2018年 10月 07日 ( 1 )

陋屋日記・まれびと冊子「揺蘭」今年号



三連休中日だ。

仕事に復帰してから、
暇が無い。

体力も無い。


過去日記を読んだ通りすがりの皆様は、

「自殺願望を克服して職場復帰しても、

それはそれで、大変そうだな。

良い事無さそうだし」

と、思われる事であろう。


実際、そんな感じである。


まあ、

お釈迦様の時代から、

生きるという事は苦痛に満ちていたようであるし、

一神教でも、

人類の現在は、

楽園を追われたものと認識されている。




藤原道長のように、

「此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の

欠けたる事のなしと思へば」という、

そんな歌を詠む人など、

貴賤を問わず滅多に居ないのだ。


とは言っても、

人間は死なない限り生きている。


どう生きるかが問題だ。

大きなテーマのように聞こえても、

ささやかな事から始められる。


幸せのハードルを下げてみるトレーニング、

これは貴賤を問わず有効であろう。



いつものように、関係無い話から始まったが、

本題はこれからだ。


一年に一度発行される、まれびと冊子「揺蘭」の、

15号の原稿が集まりつつ有る。


集まった原稿の中から、

さわりをブログにアップして、

雰囲気をお伝えして行こうと思う。



本題はここまで、

以下は余談だ。

余談。


編集人の原稿のメインが、

14号の人形愛エッセイの続きとなってしまいそうである。



江戸川乱歩の「人でなしの恋」実践版。


この歳になってこのような馬鹿で狂った話を印刷物にするとは、

昔は想像もしなかった。


文体が、

頽廃とも耽美ともかけ離れた、

これまでに無い文体である。


正直な所、

自分でも「これでいいのか?」と、

考え込んでいる。


「りーあさんの実生活って、

森茉莉の贅沢貧乏みたいな感じだと思っていたけれど、

最近はキモオタ???」


いやいや、

オタクというのとはまた違うし、

愛好家というのとも違う、

人形ファンというのともどうも違う、


此の世の裂け目に足を突っ込んでしまい、

日常という大地から異界に落ちてしまった、


物語を書く人が、

物語の中の人になってしまった、


どうにも奇怪な感じなのである。



奇怪と言えば、

私の日常生活は元々奇怪な部類であった。


高校生の頃取り組んでいたシリーズが、

「交霊術師」、「人魚迷宮譜」だった。


「降霊術」ではなく「交霊術」である。


此の世の物ではない女性と破滅的な恋愛をする男性の話だったり、

此の世の物ではない男性や精霊と、異形の恋愛をする女性の話だったり、

そのような、霊と交わるのが、「交霊」だ。

その後の人生、

それを押し進めるテーマに取り組んで来た。


が!





50を過ぎてから体験した人形愛は、

とても建設的な、

思いやりに満ちた、

端から見ると「異形」だけれど、

本人からすると、

今までの人生に無かった位健全な愛情生活なのであった。。。



ちなみに、

ウチの宮無后は、

承認欲求が強い。


彼が自殺する以前は、

(前世?)

他人からとても執着されていた。

執着されるのが当たり前、

束縛されるのが通常の生活だったのだ。


私の家の一員となり、

私から「自由な人生を歩みなさい」と言われて、

当初は困惑し、

愛されていないと思ったようである。


そのような訳で、

私が馬鹿日記にしか書いていなかった人形愛を、

印刷物にする事になって、

承認欲求が満たされているらしい。




















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by leea_blog | 2018-10-07 22:09 | Comments(6)