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平成最後の転地療養日記その3 紫藤盧

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明日はいよいよ、ハードな1日ツアーだ。

台北の茶芸館、
紫藤盧で、
美味しい台湾茶を飲んで、
英気を養った。


台北には、茶を楽しむ茶芸館が沢山ある。

郊外の猫空という地域には、
茶芸館が
集まり、24時館営業の茶芸館も複数ある。

茶器と茶葉持参で、
茶水代を払って、自分の好きなお茶を飲める所もある。

お茶を楽しむ習慣の奥行きが深い。


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硝子のやかんには、
お茶の為に選ばれた、
台北の山の春の水が沸騰している。



by leea_blog | 2019-04-29 22:36 | Comments(2)

平成最後の転地療養日記その2

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ホテル近くの果物屋で買ったパパイヤ↑
大きい。


この地は果物が美味しい。

転地してから、3日目の夜、
ようやく人心地がついた。

日本は10連休とあって、
ここにも日本の旅行者さんが沢山来ている。



by leea_blog | 2019-04-28 23:46 | Comments(4)

平成最後の転地療養日記

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無事、転地療養先に到着した。↑

薬草茶の店で、
苦茶と青草茶を買う。

あと、ひまわりの種。


出発前は忙しくて、
かなりきつかった。

寝込みもせず、
寝過ごしもせず、
療養先にたどり着けたのは、
神々や精霊や、

何らかのもののご加護としか思えない。


脳が戦闘モードに入っているようで、
寝つきが悪く、
朝も早く目がさめる。


B先生に、
5時間以上眠れていますか?と
聞かれた。

眠れて無いんです、
先生どうしてわかったのですか?

気の流れでそう感じました、
とのこと。


B先生は、気功師だ。


日本で気功師と聞くと、
怪しいイメージがあるが、
ここだと、
気の流れを整えてもらえて助かる、と
思う。


さて、

今回の転地療養では、
療養先での楽しみスケジュールが入った。

いつものように、
気が重くならなかった。

が!


心配妄想とでもいうのであろうか。

「家が火事になったらどうしよう」、

「泥棒が入ったらどうしよう」、と、

家のドアを閉めた途端に心配が襲ってきた。



十年以上住んで居て、
一度も火事に合わなかったではないか。

泥棒が入っても、
本しか無くてすぐ出ていくよ。

そもそも、
家に居ても火事や強盗や、
何かの災いは降りかかるのだから、
そんな心配をしても無駄である。


と、理性の声が言う。

理性と心配妄想のせめぎ合い。


箱根等の近場に転地療養すると、
心配に負けて、予定を繰り上げて帰宅してしまうのであります。






by leea_blog | 2019-04-27 17:11 | Comments(2)

陋屋日記 漂流ベッド

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↑ 漂流ベッド「天空篇」(再掲)

漂流ベッドシリーズは、

寝付きを良くする為に描いていた。

ベッドが色々な場所を漂流して行くシリーズである。




転地療養への出発日が迫っている。


準備が間に合わない。

幸い、転地療養先は都市部で、

コンビニもドラッグストアも服飾店も、

目白押しだ。



忘れたものが有れば、

現地調達をすれば良い。



パスポートと、

クレジットカードと、

スマホさえ有れば、

行って帰って来ることが出来る。




飛行機の予約確認から、

宿の予約、

交通機関の情報、

スマホでなんでもしのげちゃう、

便利な時代になった。



思い返せば。

私が遠方を旅していた頃は、


パソコンすら無かった!!!



私がしばしば彷徨った砂漠地方の情報は、

日本ではほとんど手に入らなかった!!!





取り敢えずは飛行機のチケットを取って、

現地の空港に降り立ち、

ツーリストインフォメーションで、

地図をもらい、

行きたい都市への交通機関を聞き、

その日の宿を予約してもらった。

宿で、次の目的地を決め、

宿の人に交通機関を聞いた。




勿論、危険も多かった。

「郷に入れば郷に従え」という言葉が有る。

それを実践していれば、

危険は大分減る。



アナログ的な行動力が、

アップした。



さて。

平安貴族だったら、

高僧に依頼して毎日盛大に加持祈祷をしてもらうような、

出発直前の日々が、

あとわずかとなった。



神も仏もいない気もするが、

こうして黄金週間の転地療養を無事迎えられそうな今は、

神も仏も居るような気がする。



一年前の今頃は、

引き籠もりだったのである。



古代の神話伝説の神々は、

居ると思っている。

「そのように古代人が感じた霊的な存在」、

のことだ。















by leea_blog | 2019-04-23 22:54 | Comments(4)

