銀座のクリスマス展の搬入に行って来た。 今年は、アクセサリーを六点出しました。 他の皆さんの作品も、なかなかおもしろいです。 触発されました。 福袋が、激安。 500円で作品まで入っているのもあるらしい。 皆様、ご多忙と思いますが、 是非銀座のギャルリー志門にお運び下さいまし。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー #
by leea_blog
| 2015-12-19 23:42
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鴻上尚史の「恋愛王」を読んだ事は、先日ブログに書いた。 その中で、他にも印象に残っている章がある。 島尾敏雄の「死の棘」に言及した章だ。 以下、書き出しを引用する。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー その昔、ある有名な映画監督の背中に一文字の見事な切り傷があって、助監督が「監督、その背中の傷はなんですか?」と質問したところ、 「いえ、なに、女にね、・・・・包丁でね」と、言葉少なに語ったそうです。 その監督は、恋愛映画の名人だったらしく、それ以来、女に包丁で切られた傷のないような男には、女は描けないという風潮が定着したそうです。映画全盛期の頃のお話です。 このエピソードを読んで、僕が何を思ったかというと、「うむ。女に切られるような奴は素人だ」ということでした。 僕なんか、その昔、女が包丁を持って迫って来た時は、腰を伸ばした座椅子を胸の前に掲げて、プロテクター代わりにして、闘ったものです。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー なかなか引き込まれるような書き出しではないか? 女に包丁で切られるのもナニだが、 女に切られるよな奴は素人だ、とうそぶくのも凄い。 うーん、作品の中でドロドロするのは私は大好きだが、 というより、むしろドロドロしない恋愛は描きたいとは思わないが、 リアルでは、切ったり切られたりする恋愛は、避けたいものだ。 座椅子を持ちながら、鴻上尚史は、このドロドロをとことんまで突き詰めたら、どうなるのだろう、と考えていたそうだ。 「この男と女の修羅場を、とことんまで走ってみると、どんな風景が現れるのだろう。」 これはわかりますね。 トラブルの真っ最中でも、作品になるような貴重な経験だ、この先どうなるのか、と本質についての探究心が湧く状況。 そして、鴻上尚史は、島尾敏雄の「死の棘」を紹介する。 「そうです。その本は凄まじい本でした。 『死の棘』。この500ページを越える分厚い本は、最初から最後まで、このドロドロだけを描写した本でした。ひぇーっ。」 死の棘、昔読んだし、映画も観たなあ。 が、よく覚えていないので、 もう一度、その凄まじいドロドロを読んでみようかな? 実話に基づき、夫の浮気を知って妻がおかしくなって行く話だ。 浮気というのは、実際、「尊厳」を傷つけられる事だ、と私は思っている。 隠していた浮気が発覚、となれば、今までの時間がすべて偽りの悪夢だったという事になってしまい、今後の生き方に支障も出る。 配偶者を殺す気になれないなら、浮気はしない方が良い。 死の棘に関して、鴻上尚史が思う事は、 「男と女は、本当に異文化なんだなということです。いえ、ひょっとすると、人間一人と人間一人とは、どんなに分かりあえていると思っても、文化が根本から違う、つまり異文化なんだなということです。」 うーん。 まあ、若い人向けに連載したエッセイだから、 若い人にそういう視点を提示する事は重要だが、 私のような歳になると、 一人一人が根本的に異文化なのは、当たり前で、 だからこそ、少しだけでも分かり合えた気がするのは、 とても重要で、有り難い事なのだと思う。 私の場合、父母がまず家庭内異文化で、 いまだにどういう考え方の人かわからないから、 家庭の外で出合う友人たちが、異文化なのは当然として、 歓びと感謝に、私は満ちていた。 異文化は、自分を見つめなおす気づきをくれる、 重要な存在だと思う。 #
by leea_blog
| 2015-12-18 09:51
