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2019年 04月 08日 ( 1 )

菊池浩平 「人形メディア学講義」の薦め



布袋戯の木偶を好きになるまでは、
私にとって「人形愛」は、
他人事であった。

いわゆる「教養課程」のようなもので、
「そういうの好き。
でも、私は人形を本当に愛することは生涯無いだろうな」、的な、
理解は出来ても感情移入は出来ないものであった。


人形愛に落ちてみれば。
私を取り巻く世界が、
新たな様相を見せた。

神秘のヴェールが、
一枚取り払われたようであった。
(世界はまだ多くの神秘のヴェールをまとっている)


私は、
「他の人にとって、
人形とはどのような存在なのであろう」と、
興味を持った。


最近、
菊池浩平 「人形メディア学講義」を読んだ。

面白い!

帯文に、

「早稲田大学文学学術院の2年連続「面白い講義」第一位が書籍化!」とある。

実に生き生きとした内容で、
しかも、
読者の素朴な疑問やディープな疑問を、
巧みに刺激してくる。


「人間と人形の不思議過ぎる関わりを、
こうした学問にして、
追求の念を起させてくれる。
素晴らしいな」と思う。



面白い点を挙げればきりがない。

菊池氏が文中で引用している、生人形についての文章を、引用しよう。

ーーーーーーー
実際には見ることができないもの、イマジネーション世界のものを、そこにあたかも存在するかのような三次元の物体として立ち上げることが生人形の本質であった。それはいいかえれば、あり得ないものを物質化してかたちにし、想像世界そのものを眼前に形象化してしまう物質的恍惚といってよく、そこでいかにも存在するかのごとくに裏支えする手わざとして、一種、スーパーリアリズムともいえる肌の質感(やわ肌、滑らかさ、また逆にグロテスクなリアリズムの異物感)が効果的に用いられたのである。(川添12)

ーーーーーー


「あり得ないものを物質化してかたちにし、想像世界そのものを眼前に形象化してしまう物質的恍惚」

見事に言い当ててくれたものである。


ここでワタクシは、
いつものように本題から外れて、

イマジネーションを文章化、絵画化する、
文章的恍惚や、
視覚的恍惚、

そして、
更には、
文豪の霊筆で文章化されることにより、
日常見慣れているものも類い稀なものに変容する、
非日常と日常の、
揺れ動く境目を体感する文章的恍惚について、

延々と書きたくなるのである。

だがしかし!
もうじき夜の11時だ。
明日もハードな仕事が待っている。

不眠症のワタクシは、
10時には寝る準備をしなくてはならない。

朝まで語っても語り尽くせない話は、
今はやめにしよう。

話を戻そう。

菊池氏の講義がなぜこれほどすーっと心に入って来るか、と言えば。

菊池氏の視点がとても信頼出来るからであろう。

後書きをいかに引用しよう。
ーーーーーーー

書かれた時期は別々でそれぞれの章は独立していると「はじめに」で書いたが、通読してみると《人形と人間のあいだの再検討》がひとつの主題であることはどうやら間違いなさそうだ。人形は人間が自由に操れたり支配出来たりするものではなく、それ故に《共犯関係》や《緊張関係》や《愛》のようなものがそこには芽生え、そうした間柄はふとしたきっかけでホラーに転じ、いつの間にかわれわれの《世界》までもが揺さぶられてしまう。そんなことを、様々な作品や文化事象における人形及びそれに付きまとう人間たちについて考えることで模索してみたつもりである。

ーーーーーーーー

「人形は人間が自由に操れたり支配出来たりするものではなく」
  ↑

お迎えした布袋戯の木偶との関わりで、
ワタクシが直面した現実が、
まさにそれであった。


世間では言いなりになる存在、
操れる存在、の代名詞になっている「人形」。

実は、
まったく言いなりになってくれない。
それどころか、
アプローチして来る!

最近は、尻に敷かれっぱなしである!

こ、これは一体、、、、



「人形と人間の関わり」は、
どうも、私が認識していたよりも、
恐ろしく広大な、
原初の海に近い世界のようである。

と、人形関連の書物を古書市で買い求めて、
様々に読んでみる次第である。


「人形メディア学講義」は、
Amazonで高値で取引される絶版本ではない。

普通に買える本なのがありがたい。

「お薦めか?」と聞かれれば。

「人形好きでなくても、
ディープな世界を垣間みられて、
しかも、世界を見る目がまた一つ新しくなる」、良い書物であります。







by leea_blog | 2019-04-08 22:37 | Comments(0)