数字が苦手。うさぎは数を数えられるか。

あ、いつの間にか黄金週間が終わっている。

横山氏主催の夜の会展には、とりあえず顔だけ出した。
短い準備期間で、よく作品が集まったと感心する次第であります。

今年は余りに時間が無くて、銀座界隈美味い飯屋巡りも出来なかったが、黄金週間で人気の減った夜の銀座を道に迷いつつ歩き、横山氏や渡辺めぐみ氏と作品の生まれる時間についての話をしたのが印象深かった。

夜の会では、オリジナルポストカード集も企画しているようなので、関心のある方は「銀の狐」HPへどうぞ。
ポストカードのサンプル画像はなんだか素朴な可愛さがあって、疲れたときについつい買ってしまいそうな良い雰囲気。

ワタクシも、このところとみに資金難とはいえ、天霊・妖霊・人魚・海神・古代の神々、とかのテーマなら、ふらっと参加してしまいそうかも。


あー、そういえば、揺蘭編集方針の一つに、機動力を重視して出来るだけ経費を安価に抑える、という物がある。表現者は色々と出費がかさむ。表現者は金の計算が苦手な傾向が強いゆえに、参加費をあまり深く考えずにやりたいことをやってみよう、という考えである。

金の計算が苦手って、編集人一人なのでは?という突っ込みはあるかもしれない。

編集人は南国のスパや整体で巨額の金を浪費しているのでは? 地下であざらしやカンガルーの雌を飼っていて、養育費用に収入の大半が流れているのでは? あるいは昔からの説によれば、精霊を何人か監禁しておりその経費がかさんで詩集なんか出すどころじゃないよ、というのが実態では。

と、まあ、そういう心配をしないで、書くことに専念したい物です。
大昔、「ウオーターシップダウンのうさぎたち」といううさぎばかりの物語を読んだ。(中学時代の同級生が子息に薦めようと図書館でチェックしたところ、閉架扱いになっており、憤っていた) うさぎは数字を十までしか数えられないという設定で、やたら親近感を感じた。うさぎたちは逃走しつつ、しょっちゅう口承の神話伝説に長い耳を傾けるのだ。好きだったなぁ、うさぎの神とインレの黒兎の話。

 そんなこんなで、しばらく暖かい島に逃亡もしていない。
 
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# by leea_blog | 2005-05-17 02:39 | Comments(0)

月迷宮〜LUNAR LABYRINTH にいきなり出かけたことなど

五体消滅、六根清浄。
まこと我らはアッラーの元より来たりて
アッラーの元に帰らんとするものなり。
南無、あのくたらさんみゃくさんぼだいの仏達
我を試練に逢わせ給わず我を試練より救い給え、、、、


と、怒濤の禁欲的日々を過ごしていたわけですが。


ああ、もうだめ、我慢できない!

自制心は所詮悪魔の創造物、
労働は神の呪い、
と、ばかりに、禁を破って出かけてきました、
恋月姫の人形展に。
どうしてくれるんだ、会社が休みなばっかりに、
避けていたものを見ちゃったじゃないの〜。

ココを参照。

http://www.2minus.com/koituki_lunar.html


ギャラリーも、二階から隅田川のきらめく水面を見渡せて、
素晴らしかったです。

ああ、それはそうとね、
この展示会は、コンセプトドールのお披露目会だとのことなんですが、ワタクシはそういう予備知識も無く、ともかく出かけたんです、我慢できなくて。

で、一階のテーブルに横たわる姫人形と、二階の棚に座っている姫人形、ビスクドールで売り物ではなくサービスとして展示してあるんですが、特に二階の子に心を奪われ、隅田川を背に黒木の椅子に腰を掛け、此の世の創造と破壊について思いを巡らす気むずかしい老神官より険しい目つきで、眺めやっていたのです。
 荒野で瞑想中の預言者を堕落させようと現れる魔物を退けようとするかに。おのれの、美を愛する心が、衆生を救いたいと願う心をすべて駄目にするのを良く知りつつ、此の世の快楽にうち勝てるかおのれを試そうと自ら月の神殿におもむいた、砂漠の預言者さながらに。

ちょっと嘘だな。どこが砂漠の預言者だよ、両の腕にはじゃらじゃらと呪術的装身具を巻き付けて、両肩むき出しのワンピースに、青く塗った爪も顕わの生足、ジム・トンプソンのタイシルクを夜風除けに腕に引っかけ、シュメールの神殿娼婦のお忍び姿では? 


