カンガルー肉の名前募集中らしい。こんな感じ?

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http://www.excite.co.jp/News/odd/00081132580531.html
「へっへっへっ、お客さん、可愛い子入りましたぜ」
「野生だろうね?」
「もちろんでさ! ピチピチですぜ。焼き加減どうします?」
「レアでね!」


蛇足バージョン
「お客さん、喰っちまうまえに、遊ばなくていいんですかい?」
「お願いするわ」
「へい、まいど。メニューは以下の通りです。
どれもたった100オーストラリアドル!
1・酌をさせる
2・ボクシングをする
3・添い寝する
4・かけっこをする
5・カンガルーの神の岩屋に詣でて一緒にお祈りする

食後は、毛皮を被って踊りながら神と獲物に感謝する儀式もお付けできますぜ?」

【で、カンガルー肉の名前は思いついた?】
マイラブ、というのはどう?
食べたいくらいに好きだから食べてしまう、という感じで。
使用例
「お腹空いた〜。滋養付けるためマイラブ食べにいかない?」
で、カンガルー肉は、性別や年齢が判るように、
子持ちの雌=人妻、
お腹の子供=幼児、幼女
若い牡=青年
若い雌=美少女
と、区分けされます。

使用例「いらっしゃいませ。本日のお薦めはマイラブの人妻でございます」
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# by leea_blog | 2005-11-22 10:20 | Comments(0)

揺蘭精霊会議より

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揺蘭精霊会議より、通りすがりの皆様へお知らせ

 11月の風に乗って谷に舞い降りた各地の情勢をかんがみ、この度決定された事項を、迷宮領国当主が、半ばうわのそらにてお伝えします。
(うわのそらという事は、上空に居るという意味も有りますが、彼女にも怒濤の如く厄災が降りかかっている最中だという事もあるのでしょう。いかに厄災が降りかかろうと、表現者にとって作品より優先する使命があるとも思えず、厄災のため作品が思うようにはかどらない為、ちょっと考え事の最中、という意味かも知れません)

 揺蘭通信ですが、屋根裏部屋の住人にして墳墓の姫君たる加護ユリさんからの谷底連絡に端を発した、締め切り延期案が決定となりました。

 クリスマス明け、ご存じない方のために言えばイエスキリストというお人が産まれた日、一神教の聖なる日の一つですが、キリスト教徒でも何でもない日本国の人々も便乗してお祝い気分を楽しむ聖誕祭の翌日、通称りり山りりやえん(本名西野りーあ)宅に原稿必着という事になりました。

 え、今年は出ないの???と寝耳に水の皆様、年末に印刷所に原稿持ち込んで急がせて、前々回のように手抜きの印刷されては、意味がないのでございます。何より、アナログ冊子揺蘭は、作品のためなら手段を選ばない、いえいえ、そんな物騒な、もっと穏やかに、「締め切り君」に対して譲歩を促す事も多々あるのです。

 密かにアナログ界に出るのは来年早々となるでしょう。
関係者の皆様への連絡前ですが、ここでお知らせいたします。
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# by leea_blog | 2005-11-20 23:54 | Comments(3)

チェンマイにて

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旅行に行くとき、「写真を撮ったら見せてね」と声を掛けられる。
みなさん、挨拶程度に言う訳だが、
私が海外で撮ってくる写真はこんな感じで、観光写真としては参考にならないのだ。

これは「どこがチェンマイ? こんなの日本でもヨーロッパでもどこで撮っても一緒じゃん」という例だ。
チェンマイの夜に触発された写真なので、私としては「チェンマイの写真」なのだが。
しんとおし静まった、山近い北方の都、その夜。
チェンマイの夜を表現しようとしたのではなく、
チェンマイの夜が私に撮らせた写真なので、
真珠の粒や曲線がタイ北部の古都の何かを象徴しているとか、
チェンマイの豪雨を象徴しているとかではない。

