梅花と寒波

この冬一番の、寒波が到来。

変温動物の私は、大変な警戒態勢。霜の付け入る隙もないほど。羽毛と毛皮と絹を積み重ね。

 部屋にはキャンドルを沢山灯し。お風呂には死海の塩を入れ。ヒーターやエアコンは勿論フル稼働。暖炉に火をけっして絶やさず、眠り掛けた人がいれば頬を叩いて励まし、雪山救助犬に命じてブランデーを飲ませて麓まで運ばせている。

 今年は暖冬のようだけど、この時期いきなり冷え込んで、体がとても持ちませぬ。
 とはいえ、香りも高い梅の季節。ああ、梅林が恋しい。

よたはこれくらいにして、九州の日嘉さんから原稿が届いたので、忘れた頃にWEB版【揺蘭】を近々アップします。

激烈アナログ愛護人の私のことゆえ、WEB版はあくまでWEB版で。大体、執筆人はほとんどインターネットなんかやってないし、「ネットだからアナログで出来ないネット向け作品をいかがですか」と言っても極端なムチャはできないのであります。

ああ、今週は始まったばかり。
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# by leea_blog | 2005-01-31 01:44 | Comments(0)

活きた牡蛎、葡萄の美酒、ライ麦麺麭


【揺蘭】の鳩宮君の知人が、パソコンのメンテナンスに来てくれた。十五日は朝から雪と予報されていたが、雨だった。ほっとした。雪だと交通機関が麻痺しかねない。牡蛎と知人が私の家にたどり着けないではないか。

書物とメモ類で足の踏み場のない部屋をかたづけた。事前に「坐るところが有ればいいです」と言ってもらったものの、お客の坐る場所なんか無いよ。専用の客間が欲しい。勿論、書斎も!!!
現在、玄関といわず、キッチンといわず、冷蔵庫の前や電子レンジの前、流し台のキッチン用具いれの中にも書物とメモが溢れている。つまり、冷蔵庫から果物を出すにも、本をどけねばならないし、スプーンやフォークを出すにも本をどけなければならない。そうしたものが無いのは、浴室とトイレだけである。湿度で紙がやられてしまうからである。

無事、メンテ師さんと牡蛎が到着した。雨の中お疲れさまです。

氷付けで仮死状態の牡蛎は、皿に盛り上げて、部屋の一番暖かい所で温まってもらった。息を吹きかえさせるのは、両刃のナイフを固く閉じた殻の間にこじ入れ貝柱を掻ききる前に、牡蛎に西に向かって手を合わせ念仏を十遍ばかり唱える時間を与えるためである。「命ばかりは助けてください、何でもします」という牡蛎はいなかった。

食べた。海獣になった気がするほど、食べた。もうしばらくの間は活きた牡蛎の顔は見たくないほどだ。牡蛎が「ご用はございませんでしょうか」と訪ねてきても、追い返すだろう。満腹状態の獣。

井筒ワインのコンコードを、脚の高いグラスで空けた。赤いワインは、飽きないだろう。

ライ麦パンにクリームチーズと蜂蜜を付けて食べた。生牡蛎と赤ワインにとても合う。昨日の夜、デパートの地下を探し回って、ライ麦百パーセントのパンをようやく見つけたのだ。

牡蛎の殻をこじ開ける際に皿にこぼれ溜まった汁で、メンテ師さんがペペロンチーノを作ってくれた。作りすぎたと思った量は、二人でお代わりを重ね夜中には無くなっていた。

パソコンの状態は快適になった。
長時間作業に疲れたメンテ師さんにアロマオイルで腕マッサージをした。オイルマッサージの技術指導も兼ねていた。メンテ師さんの冷えて固くなった腕は、やがて柔軟性を取り戻した。
私がマッサージ後のハーブティー(必須!)を入れている間に、メンテ師さんはまたパソコンに向かって作業を続けた。
りり山は驚き呆れた。オイルマッサージの後にすぐパソコンに向かう人、初めて見た。眠くなるほどリラックスしたなら、大抵はもう細かい作業はしたくなくなるのだが。相当なパソコンジャンキーとのことである。

