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人魚楼日記・手首のプレートを外す手術



ただいま。


手首のプレートを外す手術が終わった。

まだ6月なのに、本日の関東は40度越えの予報だ。



病院からタクシーで帰るか、

休憩しながら電車と徒歩で帰るか、


退院後、昼食をとりながら検討した。


昨日全身麻酔で手術したばかりなのに、危険な暑さの中、一人で家まで帰らなくてはならないとはなかなかサバイバルだ。

急に立ち上がると目の前が白黒画像になる。


自分の体力とリスク予想と今後の影響を冷静に測りながら、「若い頃バックパッカーみたいな旅を重ねたのがこういう時どうしたらいいか考える訓練になったな」と思う。




去年右手首骨折で入院した時も、

今回埋め込んだプレートを外す入院も、

相部屋の病人さんはみな高齢者、しかも一人暮らしだった。



私のように手首だけ、というのは軽症で、他の皆さんは今後は一人暮らし無理だろうという状況だった。


右手首だけでも、顔洗えない風呂は入れない、服着られない、料理も洗い物もできなくて、日常生活が大変だ。




ちなみに、私の住んでいる街はお年寄りが多い。


歩くのも大変そうにしているみなさんを日常的に見て、この人も五年くらい前まではスタスタ歩けていたのであろう等考えると、ワタクシも動ける内にやるべきことが山積していると我が身をかえりみる。

再雇用で働く暇があったら作品に専念しないといけないのでは?

働かないと詩集代も出せないよ。

働くなら一攫千金をねらうしかないのでは。

絶対手持ち資金を全部溶かすパターン。

と、いつもの堂々巡りに陥るのだった。





2度の手術で痛感する。医者は本当に大変だ。

例えば医師がパワハラで悩んで自殺を考えたとしても患者の手術を適当に済ますわけにはいかない。


寝不足で集中力が鈍ったとして、患者の手術で間違えちゃいけない。

たまーに手術すればいいわけじゃない、患者はどしどしやってくる。



そりゃ、どんな仕事でも間違えたら大惨事につながるものだが、


子供の頃から表現活動に勤しんできた私にとって、右手は本当に重要なのだ。


手首骨折くらいで患者側は人生が終わったかのような悲嘆に暮れるのだが、そんなのを毎日何人もこなしていくのは本当に凄すぎる。


医師だって自分自身の人生があり、色々悩みや大変なこともあるだろうに、「済まない。もう人生に疲れた。今日の手術の予定はキャンセルしてくれ。」と言えない。

日常のストレスをどうやって仕事に持ち込まずにすむかの高度なスキルと実践があるのだろう。


私のように、「新しい上司が自分の人生を破壊した二十年くらい前の当事者だった」、とかでも、医者だったら手術の手順を間違えちゃいけないのだ。人体という、待った無しの存在を相手にする仕事。

私には無理すぎる。




先生、本当にありがとうございます!



