揺蘭・2006春号

e0016517_2035984.jpg
e0016517_2041229.jpg


世間はトリノオリンピックに湧いていた。
私はインフルエンザとそれに続く胃痛で半死半生だった(笑)

流動食や栄養補助食品で、よく乗り切ったものだ。
寝込む直前に食べたすっぽん料理のお陰で、高熱の割には消耗が少なかったのは特筆物。

そんな中でニュースを見ればどこも荒川選手金メダル報道一色。
(正確には永田議員メール問題がほとんどセットで付いてきた。)

体育が嫌いな上、寒いのも大の苦手の私なので、冬季オリンピックにコメントできるセンスを持っていないが、フィギュアスケートは美しかった。羽布団と絹毛布にくるまりつつ、身体能力と集中力が生みだす美を見て、心が晴れた。さらに、彼ら彼女らの、運動選手らしいしゃべり方が気持ちよかった。つまり、テレビ受けするしゃべり方とは無関係なところが、耳に心地よく、新鮮な感じだった。

疲労困憊して夕方まで寝ていた雨の本日、揺蘭春号が到着した。

出来上がって見ると、本作りでああすれば良かった、こうすれば良かったという点が沢山見える。

記念に表紙画像を携帯で撮って加工してみました。

せめて下段の画像くらいに色彩その他は凝りたかった。

機動力を重要視して低予算で造っているので、経費の面で難しいです。
[PR]
# by leea_blog | 2006-02-26 20:54 | Comments(0)

詩は趣味になり得るか? (付・なぜ「詩」じゃなくて「現代詩」)

リンクコーナーにいわたんさんの「ホビーに首ったけ」を追加しました。

リンクコーナーの充実振りにびっくり。
文学のリンクは現代詩のHPが沢山入っていて、かなりディープです。

さっぱり更新しない拙ホームページまで来てくれてありがとう。


---------------------------
余談。

 詩は趣味たりうるか、というと、否だろう。
 以前、詩は趣味かという話が出た時、大もめに揉めたエピソードを思い出した(キメラの会の朗読の時だったか?)。「詩は趣味である」という人が一人いて、ケンケンガクガクの議論になった。新鮮な話題だった記憶がある。私は「趣味で詩を書いている」と自認する人を見たことがなかったのだ。彼も何故回りが血相を変えて反論してきたのかわからない様子だった。
 これが俳句が趣味、短歌が趣味、日本画が趣味、サッカーが趣味だったら、揉めなかったのではないか。詩を書いている者同士が集まって話をしているときに、その中の一人が自分にとって真剣な趣味だといったからこそ回りは驚愕したのだ。短歌や俳句、小説や絵は、趣味としても一般の認知を得ている。自分には趣味たり得なくても、他人が趣味にするのは、別に他人の勝手のはずなのだ。それが理解できずに反論しちゃう(私含む)。そういうジャンルなのだ、詩とは。つまり「詩とは何か」が恐ろしく混沌としていて、あまりに生々としているのだ。

(それはそうと、現代詩寄りの詩を書いていない人にとって、「現代詩」というジャンルは一体どう見えているのだろうか。昔から時々考える。因みに私自身は、現代詩の出版社から詩集を出しているにもかかわらず、「現代詩」に括られることに居心地の悪さを感じていた。その違和感は個人的なものではあるが、詩を文学の大海の分けがたい一部と考えた時に棘のように刺さっている何かに通じている。
 違和感の原因の一つに、「現代」という言葉の印象がある。「詩」ではなくて「現代詩」でなければならない必然はなんだろうか。「現代」はいつまで「現代」なのだろう。現代人が詩を書けば、どんな形式であれ現代人の感性に依る詩表現にしかならないはずだ。