むしろ、「チェンマイ」とか「タイ」とかいう固有名詞を廃した所で、
するすると引き出される【異界の領域】の何か。


肝心の観光写真は。タクシーでもチャーターしない限り、カメラは重くて持ち歩かないのです。
持ち歩いたとしても、感動する場所ほど、カメラの存在を思い出す暇無く、眺めてしまうのだ。

タクシーの運転手さんや、連れの人が「撮りましょうか」と言ってくれれば、我に返って「そうだね、撮っておこう」とカメラの存在を思い出すのだが。
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# by leea_blog | 2005-11-07 23:40 | Comments(0)

【島とクジラと女をめぐる断片】、薬が切れたら売人の言い値で買うマニア

アントニオ・タブッキにはまった。

 どうしても引かれた本があって、例の如く買って寝かせて置いたのだ。『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』。読む順番がなかなか回って来ず、ようやく最近読んだ。本によっては、待ちきれずに帰りの電車で読み始める物もある。タブッキの文体が、ぱらぱらとめくっただけでは、私にそうした餓えを呼び覚まさなかったのだ。

 が、今は。水を求める砂漠の旅人の気分である。
 で、【島とクジラと女をめぐる断片】を購入しようと池袋リブロに行った。
 無かった。使えねーな。実際、池袋リブロは、私の欲しい本に限って「お取り寄せ」な事が実に多いっ!

 仕方なく、ネットで購入しようと、何となくYahooオークションで検索してみた。【島とクジラと女をめぐる断片】初版が、八千円近かった。何、この値段。。。
アマゾンで検索した。ああ、絶版らしい。しまった。

 ここまでは良くある事である。以下が尋常ではない。
 アマゾン書店では、古書も同時に見られる仕組みになっている。USEDで出品されている同書を覗いた。四冊出品されている1995年出版分のUSED価格が、¥7,880、¥7,881、¥8,000、¥9,000なのである!!!!
 新品価格 ¥1,937(税込)の商品が、である。

 1998年の新装版は、新品価格¥1,995(税込)が、USEDでは¥2,500、¥6,480円の二冊が出品されている。
 新品はこちらも絶版らしい。

 
1995年版と1998年版の価格の開きも興味深い。内容的にはどう違うのであろうか。重要な箇所が新装版では削除されている、とかか?

感心したり驚いている場合ではない。私は単純に、のどが渇いて死にそう状態なのだ、理屈はいいから、今すぐ読みたいのだ。絶版になっているとはいえ、何、このUSED価格は!!!! 揃いもそろってこの価格は変だろ。アマゾンは業者だけではなく、一般人も手持ちの本を売りに出すから、蔵書を処分したい一般の人たちもまあ普通の値を付けて出品する。大抵は古本の値段はばらつきがあるのである。大体、初版本じゃない物や保存状態が悪い本はそんな馬鹿値で売れないしね。
それが、アマゾンのusedコーナーに並んだのが、目を剥く高値で足並みを揃えた業者ばかりとは。
おのれ〜、古書店が共同で地上げしているに相違ない!  


 ちなみにヤフーオークションの方の八千円近い古書は、業者の出品にも関わらず再出品されていなかった。既に売れたのであろう。買う人が居なかったらそんな値段は付けないであろうから、ニーズがあるのだろうが、それにしても高いでしょ。。。。。

 恐ろしい世界だ。。。。。
 いや、何度も言うが、私はもの凄く喉が乾いていて、コップ一杯の水が欲しいだけなのだ。
 それが無くては、死んでしまう位に、もう限界なのだ。
 南極の氷を溶かした水、とか、ルルドの聖水、とか、ガンジス川の聖なる水を求めているのではない。
 水道水で良いんだってば、飲める水なら!!!