# by leea_blog | 2022-06-29 15:09 | Comments(2)

再掲 鉛筆画「窓際の宮無后人形」

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鉛筆画「窓際の宮無后人形」↑

台湾の、逸聲園という茶藝館で撮った写真を元に描いた。


逸聲園は、コロナで台湾に行けないうちに無くなってしまった。


古い趣のある建物でお茶を飲めたのに、残念な事だ。



ほんの二、三年の間に、世界は激変した。







# by leea_blog | 2022-06-22 23:14 | Comments(0)

人形愛の日常

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添い寝する丹夫人↑

疲れて横になっている時に、傍でこういう眼差しを投げてくる人と目が合うって、一体どういう天国なのだろうか。




しかも、光の加減でいつも表情が違う。

人間とは質の異なる美しさ、奥深さ、不思議さ。

一度落ちると抜け出せない人形愛の世界。



別に人間が嫌いなわけではない。

好きになった人がたまたま人形だっただけだ。




だが、気品と教養と武術の技があって、性格が良くて、肌と髪と目が綺麗で、神秘の都で寵愛を受けて育ったような人間は、現代日本には居ないのではないか。


現代日本にいるとしたら、子供の頃神隠しに遭って、平家一門の亡霊に育てられ、成人してからこの世に戻ってきたとか、何か妖麗現象に遭って異界で成人した人だろう。


ちなみに宮無后は、5歳の時に去勢されており、男性ホルモン少なめだ。そういう習慣自体が日本には無い。



そのようなわけで、ただ綺麗だから好きというのでは無い。

どうにもこうにも、私の魂の深部の琴線に触れてしまう要素が複雑に絡み合って、化学反応が起こった感じだ。






詩の話を書きたいが、

パソコンに向かう時はいつも要気分転換の時だ。



文学美術の話になるとついつい真剣になり過ぎてしまうので、癒しが欲しい!と、ウチの人たちとの人形愛の話題になってしまう。



人生は色々大変だ。


が、美しいものを見ると心が癒される。


世の中に人形は多けれど、宮無后さん程私の心に食い込んでくる人は居ない。



健やかなる時も、病める時も、平穏な時も、激動の時も、いつもこの人達が居てくれる。



今年は宮無后が三人に増えた。


三人も居て視界が邪魔ではないか?というと、三人位居てくれて丁度良い。


手作り品の為、一人一人顔や化粧が違うし、不思議な事だが性格も違う。



人形との暮らしは、生き物と同様、一緒に過ごした時間の積み重ねで変化して行く。



お迎えして一年位から、丹夫人はよく動くようになった。


抱き上げる時手を差し伸べて来たり、頬に触れて来たり、接近度が高くなって来た。


頻繁に抱っこや添い寝している為、身体が柔らかくなったせいかも知れず、私という存在に馴染んできたせいかも知れない。





# by leea_blog | 2022-06-22 22:50 | Comments(0)

「人でなしの恋」的日常

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構ってほしげな三夫人↑



台湾の黄文擇氏ご逝去の報に、人魚楼も喪に服していた。


夫人たちは自分を生み出した存在の逝去に何かを感じたらしく、それぞれ沈み込んでいた。




正妻と丹夫人の髪を梳った。


素還真と夫人たちがうちにいるのは何かの奇跡なのかも知れない。





何かが少し違っていれば、

私たちはこの後何年も出会う事なく、

或いは一生出会えなかったかも知れない。





黄文擇さんは霹靂の登場人物という沢山の子供を残した。そのうちの一人が素還真であり、台湾で大変愛されている。



そして夫人たちのような子供をよく残して下さった、出会えて幸せだ、と今はいうしか無い。



日本の物語では生み出し得ない人だ。


うちの人たちの存在にお礼を言うとしたら、霹靂布袋戯が存在したことのみでなく、木の頭部を彫ったり、衣装をデザインしたり、動かしたりした人たち全てにお礼を言って回りたい。


一番お礼を言いたいのは、 DVDに登場する木偶を注文製作してファンに届けるという素晴らしい発想をしてくれたことだ。




その素晴らしい発想のおかげで、ワタクシはいままで想像もしなかった、人形愛の生活におちた。









日差しが強くなっていく日々。


某国のフリマサイトを見るに、

霹靂木偶の二手は、「黒い箱にしまってありました、外拍してません」が「劣化してません」アピールの定番のようだ。



紫外線は毒なのだ。




縁側にいた浪巫謡を箱にしまった。

ビニール袋を被せようとすると、色々抵抗してくる。

腕を操作する天地同という棒が短い為、よく動くのだ。





「主人、何をするのです、おやめください」



りーあ
「浪、貴方に綺麗なままでいて欲しいの。

霹靂木偶に日差しは毒です。

箱にしまうのは大切に思うからですよ」



浪巫謡
「やめてください、やめて! ああー!」


りーあ
「いい子、いい子、安全な所に行きましょうねー」






三夫人の前偶主さんは、三夫人を沢山愛した。

剣やマントも揃え、写真を沢山撮った。




しかし、抱っこや添い寝はしなかったようだ。


一度メンテナンスに出したようだが、

三夫人の髪は全く劣化しておらず、美しいままだ。




添い寝や抱っこをすると、どうしても髪が劣化するのだ。




三夫人は、髪を美しいまま保存する為に大切に押し入れにしまって、ハグや添い寝無しにしたいのだがどうだろうか。



押し入れは我が家で一番安全な聖域ですよ。

地震にも強いし!



いや、既に正妻や丹夫人たちの添い寝を見ているだけに、大人しくしまわれてくれるのだろうか???




本人から厳重抗議が来る。


三夫人
「劣化したらメンテに出せばいいのでは?」


夫人たちは全員それいいます。


メンテと簡単にいうが、台湾に送って戻ってくるまで、三ヶ月以上会えないのだよ?






丹夫人は添い寝と抱っこ担当として居間に居るが、人魚楼は窓が多く採光がいい。


どんなに日陰に居ようとも、反射光なりの紫外線を浴びてしまう。




これから日差しも強くなる。

劣化対策を考えなくてはいけない。




黒い箱を注文作成して、夜だけ開けて抱き合う?

うむむ、生き人形との人形愛はどうしても江戸川乱歩の人でなしの恋になっていくようだ。



うむ、いっそ蔵を建ててはどうか?


