 それらは、あくまでアナログ世界の話である。
 インターネットは事情が違うと感じた。単に「詩」で検索をすると幅が広すぎて収拾が付かなくなるのだ。行を分けて短い日記を書いても、本人が詩だと言えば上手いか否かは別として詩か詩ではないかの議論にはならない世界なのだ。そういう場所では「現代詩」を名乗る人は、「文学ジャンルとしての詩を扱っている」という表明になる。大変わかりやすい。)
[PR]
# by leea_blog | 2006-02-21 23:57 | Comments(0)

何年か振りのインフルエンザ

高熱が引かない。家にある市販の風邪薬を飲んでいたけど、さーっぱり効果が無い。三日目、熱に体が慣れて外出可能になったので、近所の内科に出かけた。

A型インフルエンザだった。。。。。。。

タミフルという特効薬をもらった。発熱して48時間以内じゃないと効果は薄いらしいが、他に薬が有るわけじゃなし。これって幻覚が見えると噂の、アレでしょうか。

もっと早めに医者に行けば良かったけれど、急な高熱に体が付いていかず、昨日は昏睡状態だったんだよなぁ。

インフルエンザなんてここ数年来掛かっていなかったので、ただの疲れか風邪だと思っていましたよ。診断を聞いて、「休むわけに行かないんです」とのサラリーマン定番のセリフはぴたりと止まった。今日も何とか出勤する予定だったんですよね。職場にインフルエンザウィルスをまき散らす所だった(汗)

今回、家の近くの医者を検索してみたところ、徒歩三分以内の所に内科があるのを発見。行ってみたら、先生も看護婦さんも感じの良いクリニックでした。頼れる地域のお医者さん、といった雰囲気。

ああ、こんな事で休みたくない、休みはバカンスに使いたい。と、割り切りにくい点もありますが、インフルエンザじゃしょうがないでしょ。。。。。。

インフルエンザの対処法を検索しつつ、運が悪かったと吐息を付いています。

まだ掛かっていない人は、高熱が出たらタクシー呼んででも早めに医者に行きましょう。


[PR]
# by leea_blog | 2006-02-15 21:40 | Comments(0)

疲労にお薦め、すっぽん料理(牡蛎でもいいね)

すっぽん料理を食べた。

疲れ果てて、不機嫌全開。目の下には隈ができるし、食欲もわかず、手足は冷え切って目の奥が痛い、という困った状態だった。久々に逢う友人も疲労困憊モードだったので、すっぽん料理に行った。うーん、栄養ドリンクを飲む感じで、回復度高いです。

冬の疲れには、牡蛎かすっぽん。

冷え性や低血圧、過労気味の女性にはホントにお薦めだ。美容と健康にかなり効く。が、すっぽん料理は、女性には今ひとつ敷居が高いようだ。

外見が、ともかく不気味。
世界で一番はじめに牡蛎を食べた人は勇気があるが、すっぽんも同様である。
料理の写真を見ても、今ひとつ美味しそうなオーラが伝わりにくい。外人が寿司の写真を見るようなものだろうか。「うぁ、生の魚の切れ端が乗ったご飯が並んでるよ。気持ちわる〜。しかも高い〜」って感じで。

生の魚が駄目な人は居るので寿司はしょうがないとして(嫌いな人に食わせる寿司は無い。私が食べてあげよう。)、スッポンは普通に美味しいですよ。肉は癖が無くて、肝刺しも薄味のフォアグラみたいで、何よりスープが美味しいっ!

二十代の頃、真冬の京都に出かけて早速風邪引いたことがある。八度の熱があるまま薬を買いに夜の町中に出たが、薬屋がなかなか見つからない。もうろうとする意識が素早く捉えたのが、スッポンスープ専門店の看板だった。おお、天の助け。よろよろと入り、一杯のスープを飲んだ。これが、予想以上に凄く効いた。悪寒が収まり、足取りもとたんにしっかりして、無事に旅を続けらた。

おかげで私はスッポンが美味しくて体に良いと知っているが、経験してない人が引いちゃうのは、わかる。すっぽん肉の入っていないスープでも、黒灰色の皮の切れ端が沈んでいたりすると、あの目つきの悪い、執念深そうな生前の姿がまな裏に浮かび、飲むのをやめてしまう人もいるかもしれない。