十一時過ぎ、強い雨の中をメンテ師さんは遠方まで帰っていった。無事帰れただろうか。

美味な食べ物と美味な酒と良い香りは人を幸福にして前向きにする。疲れた時こそ、少量でも上記の物を取り入れるといい。
生の花と、生の炎(キャンドルなどで)、気に入りの音楽があると更に良い。
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# by leea_blog | 2005-01-16 01:41 | Comments(0)

月長石細工の爪・桃色肉球

小中学校時代の同級生の家に、たまにお邪魔するが。なんと、仔猫が二匹住むことになった。
「うへへへへへへ、かっわいぃぃ〜」、と、オヤジな笑みを内心浮かべつつ、暖かく柔らかな肉球と月長石細工のような繊細な爪をさわり、毛皮に指をくぐらせて盛んな体温を堪能した。冷え性低血圧にとって、この手の生き物の、高い体温やしなやかでバランスの取れた動きは極楽である。

白い和毛に桃色の地肌が透けて見えるのも、あくびの時の繊細な薄い舌先がくるりと丸まっているさまも、凄い早さで飛びつく仕草も、素晴らしいっ。

動物の体温を感じていると、磁気とか何かが伝わってきて、冷え性の身体活動を活性化する感じがある。即物的な表現だなぁ。つまり、「可愛いものに癒される」のような『気持ち的』なものもあるかもしれないが、それ以上に、理学療法室での治療に類した効果があるのであ〜る。


うううううーーーー、私も猫欲しい。犬も好きなのだ。困った。何が困ったかというと、賃貸住宅なので飼えないのだ!!!!

昔から私は犬や猫やあざらしや牛や馬や羊や鹿や兎が好きなのだ。動物には、人間族には絶対持て無い、あるいはとうの昔に失われた何かがある。古い時代の息づかいが、燃える目でこちらを見ている。

子供の頃、「抽選で一名様に仔牛プレゼント!」というのがあった。何のキャンペーンか忘れたが、子牛なんかもらっても飼えないだろ!、と子供心に突っ込みつつ、応募葉書を何枚も出した。仔牛と寄り添って眠る所を思い描きつつ、家の前に仔牛を乗せたトレーラーが止まる日を待った。勿論外れた。

学生時代、夜行バスに乗って早朝の奈良に着いた。奈良公園のベンチに坐って、池をみながら持参のサンドイッチと缶ミルクで朝食を取っていると。どこからともなく大きな牝鹿があらわれた。私の朝食が目当てらしい。毛並みに触れようとする私の片手を驚くほどの狡猾さでかわしつつ、鼻面はぐいぐいと私のもう一方の手にあるサンドイッチに延ばされる。あげたい所だが、私はお腹がすいており、しかも早朝のことで店も開いていなかった。鹿にサンドイッチをやっては、晩秋の寒さで行き倒れるだろう。鹿は繊細な顔に似合わぬ厚かましさでついにサンドイッチを包むビニールを銜えた。そのままもぐもぐと食べようとするのを見て「奈良公園の鹿、観光客にゴミを食わされ死亡」との新聞見出しの幻影が脳裏を横切った。「やめさない!!」と鹿の口からビニールを引っ張り出しつつ、「そんなに欲しいなら、半分あげるわ」とサンドイッチを手でちぎろうと見た所、、、、。難から救ったと思ったサンドイッチは、鹿の唾液がべったりと付いていた! 私はがくりと肩を落として、鹿にぜんぶやった。鹿は有り難い様子も見せずに続きを催促した。こんな事を書くとヒンシュクだが、当時の私は、近くに身を寄せていかにも触らせてくれそうにしつつ、触らせず餌を奪い取る力量は、人間の女も鹿の牝も同じなんだなぁ、と妙に感心した。
(鹿も人間の女も決してそういうわけではないのだが、モテない牡がふんだくられたと勝手に思っているだけで、その時の私ががつがつした気分になっていたからそんなことを思ったわけだが)
「もう無いわよ」と凍える片手をコートのポケットに入れながら、飲みかけの缶ミルクを飲もうとすれば。いつのまにか、缶の口にも鹿の唾液がべったりと。。。やられた。ミルクもあげた。餌がもう無いのを知ると、鹿は振り返りもせず去っていった。