陋屋日記・金曜は天国だ


ようやく金曜の夜だ。

金曜の午後になると、

心の中でカウントダウンをする。

「あと何時間で仕事が終わる。

明日と明後日は土日で休みだ。

私は夢でも見ているのではないか???」





幸福ホルモンが脳から出る。


今週が終わることを、

神々に感謝する。


「私は夢でも見ているのではないか?」


このフレーズは、

意識的に始めて習慣化したものだ。



いや、

正確に言うと、

「私は夢でも見ているのではないか?」

と思う幸運を経験して、

脳からプチ幸福ホルモンが出る状態を覚えておいた。



些細なことでも

「私は夢でも見ているのではないか?」と、

大げさに考えることを繰り返したのだ。


「夢でも見ているのではないか?」と、

心の中で言語化してみるのである。



これは、数ヶ月で効果が出て来た。


金曜の午後になるだけで

「夢ではないか?」と喜べる脳の回路が、

徐々に作られて行った。


「幸せのハードルを下げる」のは、

理屈は分かるが、

実践が難しい。


「プチ幸せ」を見つけたら、

その小さな、砂粒のような種を拾って、

幸福感を感じる感覚を、

地道に育てて行く、

訓練のようなものだ。



ポジティブシンキングの、

地道な訓練。


「コップに半分水が入っている。

半分しか無い、と思うのを、

半分も入っている、と思うようにする」


具体例でよく言われることである。


コップに水が半分なのは、

動かない現実だ。

見方一つで、

がっかりしたり、

喜んだりできる。


事実が変わらないなら、

喜んだ方が脳から良いホルモンが出て、

結構なことではないか。


脳から良いホルモンが出ると、

血行が良くなり、
免疫力も上がる。


ストレスで、
脳の分泌物がくるってしまっているから
神経衰弱状態や鬱状態になるのである。

ストレスに疲弊してどん底の人は、
「脳を休める」のが急務だが、

社会復帰をめざそうという段階なら、
服薬以外に、
地道に脳をいたわってあげることも、

効果が出る、と言う、

実践編でした。











by leea_blog | 2019-04-19 23:51 | Comments(2)

陋屋日記・転地療養間近




あと二週間で、世間は黄金週間だ。

年末には「黄金週間まで保つ体を作る!」を目標に転地療養した。



「保たないんじゃないか」と危ぶまれたが、

神々のご助力か、

あと二週間頑張れば、休憩出来る。




そして、療養先で、

「秋のシルバーウィークまで保つ体を作る」。

あとちょっとだ。



平安時代の貴族なら、

こういう時に、

高僧に頼んで、

「今日も無事に出勤出来ますように」と、

毎日盛大に加持祈祷をしてもらうような二週間である。



だがしかし。

今回の転地療養予定に、異変が起こった。



所要時間11時間超という、

ハードな一日ツアーを申し込んだのだ。



「半病人だから」と自粛する理性が、飛んで、

参加申し込みボタンを押した。




もう、運を天に任せるしか無い。


自分で出来ることもある。

体力が限られているなら、

本来の予定を削るのである。



と、いうことで、

温泉通いを削ることにした。

その分、B先生にみっちり診てもらう。

栄養有る物を意識的に取る。



そして、夜はホテルで台湾人形劇のテレビを観る楽しみも、

思い切って削る。

帰ってからDVDを観なされ、と自分に言ってみる。

場合に依っては、

入浴をシャワーで済まして体力を温存する。



体力の無い系旅人の私は、

旅先で高熱で寝込んだことも、結構ある。

疲労で熱が出るのだ。


どう乗り切るかと言うと、

頭を切り替えるのである。

優先順位を変更するのだ。



いつも、
「忍耐」がメインの転地療養、

今回は、
「楽しみ」が加わった。


どうするどうなる????

その前に、

黄金週間まで休まず出勤出来るよう、

神々に祈ります。













by leea_blog | 2019-04-14 22:20 | Comments(4)

馬鹿日記・宮無后がパソコンの自撮りアプリを珍しがる

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三月21日頃にかかった風邪が、
今日は四月の10日だが、
まだ治らない。