すっぽん鍋となると、もっと具体的な断片が入っている。爪が付いたままの足である。食べてみれば、ゼラチン質で溶けるように美味しいのだが、外見はやはりちょっと怖い。爪付きの足が入っている料理など普段食べる機会がないから無理もない。でもね、ホントに美味しいんです、この、柔らかく煮込んだすっぽんの手。猫の爪に似た形の、半透明の爪が並んでいるが、引っ張ればするりと抜ける。そのまま食べても問題なし。口の中で肉はすぐとろけるので、爪は指の骨と一緒に殻入れに。

すっぽんは一匹潰すので、「ああ、疲れたわ。今日はすっぽん鍋でも食べよう」と一人で行くわけには行かない。誰かと一緒に、すっぽんの命に感謝しつつ、生き血のワイン割りを飲み、肝刺しをつつき、ゼラチン質のお手手やぷるぷるのえんぺらを食べ、ゼラチンがたっぷり溶けてぺとぺと感のあるこくのあるスープで雑炊を頂くのだ。
 ところが、声を掛けても、女性は「すっぽん? 私も食べたい!」という人がかなり少ない。各種ビタミンやゼラチンが豊富、しかも美味。生牡蛎を食べに行くノリで、女性達にももっと注目して欲しいものだ。
[PR]
# by leea_blog | 2006-02-13 00:09 | Comments(0)

冬ももうじきお終い&揺蘭乳香、いや入港、じゃなく入稿

寒い。。。

低血圧・低体温の私としては、冬は冬眠したいです。毛皮にくるまって。
寒いと体温も一緒に下がっちゃうのだ。しかし、寒いのが駄目な体質だと、昨今は真夏も駄目ということになる。オフィスや電車、デパート等の冷房が、骨の髄まで凍らせるのだ! 活動時期は春秋と初夏限定になってしまうではないか。

 そんな中で冬の楽しみを自分で作って乗り切っていきたい。もう少しで終わると思えば、名残惜しいものがあります。毛皮、ラムの手袋、カシミア・パシュミナ類、絹の厚手毛布などなどです。動物の高い体温と山野を駆けめぐる柔軟な筋肉、霊力にあやかる、動物質な身の回り品たち。
 ああ、生きていればもっといいんだけどね、生きたフェレットを首に巻いて、生きた兎をカイロ代わりに懐に入れ、昼はトナカイやアザラシの獲れたてで運動直後の体温高い肉を切り分け、夜は生きた水鳥と羊に埋もれて眠る。。。ああ、極楽。。。。
 いやはや、エキセントリックな描写になったが、柔らかな子羊革の手袋に指を滑り込ませ、狐の襟巻きに首を埋めつつ、こればかりは冬じゃないと得られない楽しみだなぁ、と思う。


 さて、ようやく【揺蘭】の入稿も終わり、差し替え原稿の送付も完了した。後はできあがりを待つのみ。。。
ふう。編集作業、今回はちょっと大変だった気がする。
(↑ あ、関係者の方はこれを読んでも遠慮は無用。「良い作品を送れば編集人も報われるだろう」、と考えて執筆にいそしんで下されたし)


【揺蘭】は、いわゆる同人誌専門の印刷会社に印刷をお願いしている。
冊子を造り慣れているので、普通の印刷会社よりノウハウがあるし話が通じやすい。何より、制作費が安上がりだ。同人誌のお客は経費にうるさく仕上がりにもうるさい。そんな小うるさい客ばかり相手になさっている印刷所は偉い。

 さて、入稿に行くと、いわゆる「オタク系」や「同人系」のお客さん達に混じって、紙質や何やを選んだり質問したり駄目出しされたり、見積もり取ったりするわけだが。雰囲気が、我ながら浮いてるなぁ、と感じる。。。何が違うのだろう。自分が場違いな所にいるような、居心地悪さに慣れるのに時間が掛かった。きっと彼らも、文学系な人たちばかりいる場所に足を踏み入れたら、同じ気分になるのだろうなぁ。