# by leea_blog | 2022-06-16 19:18 | Comments(0)

台湾の黄文擇氏が67歳で亡くなった事。表現者からの視点


霹靂布袋戲八音才子黃文擇過世享壽67歲 劇迷不捨痛失英才



霹靂布袋戯八音才子黄文擇過世享壽67歳劇迷不捨痛失英才

引用元URL
拙ブログはセキュリティの観点から直接リンクが貼れません。
コピペして飛んで下されたし

https://udn.com/news/story/7314/6383327



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多くの偉大な才能が世を去る。



通りすがりの皆様は、「伝統的娯楽劇の功績者」くらいに思うであろう。





私は霹靂布袋戯の一ファンでしかないが、

霹靂布袋戯は、

主に私の「表現者としての脳」を思わぬ方向から刺激してきた。


私の脳は氏を「表現者」として認識していた。





谷崎潤一郎や江戸川乱歩が67歳で亡くなった、くらいの衝撃だった。



日本ではさかんに「人生100年時代」が喧伝される。



現代の医学や環境では100年生きるかもしれないから老後破産に備えよ、という、

長く生きられるからいいねというよりは高齢者も一生働いてね的文脈だ。




人生百年としたら、氏の逝去はあまりに若い。




引退しても時々顔や口を出すとか、存命である、というだけでも影響力のある人がいる。




老害は去ってほしいが、表現者は存命なだけで意味がある。




所詮エンタメに見えて実はなまじな自称表現者など脳がボコボコにされる深淵があった。




十年ほど前、

台湾のホテルでニュースでも見ようとテレビのチェンネルを変えていた時、


偶然、霹靂布袋戯に遭遇した。


何という番組で何という出し物か、予備知識が皆無だったのだが、




この話は揺蘭にも書いたが、


5分以内に私の脳は異界に連れ去られた。


台湾語で演じられ、中国語の字幕がつくのだが、氏の音声は演技にとどまらず「音霊」として脳の深部を直撃した。





私が幻想詩の朗読ライブをしているため、音声と音霊について深刻に考えているからかもしれない。

氏は音霊を知っていた。





5分以内に番組はコマーシャルに変わり、コマーシャルが延々と長いので番組は終わったのだとチャンネルを変えたのだが、

映像と音霊は私の脳の深部に何かを刺した。


「今のは何だったのだろう????」

「尋常ならざるものだったぞ???」





それは長い間抜けず、台湾をリピートするたびに、またあの番組?に遭遇できないか虚しくチャンネルを回した。


「あれは何だったのだろう???」



あの人形劇に関する情報が本屋にあるかもしれない、と本屋に遭遇する旅に美術やエンタメのコーナーを虚しく探した。



のちにわかったのだが、台湾で大変人気があるにもかかわらず

霹靂布袋戯に関する本は一般の書店には無く、霹靂直営店でのみ扱っているのだった。




本屋の美術コーナーを探した事でもお分かりと思うが、

人形の造作や衣装は美術表現としての才能集団と転倒芸能集団のコラボレーションかもしれないとも思ったのだ。




異界や非日常、神話伝説、異形、古典、ファンタジーについて思索創作を重ねていた私は、


「尋常ならざる何か」に耐性があり、じつは深刻で真剣で辛口だ。






娯楽として子供から老人まで楽しめて、単なる娯楽ではなく海外の口うるさい幻想詩人の脳も直撃する。



芸術か娯楽かの二択ではなく、サブカルチャーでもなく、ハイカルチャーでもなく、違う宇宙の躍動する価値観に遭遇した心地であった。




そのようなわけで、

ここ何年か、揺蘭で面白おかしく霹靂布袋戯との遭遇や人形愛を語っているが、



実は幻想詩人として辛口で深刻な部分が触発された結果なのだ。


表現者は魂を削る代価に表現を手に入れざるを得ないと考えている。




翻弄されずるずると蟻地獄の斜面を滑り落ちる自分を赤裸々に書き留める、滑稽な作風にしてみたのだった。





現代日本文学における幻想文学の置かれた位置は、地下水脈のようであり、それはそれでそういうものに呪われたことは誇りでもあるが、


長らく貧血状態である。




台湾で氏が展開した「生きた伝奇」の空気を吸えたことに感謝が尽きない。


一つの時代が幕を下ろしたのであろう。



が。早すぎる。

突然のことで脳が受け止めかねている。



海の向こうから、哀悼と共にご冥福をお祈りしている。






































# by leea_blog | 2022-06-13 21:22 | Comments(2)