動物の思い出、馬編、らくだ編、うさぎ編、巨鳥編、ゾウ編、羊編、と際限なくあるのだが、際限がない。

賃貸ではない家のころは、親が大の動物嫌いで、犬や猫はとても飼えなかった。ああ。悲しい。。。。
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# by leea_blog | 2005-01-07 01:38 | Comments(0)

謹賀新年2005


 明けましておめでとうございます。

2005年が、良き年となりますように。

 年賀状作成中、プリンタのインクが無くなってしまった。
 あああ。
 これから小学校の同級生のお家に出かけて
 ハンサムで性格の良い子息達と葡萄酒を飲んできます。

 庭の湯にもラクーアにも行けずに三が日が開けてしまいそう。
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# by leea_blog | 2005-01-02 01:38 | Comments(0)

きのうは初雪

昨日は初雪だった。

北極鵞鳥の羽毛布団と絹の掛け毛布、ムートンの敷き毛布という冬の重装備にくるまったまま手を伸ばしカーテンを開けると、灰色の空から羽毛とまごうぼたん雪が舞い降りていた。
黒塗りの露台には既に雪が積もっている。

遠くで、小さい子の声がする。こんな寒い日に外にいるのだ。犬と子供は元気だなぁ。
寒さで気を失い掛けながら、私は、北極鵞鳥が生きていた頃に想像を絶する寒さから身を守っていた羽毛にくるまりながらも、まるで暖かくない事をいぶかりつつ、舞い落ちる雪を見上げていた。音もなく、美しい。


その前日、あまりに肩と首と腰が痛むので庭の湯に行った。夜半、屍体頻出の夢を見てうなされた。今朝は寒さと疲労で腰痛なのか、と思ったのだが、夢見が悪くて休息になっていなかったのかも知れない。夢は、以下↓

警視庁の某人が無惨な遺体で発見された。私とR嬢は警視庁の普段屍体を見ないで済むセクションに勤務しているが、突如呼び出されて謎の捜査に加わることとなった。某人が私とRの共通の知人だし、某は死の直前、名古屋のSMクラブに行ったという。「Sだのフェチだのを少しでも知っているのは君らしかいない」ということだった。某が行ったという名古屋のSMクラブのリーフレットを見せられた。昭和初期のような色鉛筆の絵が付いている。高い天井のサロンで、金塗りの応接セットのこちらにスーツの男性が座り、向こうにマダムめいた年輩の女性、そのとなりに清楚なスーツのおとなしそうな女性。客が、ママと“女王様” 役の女性からプレイのカウンセリングを受けている場面だという。写真じゃなく色鉛筆の絵なのが、いかにもレトロな秘密結社っぽい。そのSMクラブの名を知っているかと聞かれた。私とR嬢は顔を見合わせた。私たちはSM嬢ではないのだ、名古屋の秘密クラブを知っているわけがない。
捜査の為に現場に向かうと、夕暮れの路上に損傷の激しい屍体が二体転がっていた。今回の事件に巻き込まれたらしい。心の準備無しに生焼け屍体を見せられて、屍体が苦手な私は怒った。
自宅に帰って怒りを静めていると、自宅の前の空き地に人が集まっている。人間の首に縄を付け、投石機のような物で空中に放り投げている。事件の関係者の証言が事実かどうか、実験を行って試しているという。首に縄を付けられて空中に放り出された人間が、空中で犯人の名を叫ぶ事が出来るか、その名を聞き取れるかという実験だった。生きた人間を使って、しかも私の家の前で繰り返すとは!! ひどい叫び声と骨の折れる音が至近距離で繰り返される。吐き気がした。二階に上がり、ここなら誰もいないと思って様子を見た。今日の検証は終わったらしい。窓の向こうの連中が引き上げてゆく。
その時、誰もいなかった二階の部屋から、どっと警官達が湧いて出て彼らもぞろぞろと帰ってゆく。検証がよく見えるこの部屋で記録をとっていたらしい。驚いて、「断り無く何をしているのよ」と抗議すると、彼らは「非常時に一人で過ごすせると思っているのか」と言う。最悪だ。これが続くのだ。