 とはいえ、アニメ、マンガ系自費出版の世界はびっくりするようなエネルギーだ。世の中不景気になっても、趣味業界は最後まで影響を受けないと言われている。人間、食費や光熱費は削っても趣味に掛けるお金はなかなか削らないからだ。
 コミケでは、中高生も泊まり掛けで来て万札を扱う。詩だの何だのの自費出版系からみると、「凄い」としか言いようがない。羨ましいよね、あのエネルギー。コミケの会期中にうっかり国際展示場付近に行くと、会場の外の芝生で沢山の人が購入した冊子を積み上げて戦利品の確認をしていたりする。
 
 正直、羨ましいと感じる。書く人も読む人も、一般流通ルートに乗るものに満足できずにみずから作って、あんなに熱狂できるのだ。それらについては長くなるのでいずれかの機会に。

 
[PR]
# by leea_blog | 2006-02-08 23:11 | Comments(0)

「あらしのよるに」の動物フェチ度

「あらしのよるに」という絵本シリーズがあるんです。

嵐の夜、雨宿りの闇の中で狼と山羊が出会ってしまった。互いの正体を知らずに。そして、友達になってしまった、、、、。というお話なんです。
きむらこういち(文)、あべ弘士(絵)、講談社。
表紙の絵でノックアウトされて以来、気になって仕方がないシリーズです。

あべ弘士氏は例の北海道の旭山動物園で25年飼育係をしていた人なんですね。動物への愛情とか愛着が滲み出ているだけではなく、長い時間を動物と共に過ごして日々動物の事で頭が一杯だった人のイラストだから、動物フェチの心をたやすく射抜いてしまうんですね。



 で、雑事で奔走中のわたくしは、例によって例の如く、忙しい時ほど気分転換と称して行方不明になるわけです。無害な気分転換場所に近所のシネコンが選ばれました。SAYURIの映像美には言及しなくても、映画版「あらしのよるに」は、ここに書かずに居られない。

 原作ファンの私としては、変に可愛い絵のアニメ版にはそれ程食指は動かなかったのですが、いざ見てみれば、泣いた泣いた。制作者側が泣かせようと思っている場面で泣くのは、居心地が悪いというか、きまり悪いですね。どっぷり浸って泣けるならともかく、浸りきってる訳でもないのです。泣いてる自分に納得行かない感じがあります。
 映画館は暗いといっても隣の人の容姿はわかるくらいの薄暗さ。両隣の観客が泣いていないのが分かるのに、ワタクシは何度もこっそり涙を拭う、その状況のばかばかしさ。顔に手をやる動作は目立つので、しまいには一々涙拭うのはやめました。上映が終わったらまとめてさっと拭えばいいもんね。その日は薄化粧だから化粧室に行ってパウダーはたけば、すぐごまかせるもんね。頬に涙が流れるままで、唇が涙でしょっぱい味になる、あの馬鹿馬鹿しく居心地の悪い時間のお陰で、ラストシーンはあまり覚えていないです。上映が終わったら他の客が座っている内に席を立って化粧室に直行。映画館でこんなに泣けたのは初めて。原作は色々な点でツボなんです。
 原作の絵みたいなアニメだったら号泣したかもしれない(汗) あのアニメ版は、ヤギというより体型がカピパラやマーラだし、顔もヤギには見えないでしょう。

 面白かったかと言えば、個人的には面白かった! でも、原作ファン以外の人がいきなり見て面白いかというと、わからない。絵本は行間で様々な思いを膨らませる作用があるけれど、アニメだと思いを膨らませている余裕無くストーリーが進むから、「教科書みたいな話で、しかも子供向けだな」としか思われないかも知れない。小さい子供向けとしては、完璧にお薦め。ついでに親も楽しめる。