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新橋から新宿に向かう山手線の中で、 アジア系外国人と思われる男性に、 席を譲られた! 言葉はわからないが礼儀正しい方で、 深く感謝である。 が。まただよ。 老齢でもないので、 またしても妊婦と間違えられたのだろう。 私は手足が細いので、 お腹に肉がつくと、 なぜか手足は細いままなので、 たちどころに席を譲られる体型になる。 こういう場合は、 有り難く深くお礼を言って、譲って頂く事にしている。 譲る方も、勇気を出して声をかけて下さっていると思うので、 ありがたくお受けする事により、 本物の妊婦さんに譲る時に、 「本物の妊婦かな?太っているだけだったら失礼に当たらないか?」と 悩まなくて済むとおもう。 私はけして、すわりたいと思っている訳ではない。 が、座っている方の、ちょうど目線の位置で、 立っている私のお腹が主張しているらしい。 こうした事例は、実は私はよく経験する。 痩せなくちゃ、と焦るとともに、 心優しい皆様が、沢山いらっしゃるという事実に、 年末の慌ただしい時期、心にじわっと来るものが有る。 一方、同じ車両の中で、 私の座っているちょうど向かいの席では、 一波乱ありそうな事態もあった。 床に置いた自分の荷物を何度も蹴り、 座っている人の足に、 挑発的に当てる人がいたのである。 「うわ〜。怖い。関わったらいけない。 挑発されている若い男性、我慢出来るかな」 とみていると、 挑発していた男性は、 傘のてっぺんの部分を持ち、 握りの部分を威嚇的な角度に向けながら、 周囲に体当たりしつつ 浜松町で居りて行った。 #
by leea_blog
| 2015-12-15 21:56
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by leea_blog
| 2015-12-14 20:48
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今年も後わずかしか残っていない! 大変だ。時間がない。 相変わらずの、「時間の無さ感」。 やる事が山積しているのだ。 ところで、 神楽坂詩の会でお会いした、 歌人で詩人の、安井高志(ペンネーム:浮島)さんから、 メールを頂き、ご本人のご了承を得てアップします。 詩の会の三次会では、原詩夏至さん、安井高志さん、 りーあの三人で、蕎麦居酒屋で、 熱い討論が交わされました。 原詩夏至さんと、人形を巡ってメール交換をしました。 噛み合っていなさ、でこぼこ振りがおもしろいので、 通りすがりの皆様にも何か感じるきっかけになっていただければ、と思い、 アップしてものです。 その日記は、以下。 ↓ 捨てた人形が戻って来る話をよく聞きませんか? 【呪術としての日常・人形】試論 http://leea.exblog.jp/23730682/ (拙ブログは、セキュリティーの観点から、直接リンクが貼れません。 URLをコピーしてペーストして、飛んで下されたし) 捨てた人形が戻って来る話、 考えてみれば、 「聞いた事が無い」人の方が少ないのではないか? 子供の頃、まことしやかに語られませんでしたか? 語られたよね? 本気で怖かったです。 安井さんに、以下のように書いて頂けて、 公開した甲斐もありました。 ↓ >なんなんでしょうね。お二人のやり取りをみていると私自身も >なにか語りたくなってしまいます。 「読む事」は、何かの体験に巻き込まれるのだ、と思っています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー すごーく陳腐でステレオタイプな発想過ぎて、 なぜ原がりーあの表現にコメントしようとすると 陳腐でステレオタイプになるのか、 (これは、以前からだが) 私にとってはいまだに謎だ。 この部分のコメントですが、たしかに私にも謎です。 先日の飲み会でも感じたのですが、本当になぜなんでしょうね……? 思うに、ああいうのは、単なる「情報」「イメージ」ではなく、 その根底に「物質」性が担保されてるところが、貴重なんだ。 つまり「手触り」とか「重み」とか「かさばり?(現実的な空間の占有)」とか、 そういう、日頃「詩歌文芸」ばっかりやってると ついついおろそかになりがちな、 ごくプリミティブかつ根源的な「マイナー系五感」の活性化ないし再発見だな。 この部分に関しては頷く面もあり、「いやいや言葉にだってプリミティブなものはある」 などと反論したくなったりぐちゃぐちゃです。 なんなんでしょうね。お二人のやり取りをみていると私自身も なにか語りたくなってしまいます。 面白い記事でした。 安井高志(ペンネーム:浮島) #
by leea_blog
| 2015-12-12 12:51
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