 染みや焼けや褪色あっても、鉛筆でアンダーライン引いた跡があっても、いいんだってば。
 
 あちこち当たった。運良く楽天フリマで、新装版が千円で出品されているのを見つけた。急いで購入予約した。ふらりと入った書店がいきなり火事になり、何が起こったのか把握する間もなく周囲を炎に囲まれながら必死に走り、からくも欲しい本を抱きかかえて焼け落ちる書店から逃れ出た気分である。

この時、目当ての本が火の粉の向こうから「りーあさん、ここです、ここです」と呼ばわって居場所を知らせてくれればロマンティックだが。。。。実際は、ネットというのは体温が伝わりにくいもので、楽天フリマは見落として別口を探し回ったあげくに、疲れ果てて楽天フリマに戻った私が見つけたのは、検索結果リストの片隅でプラスティックの板よりも無表情に、他の本と異なる気配を一向に見せもせず沈黙を守るこの本のタイトルだった。もちろんそんな具合だから探している私の気配に気づいて、「ここです」と向こうから合図してくれるなどということは、まーったく無かったのだ。


購入申し込みをしたとはいえ、業者から連絡メールが来るまで落ち着かない。
「店頭と同時販売なので、既に店頭にて売れてしまい、楽天フリマは削除が間に合わなかった」とかなんとかメールが来たらどうしよう、と心配中である。

 そんなに貴重な絶版本とはつゆ知らず、【読みたい焦燥モード】に入ってしまったのだ。道ですれ違って惚れた女性が、実は高級遊女で、ワタクシの給料では逢うことはとても無理、、、、といった感じである。

 そんな金額払えるか!と憤りつつ、それでも、読みたい飢えには勝てず、薬の切れた麻薬中毒患者のごとく、言われるままに八千円を払ってしまいそうだった。恐ろしい世界である。

図書館で探してコピーしたら良いって? あーあ、昔は良くやりましたよ、国会図書館で絶版本のコピー。
でもね、小説だとコピーももの凄い量になるんです。しかも、コピーって紙がすぐ劣化するし。本マニアとしては、本の形で手元に置きたいんです。紙の手触りと重さ、存在をまとめて「本」、というんです。

あ、今気が付いた。1995年って、今から10年前だ。【島とクジラと女をめぐる断片】が本屋に並んでいるのを見たけど買わなかったのは、つい二、三年前のような気がしていたのだ。まあ、10年前じゃ仕方ないかも知れない。でもさ、古書がそんなに高値になるくらいニーズのある本なら、再版すれば売れそうなのだが、どうなのだろう。
 

 
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# by leea_blog | 2005-10-31 00:41 | Comments(0)

カスタムナイフの清冽なきらめき、そして甘い優雅のビスクドールの日

 臨海副都心に出かけた。
JKGナイフショーを見に行くためだ。
 りんかい線の国際展示場前駅を出ると、ほっとした。この辺りは、視界を遮るものが極端に少ない。空と、海、広い歩道、空気に微光が偏在する。ああ、嬉しい。コップから池に放された金魚の気分である。どうも、この地帯に来ると、ほっとするのである。海が近いからだが、それだけではなく、空間の浪費が甚だしくて、雑多な緑もふんだんである。地霊は居ないが、さりげなく異形の漂着物の気配がある。



 カスタムナイフショーは、時間を間違えてたどり着いたときは閉会間際であった。
精魂を込めた刃の澄んだきらめき、柄の意匠に魅惑された。

今回は、日常用を探していた。丈夫で美しい細工に満ち、携帯に便利な、日用品にして護符となる刃物を。具体的には、普段はお昼ご飯のパンのかたまりや固いチーズ、果物を切ったり、稀には野山で野鳥や小獣を捌く為の。切れれば良いのではない。常に持ち歩きたくなるような魅惑を秘め、なおかつ邪霊から身を守る力のある刃物である。

 そう注文をつけると、簡単には見付からない。ぴったりの物が無くて助かったかも知れない。高価なのだ。さらに、カード利用不可なのが助かっている。カードが使えたら、刃の邪心無き眼差しに魅入られた私は、きっと、家に連れて帰りたくて買ってしまうかも知れない。