 まあ、そんなことは良い。
 ワタクシはお人形を愛する女性らしさとは無縁の、ひたすら険しい目つきでハニエルちゃん(人形のタイプ)を見つめていたのだ。
 それにしても行き交うお客はコスプレと見まごう出で立ちの人多いよね。スタッフも同様だし、別に全然良いんだけどね。

 髪を無造作にアップにした恋月姫さんがにこやかに二階に上がってきて、にこやかに人形の説明をしてくれても、ほとんど聞いてないモードで、狼の如く他のことを考えていたのだ。

 頭の中では、作者に払うべき敬意等を思い出させようと、つつく何者かがいたのだが、考え事モードに入ると世間の社交はほっといて、考え事に関わりきりなのよね、幻視系は。
 「そうかもしれませんが、お姐さま、てみじかで結構でございますから、愛想良い返事の一つ二つしてください、怖い顔で黙って頷いたきりでは、相手が作者であろうとなかろうととんだ失礼でございましょう、最悪に機嫌の悪そうな顔付きで親の敵を見るような目つきをなさるシーンではございませんのです、さあ、もしあなた様が同じ立場ならいかがでございましょうか、そんな傲慢で失礼な客に居心地の悪い思いをさせられたら、一日が台無しになるでしょうに」、と、羽虫みたいな良心が遠くで言うのを片手で払いのけ、再び窓際に腰を掛け、透ける薄布をまとったビスクドールを眺めていた。
 相手の呪力の正体を見破ろうとする修験者が相手から目を逸らしたらたちまち破れるとでもいうように。


 で、他のお客が階段を昇って来て、作者さんと話をするのを聞く内に、私の心はゆっくりこの場所に戻ってきた。で、この展示会がコンセプトドールのお披露目会と言うことや、ビスクドールは非売品であるということその他を知ったのだ。
 なかなかディープなこの業界にいくらか嘆息しつつ、他のことをまた考えはじめた。


さて。人形でも絵でも、なんでも、同じように見えて勿論一つ一つが異なるから、これだ、と思った子が非売品なら、他の子で代用が効くというものではない。
 人間と同じだ。似てるからといって、姉に振られたら妹で代用、出来ないでしょう? 


ああ、心ここにあらずなワタクシは、非売品とはいっても、まったく手に入らない訳ではないらしいのを知った。此の世には金のある人はいる。が、まあ、一点物は大抵そうだろうが、単純に金で手放せるものではないのだ。
 仮に金が必要でも、全く同じものを作れないんだから、金さえもらえば良いってものじゃないのよね。

 心惹かれたビスクドールが、何百万円としても。人生諦めれば、私にも買えない値段ではない。会社員なら、金を貸してくれる所は幾らでもあるのだ。ううーん。今、金銭の感覚が完全に変になっている。
もともと、数字関係はすごくアバウトだしね。


 若い頃。桂離宮が金では買えない事に涙した。美術館、博物館にある物が、サラリーマンが一生働いても買える値段ではないことに絶望した。本当に欲しい物は永遠に手に入らない。それ程必要ではない物なら、手に入る。人の世はなんと残忍なことか。

(皆様は「無茶な事から始まって飛躍した結論に達してどうする!」と、笑って読んで欲しい。いや、りり山本人には言わないで欲しい。この問題は、どどーんと暗い気分になる根が深いものを孕んでいるのだから。人生観というより、表現論になるのだが)


