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レオノーラキャリントン・ 耳ラッパ



レオノーラ・キャリントンの素晴らしい短編集『恐怖の館』について先日触れた。シュールレアリスト全開の『恐怖の館』に比べ、長編『耳ラッパ』はほぼ万人向きだ。

 ほぼ万人向き、というのは、筋が普通にあるし、普通に登場人物が際立っているし、引き込まれる伏線も普通に沢山あり、構成も普通にしっかりして、何より文体がシュールレアリスムではない、つまり普通に読んで普通に面白い、という意味だ。

(アンドレ・ブルトンの「溶ける魚」が初心者にもお勧めの、詩的イメージに満ちあふれた素晴らしい短編集だ、とワタクシが言っても、多くの人はシュールレアリスムな文体に恐れをなして読むのを止める。非・万人向きの例である)

 書物に対して「普通に」と言う時は褒めて無い時なのだが、この作品は「普通じゃつまらないだろ」と思う人にも面白い。

私がうんと若い頃、『妖精文庫』という翻訳ファンタジーのシリーズがあった。装丁がどれも、素晴らしく美しかった。シリーズに収録されている作品のチョイスはワタクシの好みと違ったが、本の美しさに魅かれて、何冊か買った。『耳ラッパ』も妖精文庫で出ていたが、当時は買わなかった。出会うのが遅れたわけだ。

主人公は92歳の老婦人だ。彼女は比較的常識的で普通の感性の持ち主だが、彼女の親友や男友達、そして老人ホームの面々が一癖も二癖もある高齢の方々だ。
かなりの高齢者が中心に活躍する、錬金術的、魔術的で痛快な幻想文学なのだ。


高齢になるということは、現代日本では、否定的なイメージに溢れている。一昔前は、「悠々自適の年金暮らし・趣味に没頭できるご隠居生活」という、それなりのイメージもあった。貯金して利子で生活、というのも昔はあった。

が。昨今は。年金も将来はもらえないかもしれない、税金は上がる、年寄りも死ぬまで働かされそうだし、虐待されるかもしれない。と、まぁ、体が利かなくなって病気も多くなるだけではなく、楽しくないイメージが多過ぎる。
年寄り云々の前に、いわゆる熟年になる、という事に否定的イメージがまん延している。仕事とローンに追われ、あるいは満員電車で通勤し自分の時間が無い、揚げ句はリストラや過労死、働き盛りの自殺が多発、となると、「早く大人になりたいぜ」というのが無い。

「かっこいい大人」像については、後日書きたい。今回は、「かっこいい老人」像である。かっこいい老人の代表格(幻想文学で)は、指輪物語のガンダルフだろう。指輪物語では、老人は大抵賢者で何がしかの権力・呪力、あるいは深い知識と知恵を持っている。しかも行動的だ。若いもんを救う英雄的な行動に溢れて、実に頼りになる。
 指輪物語ではエルフ族が重要な役目を果たすのだが、彼らは殺されない限り死なない種族で、彼らは何千年の知恵を秘めている。「世界と同じくらい古い」事は驚嘆すべき、名誉な事なのだ。もともとのスケールが違う。

『耳らっぱ』の主人公マリアンは耳もよく聞こえず歯も無くまずうらやましい体力状況ではない。不良の孫に悪口雑言を浴びせられ、嫌な性格の嫁に疎まれ、息子は性格がいいがそれだけで、特に対話も無い。愛着のある日常から引きはがされて、望まない老人ホームに入れられる。老人ホームの経営者夫婦はケチで悪人、ホームの同輩にも性悪な老人多し。と、まぁ、ありがちな設定で、楽しい老後とは言いにくい。
 が。老人ホームに入ってから、事は急展開する。100歳近い生活や日々が、楽しそうでかっこいい展開となってくるのだ。

私は立ち読み時にうっかり最後の一文を読んでしまった。読んでしまって、「凄そう」とすぐに買った。
これから読む人にも差し支えない上、この一文だけで凄さが伝わる為、以下に引用する。
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「もし老いた婦人がラップランドに行けないとすれば、そのときにはラップランドが老いた婦人のところにやって来るにちがいありません。」(中野雅代・訳)
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線画5枚と写真4枚が収録されて、2000円+税。工作舎。
by leea_blog | 2008-07-02 22:05 | 幻想書物 | Comments(0)
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