 日常物を買おうと思っていても、つい目が行くのは非日常物である。やや大振りのナイフである。それでも、「短剣」程の大きさである。短剣、つまり、剣を求めるなら小ぶりである。
心地よい重さが手に馴染む具合を確かめる内、それくらいの大きさの物は最低限一振りは持っていなければならないような気がしてくる。
 心の底に、私ではない誰かが囁くのだ。
「一振り位手に入れろ。短剣位は、常に腰に下げていろ。成人して何年も経つのにいつまで丸腰で過ごすのだ。ひとまず、それを買え。真実欲しい物は後でゆっくり探せばいい」
あぁ〜。私は理性を振り絞った。
ひとまず、それを買えって、幾らだと思っているのだ。
“ここは21世紀の東京です。こんな物を携帯していたらあっと言う間に警察のお世話よ。”
声は食い下がった。
「異国を旅する時はどうするつもりだ。刃物も無しでは、不便きわまりないではないか」
“成田で取り上げられるわ。返してくれるはずの到着空港で請求しても、《届いていない、見つかったら連絡する》、の一点張り。連絡が来ることはない。これは経験済みです。果物用のナイフは現地で安物を手に入れて、出国時には置いてくるしか無いわ”
声が黙った隙に無理矢理コーヒー休憩をした。
一振りの刃物を、携帯。確かに昔の人には普通の事だったのだが。
普通にして、必要に迫られていたのだが。


 暮れなずみ海ぎわをゆりかもめに乗って新橋に着き、銀座一丁目に向かった。知人のビスクドール展があるのだ。大坪純子氏は創作とは関係ない所で知り合った人だが、その正体は、アンティークドールのレプリカの製作家さんだった。

 銀座のアンティークモールは、ここもまた、迷い込んだら無事抜け出すのが大変そうな場所である。迷路だという意味ではない。身分不相応な買い物をして、支払えず、奴隷として売り飛ばされそうだ、という意味である。

 二階のギャラリーにビスクドール達が並んでいた。十一月近い夜の銀座に思いがけなく、春の日だまりのような人形達であった。見に行くのはもっぱら創作人形の私だが、実家に置いてあるのはアンティークドールのレプリカである。人形屋【竹取物語】のミニ市松人形も持っている。今回来てみて、天真爛漫系、優雅で甘い、透き通る肌の人形達にほっとした。

 大坪氏の話も楽しかった。寝る前に人形の置いてある部屋を覗き「可愛いっ」と満足して眠る、とか。

 ああ、それ、わかる。妖霊系のワタクシでさえ、家に帰って並んでいる描きかけの作品達を見ると、本当にどの子も大切な、心の深部に直接通じる子達で、その眼差しに安らぐのだ。ああ、美しいよ、可愛いよ、と心で囁きつつパールを溶いて髪の筋を描いていたりする。ウチの姪にはワタクシの絵はやたら怖いようである。姪の反応は、まぁ、一般的にそうだろうなと思うので別にショックではない。

 満足いくものを造るのは、実のところ、げっそりやつれるほど大変な作業である。人知れぬ辛苦の末満足出来る作品になると、達成感も手伝って、心の底から「可愛いっ」と思えるのである。もっとも、大坪氏の作品は作者じゃなくても「可愛いっ」と思えるのだが。

 魔の道神の道であるカスタムナイフとアンティークドールをハシゴしたわけだが、図らずも共通点があった。古い時代から、刃やひとがたは、神々(力を持つ自然霊)との対話、祈りに使われた。大坪氏に、異界と此の世を繋ぐものとしての刃物、人型の話をしかけたが、理性がそれを遮った。生活の掛かった方の仕事の関係者だし(笑)
 大坪氏の世界は、妖霊巫女系幻視系のワタクシとしては、聖にして邪、闇と光は同一、混沌の豊穣がどうのこうの、破滅と隷属の精霊論、とか、そういう話をやめておいた方が良いような、優雅であまやかなアンティークレースの香りがしたのである。

 充実した一日だった。。。。

 
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# by leea_blog | 2005-10-30 23:40 | Comments(0)

バンコクの蓮、水の火皿

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# by leea_blog | 2005-10-23 21:11 | Comments(0)