 ま、そんな暗い思春期だったものだから、百万単位なら会社員でも可能でしょ?、と思うのだ。私に払えるかの問題ではなく、世間一般では不可能ではない金額だ。


 別の問題がある。私はひたすら欲しい。しかし、その欲望は、「自分でも造りたい」というあたりと近い場所から立ちのぼっている。
 自分で、もっと自分の好みにひたすら忠実に、自分の欲望だけのために、造りたい。という、ケダモノじみた欲望が火のように私をあぶるのだ。人形造りは私の持ち分ではない。手を付けはじめたら、できあがりの人形を買うより大変なことになる。
 それを静めるには、他の優れた才能の創造物が大層効くのだ。


 で、コンセプトドールの方は、75万である。手元に現金の無い人でも、今回はカード使用可であるらしい。
たまたま気に入った子がいなかった、というか、ビスクドールの方に気持ちが行ったいるのと、まあ、この子ならと思う子が売約済みだったので難を逃れたが、何かが少し違っていたら購入したかもしれない。
 75万円で深淵と此岸の架け橋になる美しい呪物が手にはいるのだ。


 75万あれば、カスタムナイフの気に入ったのも手にはいるなぁ、とまたしても生活とは無縁の物と比べている。

 戸崎氏作・シャーロットスペシャルleeaバージョン、ルシエン(仮名)を取り出して、しげしげ眺めつつ、失った「なぎ」、武藤氏作青い鏡面仕上げの刃を持つ美しいナイフのことも思い出して悲しみに暮れた。


「人形」という、特殊なジャンルへの偏りまくり、趣味に走りまくった考察は、後日。
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# by leea_blog | 2005-05-04 02:34 | Comments(0)

黄金週間、値千金の時間などを思うにつけ。。。。

黄金週間。
本当に黄金なのだろうか。
刻は金なり、というから、時間の足りない現代人には
一応、金なのか。。。

一ヶ月のバカンスが当然の習慣である国々から見れば、
わずかな連休を黄金と呼ぶこの国は、神秘の国に見えるだろうなぁ。

季節的には、まさしく黄金といえる。
木々の緑が強まった陽射しに透ける具合とか、
夏を予感する空気の具合に生物としての歓喜が高まる、とか、
開放感に酔いしれる、黄金の日々。




主に詩人が中心に出入りしているらしい「夜の会」、消えたり復活したりと、相変わらず予測不能な動きですが、黄金週間中に銀座で開催されています。

あ〜、私は、黄金週間のイベントは、仕事の都合で参加できないんです。運が良ければ、お客で顔出します。

リンクコーナーから「銀の狐」に飛ぶとトップページに詳細があります。

九州の日嘉さんから留守電が。
あまたの迷惑メルが来るだろうけど、メル入れたので見て置いて欲しいという内容で、確かにおびただしい迷惑メルを削除しまくる手はうっかり自動的に削除しかけていました(汗)

連休10日間は、福岡のマリンワールド(水族館)にて、
巨大な暗い水槽の前で石笛、オカリ−ナ演奏をするとのこと。

巨大な質量の水は、人間の本能を揺さぶる。

そういえば、地震で施設が壊滅したら、動物園や水族館の生き物たちはどうなるのか。

(救出の名のもとに、略奪に走る動物マニアがいそうである。その中の一人に私が混じっているかもしれず)


わたくしの黄金週間は、手つかずのまま放置された世俗の肉体労働に追いまくられる予定であるが、突如思い出した。
何件かの「締め切り」の確認をしなくてはならないのであった(汗)
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# by leea_blog | 2005-04-30 02:32 | Comments(0)

