2018年 02月 02日 ( 1 )

「死にたい人は金を使い果たしてからにする」、という選択肢。


過去日記に、
何度も自殺直前まで行った状況を書いた。


転地療養に出掛け、
どうしても頭に引っ掛かる事があった。

自殺する人は、
貯金を使い果たしているわけではない、という点である。

世間を震撼させた、
座間九遺体事件。

「死にたいけれど、自分では死ねないのでだれか殺して欲しい」、という女性たちをおびき出して、
次々と殺していた事件である。

報道に依れば、
白石容疑者は、
被害者に、
「有り金くれれば殺してあげる」と言い、
被害者の一人は50万ほどを払ったとの事だ。


死ぬんだから貯金はもう要らないのだが、
死ぬのは、自分でやればお金は掛からない。
タダのものに、50万払ったのである。

実際のところ、

死にたいけど自分では死ねない人にとっては、
手持ちのお金で安楽死させてくれるなら、
希望者は殺到しそうである。。。




私も、
電車に飛び込みそうになった時は、
「貯金を使い果たしてから死のう」とは、
まるで考えなかった。

一刻一秒が苦痛で、その苦痛から逃れる極楽手段が、
自殺なのだ。
極楽の黄金の光を目の前にして、
もう、金など何の価値も失っており、
「最後に豪遊しよう」などという心の余裕が、
全くなかった。



自殺願望が消えた今振り返って見ると、
死ぬのなら最後に豪遊したら良いのではないか、と、
心から思う。

死ぬなら、最後に行きたかった遺跡を尋ねたり、
見たかった景色を見たり、
してからにすればいいんじゃないか、、、

そういうのも、
今だから思えるのであるが。。。


最後に豪遊してから心静かに自殺する人も居るには居るが、
少数である。
家族が居れば、家族にお金を残したいであろうし。



「生きていればそのうち良い事もあるよ」というのは、

結局勝ち組の言い分である。

「それは理想であって現実ではない」上、

他人の人生に何の保証も無しに綺麗事を言うのは、

デリカシーが無さすぎる。

「自分も何度も死のうと思った、
だが、死ななくて良かった、
君も死ぬな!」という、

昭和のスポ根のような、
人生努力だ、的な、
論調は、本当に自粛して欲しいものだ。

余計絶望が増すだけである。




しかし。

「死にたいけれど死ねない」なら、
「殺してあげるよ」という見知らぬ男性とやり取りする余裕があるなら、
50万円払って殺してもらったなら、
もしかしたら、
「本当に死ぬ時期じゃなかったのかもしれない」、という可能性がある。


50万円あったら、
使い果たしてからにしてみようではありませんか。


転地療養先で、
マッサージを受け、
ストレスで歪んだ骨格が治り、
眉間の凝りが取れた帰り途、

どうしても、
「50万円あったら、
何が出来るか」を考えてしまったのだ。

「死ぬ時期では無かった人が、死を選んだのかもしれない」、という、
何とも割り切れない気持ちである。


コンビニのおにぎりを買うお金も尽きて、
「もう駄目だ。死のう」と、
入水自殺するのと、
50万円が手元にあるのとは、
状況が違う。




貯金を使い果たしてみて、
「やはり死にたい」と思ったら、
その時死ぬのでも遅くはない、と思うのである。


使い果たした結果、
「やはりもう少し生きてみよう」と思ったら、
福祉事務所に出掛けて生活保護の申請。


50万円が手元にあったら何が出来るか?


たとえば、

近場の海外に飛んで、

安めの宿に泊まり、

毎日マッサージを受け、

沢山でなくていいからちまちまと栄養の有るものを食べ、

自宅ではない環境でごろごろして、

心身を休めてみる。


ストレスが掛かりすぎる日常から、
一歩身を引いて、「緊急避難」してみるのである。

近場なら、

飛行機代は片道二万くらいで何とかなるし、

一泊五千円くらいで浴槽付きの宿に泊まれる。

若い人で、相部屋でも気にならない、という場合は、

一泊二千円以下で、ドミトリーに泊まれる。

マッサージも、五六千円で腕のいい人に見てもらえる。

50万円あったら、
日常から緊急避難して、
本当にどうしても死にたいのか、自分に問い直す事が出来るのではないか。


ちなみに、一週間とか10日で何とかなる訳ではないので、
ゆっくり寝て、
脳を休めるのがおすすめである。

それには、
心療内科に掛かって、
眠れる薬は処方してもらうのが良い。

どんなに健康な人でも、
ちゃんと寝られていなければ、
脳が疲労して生存本能がやられてしまう。










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by leea_blog | 2018-02-02 18:54 | Comments(0)