるスパルタ軍も、勇猛果敢が行き過ぎて、対話不可能な好戦的野蛮人だし、装身具をびっしり身にまとったペルシアの王(これも何故か金の小さなパンツのみで肉体美を誇示)クセルクセス王率いる侵略軍は、ロードオブザリングのモルドール軍とまごう化け物ぶりだし。 「あんたたち、変!」、の一言である。 見かけも考えてる事も変だし、血と肉と汗と屍に埋め尽くされた画面だし、で、その徹底ぶりが、大変気分転換になった。 もしかしてアメリカは、自分たちが侵略した土地の、徹底抗戦の過激派組織の頑固さを、誇り高さとして認識し始めたのか? 富と数と力に物を言わせる変なペルシア帝国軍は、どう見てもアメリカを戯画化しているでしょう。 それとも、殴られそうになったら殴られる前に相手をぶち殺す、誇りと自由の名を借りたスパルタ王の暴走ぶりこそがアメリカっぽいのか? いずれにしても、殺すか殺されるか、降伏か玉砕か、イエスかノーか、のストーリー展開が、繊細で傷つきやすい現代人が皮膚一枚の下に押さえ込んでストレスにしている血と暴力の欲求を代行してくれるような映画だ。 ちなみに、主人公側のスパルタの体制も、美しくない。 戦士になれない弱い身体で生まれた赤子は殺されるし、幼い頃から質実剛健が行き過ぎてゲリラの少年兵養成所とみまごう組織で戦士として育成され、王の子と言えど丸刈り、腰布一枚で、灰まみれで常に飢えている。 掟も法も窒息しそう、美しい生娘は予言の役割というと聞こえはいいが古い法を牛耳っている醜悪な老人たちの色情の餌食だし、議会はペルシアに賄賂をもらった議員が左右して、スパルタ王妃は議員を味方につける為に自分の身体を差し出すし、民主主義に夢を抱かせるよりも現実を強調している。会議の場で裏切りに会えば王妃は問答無用で相手を殺すし、殺さないと収賄議員の悪事は発覚しないし、つまりは議会は弁舌で幾らでもごまかされるわけで、議員達に知恵も洞察も見識も無い。 専制君主から見れば、「自由だ民主主義だと言うけれど、人間の狡猾さと醜悪さが増強されるだけではないか」、と突っ込みがたやすく入りそうである。 死を覚悟で出陣した300人のスパルタ兵に合流しようとした男が出てくる。 障害を持って生まれた為にスパルタの掟で殺されるしかなかったが、両親は赤子を殺すにしのびず、スパルタを逃れて隠れ住み、こっそり息子に戦闘の手ほどきをした。戦士としてスパルタに戻りたい、という、今は無き両親と自分の長年の夢がかなうチャンスがやってきたのだ! ちょっといいエピソードなのか???。いやいや、聞いて驚け。 障害を持って生まれても戦士として役に立つと証明できるのかと思いきや。スパルタ軍の得意とする戦法が出来ない為に戦士の一員にしてもらえず、絶望した彼はペルシアに寝返ってしまうというのだった!!!。 生まれ持った身体は、本人の責任ではない。高いこころざしとたゆまぬ努力で自分の人生を勝ち取れる、というのが、機会均等のアメリカのうたい文句だったはずだが、えーと、これってアメリカ映画じゃなかったんだっけ???? うむ、つまり、どんなに努力したって規格外ならダメ。こころざしが高かろうが低かろうが、報われる事なんか無いんだよ。規格外の奴は、生まれた直後に死んでれば良かったのさ。両親もお前さんも、期待した為に、無意味な人生に後悔と絶望を加えて悲惨にしただけなんだ、といわんばかりの強烈なエピソードなのだ。 玉砕直前のスパルタ軍に、ペルシア王は降伏を勧める。スパルタ王の勇猛果敢を評価して、全ギリシアの王としての地位も与える約束をする。ペルシアに寝返った例の男も、スパルタ王に降伏を頼む。自分を受け入れてくれなかったスパルタ軍に報復したいのではなくて、無意味な死を避けて欲しいのだ。しかし王は彼に侮蔑の言葉を浴びせて玉砕。 いやはや、そんな風にスパルタは、不寛容、鈍感、短絡、と、実に生きにくく潤いの少ないお国に描かれているのだ。 スパルタ側でのいいシーンは、ペルシアの使者に王妃を「女が口を挟む」と侮辱されたスパルタ王が、使者を殺す前に王妃を振り返り、彼女を侮辱した男を殺すか否か目で問うシーンだろうか。もう一つ位挙げるなら、スパルタ王と王妃のベッドシーンが、人格的に立派な夫婦に描かれていた所か。 ここに描かれるようなスパルタにもペルシアにも生まれたくないし、「もっと何とかならないのかな」、と思うような連中ばかりだ。 しかし、この映画には別の良い点が。 自分は正しい、ゆえに、自分の信念を曲げて生きるくらいなら玉砕する、そして自分を見下した相手は容赦なく死をもって償わせたい、という現代人には実行が難しい、本音を代行してもらう快感である。しかもそうした行為が、結局は国民やギリシア諸都市を奮起させ、のちのち英雄的行為と評される。 ペルシア王にしても、有り余る富と権力を誇示し、美しい女達に囲まれ、自分を神とあがめさせて、服従した者には余裕と寛大さを存分に見せ、自分は戦闘に加わらずに高い所から見物したい、そうしたほとんどの人には実現不可能な欲望を代行しているのだろう。 さらに、殺したい奴がいたら殺す快感。人ひとりの命は重い、という建て前と現実の違いにうんざりしてる米国の青年達のうっ屈を晴らすのに役立っていそうだ。 そうそう、人を殺したくてたまらないそこの君、ガス抜きにこれを見に行ったらどうだね? どうだ、気が晴れるだろう。人間はね、動物だ。身体面の戦闘本能を抑えて生きていると、遅かれ早かれ破綻するんだ。男なら敵をぶち殺せ。殺して殺して、殺しまくれ。君の為に国家は軍を用意している。金を貰えて、しかも殺戮は合法だ。裁かれるどころか名誉を得られる。弱虫の君もスパルタ王のように生きられる、そんな場所が軍隊だ。さ、これにサインしたまえ。 という、軍の策略だろうか。。。 気分転換にはなるが、何日か経って振り返ると、じつに殺伐とした気分になるのである。よそのお国ではけっこう受けているらしい(公式HPによる)が、私が見に行った時はお客はまばらだった。ほとんど男だったし。それは当たり前か。 日本ではあまり受けない要因として、玉砕よりも、「戦争は嫌だ」「死にたくないし、殺したくない」「君死にたもうことなかれ」、と言う方が、戦中はよっぽど勇気ある行為で、後の時代にも褒め称えられている、という現状が有るからだろうか。 スパルタ王の栄光の死を、戦士が王妃と子供に伝えるシーンがある。 王妃が「ホントに強い男なら、生きて戻って妻子を守ってくれなくちゃね」と呟くシーンが無かった事が不満なワタクシは、やっぱり日本の女なのである。
by leea_blog
| 2007-07-24 01:31
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