女性専用車両の体験


 転勤した。
 環境が変わる。環境の激変はフツー、大変なストレスだ。
 とはいえ、目新しい部分を素早くチェックしてギャップを楽しむことも出来る。

 
 そういうわけで。初めて女性専用車両にも乗った。ホームの端に、「女性専用車両」、と横断幕がかかっている。横断幕の色は落ち着いた濃い薔薇色で、好感度良し。思わず乗りたくなる色だ。
 女性は色彩にかなり敏感な傾向がある。化粧品から服飾、日用品、インテリアに至るまで、一見同じように見える色の微細な違いに対して実に口うるさい。「色なんて対して気にならない」人は少ないようだ。
 この横断幕の色も、通勤女性が癒しを感じる色彩はどれか、アンケートでも取ったのかもしれない。 

 話が逸れた。色の話はキリがない。女性専用車両の感想を。
 
 アナウンスがかなり流れるので自然に誘導される上に、車両の両端でプラカードを持った駅員が拡声器で盛んに案内している。出来たばかりなので周知も兼ねているのだろう。わかりやすい。

 で、実際乗ってみると。すごーく快適である。極楽といっても良い。ほんのわずか女臭い。女臭いというのは女性の体臭とか、微細なものだが血の匂い。お互い様の部類である。
 押されてもソフトである! ごつごつした体躯のサラリーマンがサイかゴリラの如く無遠慮に体当たりしながら乗り込むのと違い、体当たりしながら乗ったとしても、女性の体つきである。マシュマロが猛ダッシュで突進して全体重を掛けて車両に飛び込んできても、さして痛くないでしょ?
 おまけに、よろけたり相手にぶつかったりすると、かなりの確率で謝る。まだ乗れるのに次の電車を待つ人も多い。
 火事と喧嘩は江戸の華、とはいえ、ただでさえ殺気溢れる通勤ラッシュ時、本当に喧嘩しているサラリーマンたちと別車両なのは嬉しい。


 男臭い密閉空間がいかに不快だったかわかる。風呂に入っているのかいないのか不明な体臭とか、昨夜の酒の匂いとか、スーツの肩に雪のようにかかっている雲脂とか、汗でべっとりの通勤着と密着するのは、無視するしかないが無視もかなりのエネルギーが要る。解放されると良くわかる。大変なストレスだった。混雑時の体力が半分で済む。

 勿論女性でも、マナー知らずで不衛生な人は居るが、通勤ラッシュ時の客ではかなり稀だ。もっと早く実施されていれば良かった。
 サラリーマン諸氏だって、OLと狭い空間に詰め込まれると「痴漢と間違われそうで嫌だ」とか「香水や化粧品の匂いが不快だ」とか「ハイヒールで踏まれそうで嫌だ」とか「ファンデや口紅を付けられた!」とか「ふにゃふにゃした生き物が胸や尻を押しつけてくる通勤電車は地獄だ!」とか「椅子では化粧してる女も居て見るだけでも我慢ならん!」とかあるでしょ? ほほほほ、やっぱり男女別車両が良いのではないでしょうか。
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# by leea_blog | 2005-04-20 02:30 | Comments(0)

闇の桜。 光降る春のお湯。

異動の季節は、疲労が溜まりまくる。

職場の前の公園に枝振りの見事な桜があって、
花見の季節は昼間から場所取りの人が陣取っている。
この公園には灯りがない。
夜は真っ暗である。
回りはオフィスビルなので、あやめも見えぬ真の闇にはならないものの、相手の顔が見えず手元も見えないくらいには暗くなる。
そんな中に、ぼうっと桜の花が浮かんでいるのである。
そして、花見の人々は、闇の中で延々と酒盛りを続けるのである。
 私は残業しつつ、窓から闇に浮かぶ桜とその下の影の塊状の宴会人たちを見ていた。闇の中の酒盛りは、馬鹿騒ぎする酔漢もなく、呪術めいて素敵だった。

 あまりに疲れたので、豊島園の庭の湯に行った。花見と温泉を兼ねたのだ。露天風呂には舞い散る桜の花びらが斑のように浮かんでいた。一人用の焼き物の湯船に入りながら、頭上の桜の花を仰ぎ見る。木々の細かい緑の芽も素晴らしい。昼の光が湯に降って、きらきらと反射している。光と水と植物。ここの所私に足りなかった物だ。春の木々は、冬の疲れを癒す何かを大気中に放っているかのよう。