以上。寒さで半ば気を失ったまま今日に至っています。
取り敢えず、まるまるしい鏡もちを買った。百合も買った。蘭の花も溢れるほど。これらで年は越せる。おせちには手が回らなかった。
ごめん、今年は年賀状遅れると思います。疲労困憊です。
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# by leea_blog | 2004-12-31 23:08 | Comments(0)

津波

スマトラ沖地震と津波の被災のほど、心からお見舞い申し上げます。

広範囲にわたる甚大な被害で、大変ショックを受けてます。

海ぎわを愛する者の一人としても、深い悲しみを抑えられません。




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揺蘭の日嘉まり子さんから留守電が入ってました。
りり山りりえんでーるがプーケットとかモルジブとかランカウイとかの辺りで海に呑まれてないかと、緊急心配電話をくれたわけでした。
ううむ、津波があと半月ずれていれば、行方不明者の一人に加わっていたかも知れない。

ありがとう、日嘉さん。
メール機能直してWEB揺蘭の原稿送って下され。


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私が死者の一人でも、暖かい土地の海ぎわでごろごろしているところを海に召されるわけだから、友人知人の皆さんは「りりあは本望だろう」と皆思うだろう。
生きている以上何らかの形で死は迎える。

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とはいえ、そんなりり山は真冬日の日本でニュースを見てショックを受けるだけで、死にたくないはずの沢山の人が一気に亡くなった。復興も気が遠くなるような規模の破壊力である。



地球は生きている。こういう災害はやむを得ない。亡くなった方や被災された方の気持ちを考えると、不謹慎と取られかねないが、津波と「来るときはあらかじめ言ってね、避難が終わってから来てね」交渉するわけにも行かないのだ。

「よくもやりやがったな、許さん、ぶち殺す!!!!」と海や地震の原因に報復を誓う遺族も居ないだろう。津波を予測して警報を出せるようにしておけば良かった、人災である、との言い方は出来るにしても。
昔、海に鎖を渡して鞭打たせた奴いたなぁ。いかにも間抜けな行為である。新田義貞みたいに、黄金の太刀を海に投じて祈るのが正解である。相手は海なんだから。


なぜ不謹慎な事を書いているかというと、被害を蒙らない地域で、報道により一度に沢山の死者が出た事を知ったわけだが、ニューヨークのテロ報道の記憶と比べてしまったのだ。


あの時は動揺した。
今回は、恐怖はあったが、それは純粋で原始的で動物的な、生き物として健全な恐怖である。理屈は後にして、動物レベルのこの恐怖がなければ走って逃げることも、立ちすくむことも出来ない。

波の早さと自分の運動能力をとっさに計算して、逃げても無駄だと知るや、騒がず「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」と観無量寿経を唱えて来世を頼む人もいるかも知れないが、それは常々そういう心がけをしている人に限った話だ。


テロの大量殺戮は。もっと全然質の違う、延々と終わりのない徒労の果てに無意味に沢山のものが一気に失われる感じの、嫌な索漠感の、スケールの大きな物が脳を襲った感じであった。大量の屍体が魚の餌にも大地の肥やしにもならない、場所柄でもあり。


死や破壊、壊滅、滅亡については。東洋人の私は否定的イメージばかりを持ってるわけではない。

それでも、戦争や戦争絡みで死ぬのはシンプルに嫌だ。死ぬのはいいけど他の死に方をしたい。病死したり、衰弱死したり、山で野獣に襲われたり、海で行方不明になったり、山火事や雪崩で死んだり、悲嘆で自殺したり、抗議の自殺したり、誰かを道連れに死んだり、決闘に敗れて死んだりは、可だ。

戦争やテロで死ぬのは大きなナメクジと抱き合って接吻し合うより嫌である。
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# by leea_blog | 2004-12-28 23:06 | Comments(0)