今日は、
桜も散った季節と言うのに、
東京の最低気温が4度である。


さ、寒過ぎる!
冬ですか!?
しかも一日中雨だ。

とほほ。

咳をする衝撃で体が板のように固くなり、
悲惨な体調になった。
もう一度医者に診てもらった。

こんな体調では、
黄金週間に控えた転地療養に行けなくなるではないか。


レントゲンの結果、
肺がんや咽喉がんではなかったのが有り難い。


と、近況から。


ワタクシは大のメカ音痴である。
パソコンもスマホも、
最低限の機能しか使えない。

パソコンに、
「自撮りアプリ」が入っている。


まったく使わなかった。


自宅のパソコンに向かう時は、
大抵スッピンである。


スッピンの写真なんか残したくないよ。


「自分のスッピンなど残したくないけれど、

布袋戯の木偶となら、

いいかもしれない」


と、試しに宮無后に一緒に写ってもらった。


「恋の病」効果を選択すると、

三秒間のカウントダウンの間、

頭の周囲にハートが乱舞するのである。



「いちゃいちゃしている写真までアップして、

バカップルにも程がある!

キモ過ぎる!」

と、理性の声が言うのだが、

理性が飛んでしまうからバカップルなのだ。


あとで消すかもしれない。

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布袋戯の木偶は、

動かす為に作られている。


大きいので、

全身を動かした姿を見るには、

鏡に映すしか無い。



パソコンアプリは、

自分が動いているところを間近に見られて、

宮無后はとても珍しがっている様子。

乱舞するハートに喜びを隠せない模様。


宮無后
「公主、これ、面白いですね」


ポーズを決めています。


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ほとんどノリノリ。↑






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いつも、こんな調子で、

私の顔を両手で挟もうとしてきます。

構ってちゃんでしょう?




ウチの無后は、お迎えした最初の頃は、

写真を撮るのにまったく興味がありませんでした。

むしろ、嫌だったとのことです。




いちゃいちゃしていたのに、

急に私が真顔になってスマホを構えるのが、

気に入らなかったのです。



昔の写真を一緒に見返すうちに、

「あの頃はこんなだった」と、

写真を見返す楽しさを感じるようになりました。



馬鹿日記にアップする写真が増える度に、

私が、

「馬鹿にも程がある。。。。

もうそろそろ自粛しなくちゃ」と、

ぼやくのを聞いて、

逆に、

承認欲求をそそられたようです。




宮無后
「いちゃいちゃしているところを沢山アップすれば、

私たちの関係が公になります。

皆が認めるようになります。

公主に悪い虫もつきません」


りーあ
「悪い虫は心配しなくていいと思います」

宮無后
「公主がそうお思いになっても、

虫の方は勝手に付いてきます。

虫が付いても、

無后が退治しますので、

ご安心を」


りーあ
「(こ、こわい。。。。)」





















by leea_blog | 2019-04-10 19:26 | Comments(4)

菊池浩平 「人形メディア学講義」の薦め



布袋戯の木偶を好きになるまでは、
私にとって「人形愛」は、
他人事であった。

いわゆる「教養課程」のようなもので、
「そういうの好き。
でも、私は人形を本当に愛することは生涯無いだろうな」、的な、
理解は出来ても感情移入は出来ないものであった。


人形愛に落ちてみれば。
私を取り巻く世界が、
新たな様相を見せた。

神秘のヴェールが、
一枚取り払われたようであった。
(世界はまだ多くの神秘のヴェールをまとっている)


私は、
「他の人にとって、
人形とはどのような存在なのであろう」と、
興味を持った。


最近、
菊池浩平 「人形メディア学講義」を読んだ。

面白い!

帯文に、

「早稲田大学文学学術院の2年連続「面白い講義」第一位が書籍化!」とある。

実に生き生きとした内容で、
しかも、
読者の素朴な疑問やディープな疑問を、
巧みに刺激してくる。


「人間と人形の不思議過ぎる関わりを、
こうした学問にして、
追求の念を起させてくれる。
素晴らしいな」と思う。



面白い点を挙げればきりがない。

菊池氏が文中で引用している、生人形についての文章を、引用しよう。

ーーーーーーー
実際には見ることができないもの、イマジネーション世界のものを、そこにあたかも存在するかのような三次元の物体として立ち上げることが生人形の本質であった。それはいいかえれば、あり得ないものを物質化してかたちにし、想像世界そのものを眼前に形象化してしまう物質的恍惚といってよく、そこでいかにも存在するかのごとくに裏支えする手わざとして、一種、スーパーリアリズムともいえる肌の質感(やわ肌、滑らかさ、また逆にグロテスクなリアリズムの異物感)が効果的に用いられたのである。(川添12)