 黄金の光が傾いで赤金に燃えながら木々の間に沈み、辺りが藍色の闇に落ちるまで、庭園を見ていた。
 温泉と花見を同時に楽しめる近場の極楽であるが、想像したより混雑していなかった。皆、桜の下の酒盛りに出かけたのであろうか。

 堪能して夜道を駅に向かう途中、豊島園が夜桜を見る人たちに無料で開放されていた。明るい電飾の入り口に私も吸い寄せられそうになった。が、薄着で家を出た身に夜の空気は寒すぎた。ここで園内に迷い込めば、再び発熱は必至。夜の遊園地と夜の桜の誘惑を断ちきって駅に向かった。ああ、異動シーズンじゃなければ、風邪を引いて寝込んでも堪能したいのに。桜はこの時期しかないのだから。

 
 
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# by leea_blog | 2005-04-11 02:28 | Comments(0)

四月の異動。 そして、読むことまたは書くことと、地球の活動について

異動が決まった。
どうやって想像を絶するラッシュを乗り切るか、
良い考えが浮かばない。

私に必要なのは、暖かい毛皮、しかも生きてる奴だ。

地下鉄で文語体の本を読みつつ、思う。
自分の考えた事など、百年昔に既に流行りだったのだ、と。
何百年の昔にも、同じ事を考えていた人はいて、
千年以上昔でも、それは同じ。

そのことも、今初めて思ったのではなくて、小学生の頃も、三島や谷崎が私の書きたいことをすべて書いてしまって、自分の書くことなど残っていない、と愕然とした。

子供の考える事に、「お前が考えたとしても、文章力が違うだろ」などと突っ込みを入れても無駄である。

ま、そののち、他の本を読んでも絵を見ても、色々と愕然としまくるわけだが、巫女さん系の私は、愕然の一方で「当たり前」と受け止めた。
よその星から飛来したわけでもないこの身が、唯一神の生まれる前からの記憶を受け継いでいるのは当然だ、と。自分の固有名詞は、今生で生きる為の、便宜上の符号でしかない、と。勿論私だけの話ではなく、人類はそうなのである、と。さもなくば、石器時代の動物の壁画に現代人が揺さぶられたり、見知らぬ異国の口承の伝説に、一現代人が、その場にいたかのような揺さぶられ方をするであろうか、と。
 ある意味、「作者不詳」も含めた先達におびただしく恵まれているわけだ。自分の後にも、おびただしい作品群が明滅しながら時間の河を流れ下るのだ。

 自分の書きたい事をもっと優れた文章力の人が書いてくれるなら、歓喜して読み手だけやっていたい。

だがしかし。世の中、そう上手くは行かない。のどが渇いて死にそうな時に、草の露を舐めてしのいではいられない。自分で水の湧きそうな場所を掘るのだ。と、いうことで、自分で書くわけだ。


 あるいは、水が溢れて、家畜も果樹園も駄目になってしまいそうな時には、自分で溝を掘って溢れる水を他の場所に流すのだ。
激しい餓えや、激しい過剰。

これが書かざるをえない力の正体の一つで、それは、文化活動のたぐいというより、人間は動物の一種であるという意味の「動物レベル」であり、さらに地球を巡る水の循環の余波でもある。
生き物が発生して死滅していくのに作用する、巨大な何かの一つが、たまたま書いたり描いたり作曲したり舞踏したり語ったりする類の事に適した人々に作用してその作業にたずさわらせているのではないかと思える。

 と、昔からつらつら考えているが、これも、三千年前の羊飼いも瞑想しながら同じようなことを考えていたかも知れない。

 と、異動発表で疲労困憊しつつ、イェーツのあれこれで、あれこれ思ったわけだった。

 
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# by leea_blog | 2005-04-05 02:20 | Comments(0)