本の方に話を戻すと。
アマゾンから出版社の内容紹介(つまり宣伝文ですが)を、以下引用

---------------------------------------------------

児童書では大人気のこの作品、今度は大人が夢中になる番です。
あらしのよるに---奇妙な友情はなぜ生まれたか?
あるはれたひに--友情は食欲に勝てるか?
くものきれまに---秘密の友達って、いろいろ大変。
きりのなかで---仲間か? 友達か? それが問題だ。
どしゃぶりのひに---生きるためには、裏切りも必要なのか?
ふぶきのあした---この友情は、誰にも止められない。

----------------------------------------------

はいはい。夢中になりましたとも。
上記六冊は箱入りセットが出ています。本来は「ふぶきのあした」でシリーズは完結だったようです。

しかし大人気のため特別編「しろいやみのはてで」が、シリーズ10周年記念で2004年に刊行(私はこれの表紙でやられちゃいました)。
続編の「まんげつのよるに」は、2005年の11月に刊行されたばかり。もしかしたら今後も続刊があるのかも。



10年以上のロングセラーか。。。。
続巻を待つ立場を想像すると、実に恐ろしいことだ。本来の完結編「ふぶきのあした」で終わっていたら、トラウマ物だっただろう。

ちなみにアマゾンからふぶきのあしたの出版社レビュー引用。↓
---------------------------------------
仲間たちの目の前で、ともに川の中に姿を消したヤギのメイとオオカミのガブ。うらぎり者として追われることになった二ひきの、禁断の友情の結末はどうなる? シリーズ完結編。
-------------------------------------


第一部刊行時からの読者が「ようやく完結編が出たか。長かったな。どうなるんだろう」と楽しみに読んだとしたら、あまりといえばあまりな結末なのだ。
わあわあ泣いて「こんなの嫌だ!」と叫んでしまいそうなラストである(汗)
どっちかというと、子供より大人の方が理不尽さに打ちのめされそうな話だ。
せめて“衝撃の結末”等あおり文句が入っていれば、ハッピーエンドじゃ無いかも、と予測して読むのだが。

 私は幸いにして、最近の読者である。三冊目まで読んで中断し、残りはかなり後、「まんげつのよるに」 が出てからまとめて読んだ。第六部の後にも続編があると知っている。「ふぶきのあした」刊行時にすぐ買いに走っていたら、読んだのを後悔しただろう。
 シリーズの最初の方は食べられる立場のヤギと食べる立場のオオカミの可笑しいやり取りの、かわいげのある話だ。そのつもりで読んでいるうちに、後半は様子が違ってくる。ほのぼのさの薄膜の下に深刻が口を開けた話なのだ。

(ちなみに映画版では、冒頭に子供の頃のメイがお母さんと一緒に草を食べている所を狼たちに襲われ、お母さんはメイを逃がすため立ち向かって食べられてしまうシーンがある。「平和でのどかなお話じゃないんですよ〜」と、提示してあるのだ)


 素朴で気のいいヤギとオオカミが友情ひとつをこっそり守りたかっただけなのだ。なのに周囲も自分も傷ついて、ずっと一緒だった群を追われ住み慣れた土地を離れる。二匹一緒に暮らせる土地を探しての逃亡の果てに、雪山で命を失う、悪夢のようなお話なのだ。オオカミが結局ヤギを食べるとか、共に行き倒れるラストでもやりきれないが、ここに書かれた結末はもっとひどかった。人生の理不尽さを濃縮して突きつけられた感じ、というべきか。

えーと、具体的に書きたいのだが、これから読む予定の人がいたらアレである。

頭から離れなくなって結局読むきっかけになった表紙絵は以下
中身がどんな話でもいいです、この絵だけの為でも買います、と思った。


e0016517_23395379.jpg

[PR]
# by leea_blog | 2006-01-21 23:40 | Comments(0)