ーーーーーー


「あり得ないものを物質化してかたちにし、想像世界そのものを眼前に形象化してしまう物質的恍惚」

見事に言い当ててくれたものである。


ここでワタクシは、
いつものように本題から外れて、

イマジネーションを文章化、絵画化する、
文章的恍惚や、
視覚的恍惚、

そして、
更には、
文豪の霊筆で文章化されることにより、
日常見慣れているものも類い稀なものに変容する、
非日常と日常の、
揺れ動く境目を体感する文章的恍惚について、

延々と書きたくなるのである。

だがしかし!
もうじき夜の11時だ。
明日もハードな仕事が待っている。

不眠症のワタクシは、
10時には寝る準備をしなくてはならない。

朝まで語っても語り尽くせない話は、
今はやめにしよう。

話を戻そう。

菊池氏の講義がなぜこれほどすーっと心に入って来るか、と言えば。

菊池氏の視点がとても信頼出来るからであろう。

後書きをいかに引用しよう。
ーーーーーーー

書かれた時期は別々でそれぞれの章は独立していると「はじめに」で書いたが、通読してみると《人形と人間のあいだの再検討》がひとつの主題であることはどうやら間違いなさそうだ。人形は人間が自由に操れたり支配出来たりするものではなく、それ故に《共犯関係》や《緊張関係》や《愛》のようなものがそこには芽生え、そうした間柄はふとしたきっかけでホラーに転じ、いつの間にかわれわれの《世界》までもが揺さぶられてしまう。そんなことを、様々な作品や文化事象における人形及びそれに付きまとう人間たちについて考えることで模索してみたつもりである。

ーーーーーーーー

「人形は人間が自由に操れたり支配出来たりするものではなく」
  ↑

お迎えした布袋戯の木偶との関わりで、
ワタクシが直面した現実が、
まさにそれであった。


世間では言いなりになる存在、
操れる存在、の代名詞になっている「人形」。

実は、
まったく言いなりになってくれない。
それどころか、
アプローチして来る!

最近は、尻に敷かれっぱなしである!

こ、これは一体、、、、



「人形と人間の関わり」は、
どうも、私が認識していたよりも、
恐ろしく広大な、
原初の海に近い世界のようである。

と、人形関連の書物を古書市で買い求めて、
様々に読んでみる次第である。


「人形メディア学講義」は、
Amazonで高値で取引される絶版本ではない。

普通に買える本なのがありがたい。

「お薦めか?」と聞かれれば。

「人形好きでなくても、
ディープな世界を垣間みられて、
しかも、世界を見る目がまた一つ新しくなる」、良い書物であります。







by leea_blog | 2019-04-08 22:37 | Comments(0)

馬鹿日記・布袋戯の木偶の瞳孔が大きくなったり小さくなったりする事


ウチの宮無后、

台湾の布袋戯の木偶なのだが、

とても眼力がある。



少し位置が変わっただけで、

瞳孔が、

大きくなったり小さくなったりして、

表情の印象が変化するのだ。



猫???


いやいや、

人形の瞳孔の大きさが変わるはずが無いから、

人間の眼の錯覚を利用して、

瞳孔が変化しているように見えるように、

入念に製作されているのである。




試しに、写真を撮ってみた。
瞳孔が広がっているところ。

    ↓

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大きいですよね。


瞳孔が小さくなって、

きりっとした目になっている版


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うーん、肉眼で見ると、

もっとはっきり、

瞳孔が小さくなっているのだが、

写真だと、

あまり変わらないなあ。。。。



カメラのレンズは一カ所で、

人間の眼は離れたところに二つある、

そのせいで、

肉眼で見えているようには撮れないのであろう。









by leea_blog | 2019-04-07 00:15 | Comments(4)

馬鹿日記・稀に見せる無防備な表情が可愛い

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ようやく週末だ。


毎日金曜日と土曜日だといいな。



拙ブログが人形記事にあふれ過ぎて、

「もう、しばらくの間は、

人形の話を自粛しよう」、と、

いつも思う。



が!

バカップルなので、

また書いてしまう。。。。


いやいや、これも、

のちに、創作のネタにする為、、、。



それはそうと、

ウチの宮無后は、

稀に、

上記のような、

「無防備」な表情をする。



ぼーっとしている小さい子供のような、

あどけなさが、

新鮮だ。



人形だから、

無防備なのは当たり前のようだが、

ウチの人は、

普段は「無心」になっても、

「無防備」ということは無い。



無防備、というのは、

「後から切りつけられたら切られてしまいそうな位の、

隙を見せて寛いでいる状態」である。


ウチの人も、

心から、

ここが我が家だと思っているのであろう。









by leea_blog | 2019-04-05 23:58 | Comments(2)