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猛き淫蕩




僕が『獣的な魅力』と云い、『不可思議な美しさ』と云ったのは、重にその顎と鼻のためですが、もしも彼女にあの物凄い瞳の魅力がなかったら、その容貌は恐らく平凡な『獣的』に堕し、その不思議さも或いは寧ろ醜悪に見えたでしょう。それは実際、物を見るための瞳とするに餘り輝きの強過ぎる、燐の炎が燃えているような、碧い、大きな、時に依っては海のようにひろがるところの二つの水晶体でした。彼女は屡々気むずかしそうに眉をしかめる癖があって、そう云う折に瞳は潤いと深さとを増し、そこから何か、光った露がきらきらこぼれ落ちるように思われました。が、此だけではまだ、彼女の獣的な美しさの全部を述べていないのです。日本の芝居に、真っ紅な髪と真っ白な髪を振り乱して踊る『石橋』と云う舞踏がありますが、僕は始めて彼女を見たとき、あの『石橋』の獅子の精を想い出しました。なぜなら彼女の髪の毛の色はちょうどあのように紅かったからです。西洋人には生まれつき紅い髪の毛の女は珍しくなく、たまに見かけるものですけれども、彼女の髪の色つやと云ったら、今此のストーヴに燃えているあの赤熱した石炭のようで、僕はああまで強烈に紅いのを見たことはありません。



(谷崎潤一郎「一房の髪」より
 オルロフ夫人の思い出を語るディック)
by leea_blog | 2001-07-30 01:55 | Comments(0)
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