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2020年 03月 07日 ( 1 )

着物の美の世界・ 近づいたら危険



2月の転地療養に和服を持参したことから、

「普段の日常にも和服を取り入れたい」熱が再燃した。


もともと、「正装としての着物」よりも、「日常に着る着物」が好きだ。

着物は、日本の風土に合っている。

冬は帯でお腹を温め、夏は浴衣で風がすうすう吹き抜ける。

着物を着た時の歩き方は、インナーマッスルが鍛えられる。


幸い、実家から引き揚げた荷物の中に、
押入れの奥から出てきた母の普段っぽい着物がある。

母好みではないので、大方、誰かからもらったものの、好みに合わずに風呂敷に包んで押し入れに放り込んだまま一度も着なかった、という類いであろう。



ここのところ、ネットオークションで、帯類を見ている。

私は、「着物の恐ろしい魔力」をまた思い出し、戦慄した。





若い頃。

歴史に興味があった私は、着物屋の前で足を止め、わずかな間、着物を見ていた。

着物屋の店員が、蜘蛛の巣に引っかかった獲物を逃すはずがなかった。





「買わなくて良いから、遊びに来てくださいよ」、

と、着物の展示会を案内された。



当時私は、「辻ヶ花」に関心があった。
買う対象としてではなく、歴史的な興味だ。

「復元された辻が花とはどんなものか見てみよう」といった、
軽い気持ちで足を運んだ。




展示会場は、万魔殿だった。

数百万円の作家物の着物や帯が並んでいた。


私は、着物に関しては全く素人だが、審美眼は人並み以上だった。



作家物の着物や帯は、それらが展示されるまでに、

どのくらい熟練の職人が関わり、

どのくらい美意識を鍛錬した作家が苦労して作成したかが、

光の波動のように伝わった。




それらは、私にとって、着る物ではなく、「美術作品」であった。




数百万の作品群に感嘆してみると、普通の着物や帯が、物は劣るが、安く見えた。

金銭の感覚がおかしくなってしまっているのである。

もちろん、会場は、来場者の金銭感覚を狂わせるように設営されているのである。


着物屋の口車に乗せられて、
私は、着物一式を作る事にした。

「美」の魔物の、魔法に囚われてしまい、
その下僕らである着物屋たちの、熟練のトークによって、
もう何も分からなくなってしまったのだった。



が!!!!

家に帰って、我に返った。



私の収入では、普通の着物でも、買うのは無理ではないか!!!!

普段着ない物に回すような余剰資金が全く無かった。



展示会場でも、
「余剰資金が全くないんです。私の給料は手取りこれこれで」と、
あれだけ抵抗したのに、
老獪な着物屋たちが、哀れな獲物の生活の困窮など構う訳が無い。



「余剰資金が無い」と言っている人にまで売りつける。
自分の営業成績の為ならなんだってありなんだな。
悪魔か?



理性が蘇り、
着物一式をキャンセルした。

着物はもう、ハサミを入れてしまっているとのことで、キャンセルができなかったが、長襦袢であるとか、その他もろもろの、着物初心者が揃えるようなものは、キャンセルした。


今では、そんな催眠商法みたいな事はやっていないのかもしれない。




私も学んだ。

なまじ美がわかるものだから、

美がある一定の範囲を超えて溢れ出していると、

私の堅固な理性も、よろめいてしまうのだ。



自分も絵を描く。

和服の表現とはジャンルこそ違え、作家物の着物の、色彩の表現とか、質感とか、構図とかに唸ってしまうと、それを作り上げている工房の様子まで想像が及んでしまう。

作家が思うようなデザイン・染色が出来ずに、苦悩しながら散歩して気分転換をしている日常までたやすく想像してしまうのである。

美術品は、それが生み出されるまでの「時間」も堆積し、凝縮しているのである。



美術品購入は、物欲を満足させるものでは無い。
魂の飢えを満たし、それで生計を立てている職人その他への、援助でもある。




いやいや。

私は援助が必要な立場であって、

身分不相応な援助をする方の立場では無い。。。。

その辺りが、狂ってしまうのだな。。。。




そのような訳で私は、着物の展示会には絶対近寄らない事にしている。




ところが、ネットで、悪夢再来、である。

ネットオークションで、
定価数百万の作家物が放出されると、目が吸い付いてしまったのであった。


人目を集めるために、千円スタートだったりすると。


頭の中でぐるぐると、上記のような事が激しく渦を巻き、胃痛と頭痛がし始めるほど欲しくなるのだ。

欲しいという気持ちと、理性がぶつかり合い、脳細胞が沢山死んだ。



着るためでは無い。

壁にかけて、掛け軸や壁飾りのように眺めて、瞑想にふけりたい。

魂の飢餓を満たしたいのだ。




もちろん、価値のわかる人がたくさん見ており、

相応の値段で競り落とされるのであった。

それを見ながら、自分の甲斐性のなさを激しく呪うのである。



一夜明けて、冷静に戻れた。


危ない、危ない。

君子危うきに近寄らず。

和服類は、不要不急の美である。




そんな金があったら、宮無后をもう一人迎えたい。

こちらの方は、すでに生産されていないので、誰かが手放すのを待つしかない。

金を払っても、縁がなければお迎えできない。

恐ろしいものを愛してしまったものだ。




「欲しい」という煩悩が生じているのは、

「今日も元気だ、煙草がうまい」的な、

鬱が回復に向かっている証拠だ。


ヘビースモーカーの私でも、熱が40度を超えたときは、

煙草が不味かった。



欲の大小はあるが、
人間は「欲」があるからこそ、辛い日常も乗り越えられるのだと思う。


こんなことを書いていると、

「他人の作品に金を払う前に、自分の作品に金を払え」と、ご指摘をいただくことであろう。

全くである。

自分で色彩や質感を作れば良いのである。


  ↑
おお。転地療養の効果があって、回復傾向にあるでは無いか。


























by leea_blog | 2020-03-07 15:57 | Comments(0)